京大の学部生むけ少人数科目ILASセミナーには、海外で活動するものがいくつかあります。昨年(2019年)の夏、わたしはILASセミナー「ブータンの農村に学ぶ発展のあり方」に参加して、ヒマラヤの小国ブータンをおとずれました。これはその経験をしるした紀行文で、京大探検部の部誌『探検報2019』*に掲載されたものです。
* 京都大学探検部 編『探検報2019』pp.13-29
(ヨシダガンジ @yosidaganzi)

パロの谷
ドゥルック・エア153便は、しだいに高度をおとして、着陸態勢にはいった。
雲のきれまから青あおとした山はだがせまる。山腹をぬうように、土色のみちがはしる。家だ。切妻屋根の白壁の家だ。わたしは、なんとかして写真をとろうとこころみる。飛行機はすぐまた雲のなかに突入する。
ガクンとひとゆれすると、そこはパロの空港だった。ほそながい盆地の底に滑走路がのびる。さっき飛行機からみえたような家いえが山すそにちらばる。山やまの中腹を雲がとりまく。午前7時30分。日ざしはつよい。
飛行機のタラップをおりて、わたしはすこしのあいだたちどまる。パロの谷をながめる。谷をかこむ山やまは、そうたかくない。この谷で標高2300メートルだから、この山なみも3000メートルくらいはあるだろう。それにしては、あまりになだらかである。京都盆地からみた大文字山か、せいぜい比叡山くらいなものだ。ブータンは急峻なヒマラヤの国だとおもっていたが、これはどうもちがったようだ。
こだかい丘のうえに、いちだんとおおきなブータン建築がみえる。パロ・ゾンだ。ゾンというのは、寺院と役所とをかねた城塞のことである。いくつもの窓があいた白い城壁のうえに、くすんだ赤の屋根がのっかっていて、その城壁にかこまれたあいだから、五重塔みたいな建物が空につきだしている。わたしは、ガイドブックの写真でみたラサのポタラ宮をおもいおこす。
空港のターミナル・ビルも、りっぱなブータン風の建物だった。わたしたちは、ここでガイドのカルマ・ギェルツェンさんらのでむかえをうける。カルマさんとドライバーたちはみんな、着ものによくにた服をきている。ブータンの伝統衣装ゴだという。わたしたちは、ひとりひとり、マフラー大のうすくて白い布を手わたされる。吉祥の文様がおりこまれたうつくしい布である。この布をわたすのは、客人をむかえるときのしきたりらしい。
カルマさんは、おおきな腹をかかえた背のひくいひとだ。その体型からはちょっと想像もできないことだが、かれはエベレストに登頂した経験をもつという。わたしたちはこれから2週間、カルマさんたちのせわになる。
わたしたちはまず、空港のそばのティー・ハウスのテラスに陣どる。ミルクティーとビスケットの軽食をとりながら、これからの旅についてうちあわせをする。

旅の目的
わたしたちというのは、京都大学からきたスタディー・ツアーの一行である。そのメンバーは、東南アジア地域研究研究所の安藤和雄教授、坂本龍太准教授、赤松芳郎助教、ミャンマーのパーン大学のミン・ティダ教授、京都大学医学研究科院生の平山さん、それにいろんな学部の学生12人である。
この旅の目的は、東ブータンの農村をたずねて、離農問題・過疎問題についてかんがえることである。そんな問題が、いまブータンでおこっているのか。おこっている。それも、きわめてはやいペースで進行している。離農や過疎というと、わたしたちは日本国内の、しかも僻地だけの問題としてみてしまいがちだ。けれども、いまや、これらの問題はもっと普遍的な、世界的な規模のものになりつつある。ブータンでも、農村の耕作地が放棄されて、人口が都会にながれこむ現象があらわれはじめているというのだ。
安藤さんは、海外ではバングラデシュ、ミャンマー、ブータン、日本では京都、滋賀を中心とした地域で、実践型地域研究をすすめてきたひとだ。これまでなん年にもわたって、日本とブータンで、学生を対象にしたフィールドワーク・セミナーをつづけてきた。
ことしの夏も、安藤さんたちは、京都府の宮津や美山でセミナーをひらいた。そのさい、ブータンから数名のひとたちを京都にまねいた。東ブータンの農村地域にすむひとたち、ブータン王立大学シェラブツェ・カレッジの学生たちが日本にやってきた。わたしはそちらのセミナーには参加していないから、くわしいことはしらないけれど、そこでもさまざまな農業問題にとりくんだらしい。ブータンの村びとのひとりは、日本でえた知識をもとに、さっそく有機農法をはじめたという。
わたしたちの旅は、9月16日から28日までの2週間の予定である。目的地はブータンの東端、タシガン県だ。そこにはシェラブツェ・カレッジがある。そして、カルマさんの故郷の村バルツァムがある。タシガンまでは、山みちを車で3日間はしる。そこに滞在するのは、実質4日間だけである。みじかい日数のなかで、いろんなことをする。シェラブツェ・カレッジでは学生交流行事をやる。ちかくの小学校をたずねる。カンルン村の診療所、役所、寺にゆく。ヨーグルト工場を見学する。それからバルツァム村に移動する。そこでも役所にいったり、小学校にいったりする。村ではフィールドワークもするということだ。
パロから首都ティンプーへは50km、ティンプーからタシガンまでは480kmほどの行程
(第2回につづく)