ブータン自動車横断旅行 (3) ヒンドゥーのまつり

ブータン自動車横断旅行 (3) ヒンドゥーのまつり

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ドチュ・ラのチョルテン

ドチュ・ラ

あくる朝、ティンプーを出発して、トンサへむかう。

ティンプーの街をぬけると、みちはのぼり坂になる。20分ほどはしると、チェック・ポイントがあらわれた。カルマさんが手つづきをしているあいだ、わたしたちは車からおりて、みちばたの露店をみにいった。うりものは、リンゴ、ナシ、落花生、トウガラシ、乾燥くだもの、乾燥チーズなどである。ほしたナシをかった。にぎりこぶしほどのひと袋で150ニュルタムだった。

ドチュ・ラ(峠)についた。峠はなだらかな稜線上にある。標高3150メートルのこの峠は、ティンプー、プナカ、ワンディ・ポダンの三つの県をへだてている。はれていたなら、はるか北に7000メートル級のブータン・ヒマラヤのすがたをみたはずだった。おしいことに、峠の北東は霧にかくされている。

たくさんのチョルテン(仏塔)が墳丘のうえにたちならんでいる。これは、先代の国王の王妃が建立したものだという。2003年、インドとの国境地帯で反政府ゲリラとの紛争がおこった。そのとき、国王はみずから軍隊をひきいてゲリラを撤退させた。これらのチョルテンは、その勝利を記念しているということだ。数は108ある。

わたしたちは、峠のはしっこにおおきなつぼ状の香炉をみつける。サンブン(注)とよばれるものらしい。台座のうえに、たき口のあいた白いつぼがあり、どんぐり型の突起がついたふたがのっかっている。

安藤さんがいう。ここでいちばん観察すべきところは、まわりにちらばっている枝と葉だ。これをみれば、なにをもやしているのか一目りょうぜんだ。こういう炉でもやすのはマツやヒノキだと一般にいわれるけれど、ここではシャクナゲをもやした跡がある。こうした実際のことは、地元のひとにきいても、こたえてはくれない。まず目にみえることを丹念に観察することが必要なんだ。

わたしは反省する。わたしのフィールドノートの内容は、ひとからきいた話ばかりで、自分で観察したことはあまりない。わたしは聴覚にたよりすぎている。フィールド・サイエンスをこころざすなら、まず自分でみたことをいちばんに信頼しならなければいけないのだ。

(注)フィールドノートの記録では「サンブン」となっているが、帰国後いくつかの情報源でたしかめたところ、「サンタブ」としている例もみつかった。「サンブン」というよびかたもただしい。

ドチュ・ラのサンブン

ヒンドゥーのまつり

峠から一気にくだってゆくと、盆地がひらけた。ひろくなだらかな斜面に田がひろがる。道路は山すそをはしる。道路ぞいに民家や店がならぶ。わたしたちは、車をとめて1軒の食堂にはいる。おそめの朝食で、ラーメンをたべる。

とおりの反対側から、大音響のインド音楽がながれてくる。おまつりをやっている。ヒンドゥーのおまつりだという。おおきなテントのなかでやっている。わたしたちは、なかにいれてもらう。奥には祭壇があって、色とりどりの風船や菓子がそなえてある。司祭はベンガル人だ。わたしたちはみんな、額に赤い印をつけてもらう。ティカというヒンドゥーの宗教的な印である。おまいりがすむと、皿にのせた菓子をくれた。インド風のスナック菓子とペースト状のあまい米などである。

きいたところでは、これは車のまつりだという。わたしたちがご飯をたべているあいだに、ドライバーたちもおまいりをしていた。わたしたちの車のフロントは、ピンク・青・黄の水玉もようの風船でかざりつけられている。交通安全のおまもりだろうか。かえって運転のじゃまじゃなかろうか。

もう正午にちかい。30分ほど北へむかってはしる。

まもなく川の合流点がみえてきた。対岸にプナカ・ゾンがあらわれる。白い城壁にかこまれた三つの塔。なん層もの赤い屋根。プナカ・ゾンは三方を川にかこまれ、山を背にした城塞である。わたしたちは、川べりの高台にたって、この風景をながめる。二つの川はポ・チュとモ・チュという。男川、女川という意味だそうだ。

時間がない。もう出発だ。南にむかってひきかえす。バジョの町にはいる。ところが幹線道路は通行どめだ。舗装工事のさいちゅうだという。川ぞいの未舗装のみちに迂回することになる。

交差点に警察のトラックがいる。あのトラックも、ヒンドゥーのおまつりで祝福をうけてきたにちがいない。パステル・カラーの風船がフロント・ガラスの枠にくくってある。運転手は、いかめしい警察官である。なんだか不つりあいな印象に、わたしはおかしみを感じる。だれかがボレロの窓から手をふった。警察官はほほえんだ。

ヒンドゥーの車のまつり

プナカ・ゾン

西から東へ

ワンディ・ポダンの盆地をあとにする。道路は東にむかって高度をあげてゆく。

わたしたちは、ブータンを東西にわける山岳地帯にわけいりつつある。谷そこの急流は、しぶきをあげながら、灰白色ににごる。黒ぐろとした山やまが、ゆくてに屏風のようにつらなる。

ときどき山の中腹にひらけた土地がみえる。こんな山奥にも、ひとがすんでいる。いくえにも棚田がかさなる。斜面のいちばん上には家がある。たいていは1軒だけだが、2、3軒がかたまっていることもある。あの棚田をぜんぶ自力でつくったんだろうか。

このあたりの植生は、パロやティンプーの乾燥した谷とはちがう。こんもりとしげった照葉樹の森である。わたしたちは、この森の景観をみなれている。照葉樹林帯は、ヒマラヤ山脈の中腹を西の端として、数千キロもはなれた西南日本までつづいているのである。あの中尾佐助氏は、照葉樹林帯に共通する文化要素を発見して、照葉樹林文化論をとなえたのだった。

みちのわきに露店がある。わたしたちは車をとめる。ふとい木の枝を柱にした、ほったて小屋を屋台にして、ふたりのちいさな女の子がカキをうっている。値段は法外にやすい。

山はますますたかくなる。雲が山をめぐる。霧は谷をとざす。数軒の家がかたまった集落で、チャブサン(トイレ)休憩をとる。紅藤色の丸みをおびた花をつけた草が土手に群生している。野生のソバだという。

高度があがるにつれて、照葉樹林はすがたをけした。山は針葉樹林におおわれる。ペレ・ラはもうすぐだ。安藤さんは助手席の窓から前方をゆびさす。ウシがいる。ゆっくり道をあるいている。おおきな角をもった黒いウシだ。わたしたちの車は、あっというまにウシをおいこしてゆく。あのウシは、ふつうのウシとミタン牛の交雑種だそうだ。

車はなだらかなコルをこえる。これがペレ・ラか。標高3360メートル。この峠をさかいにして、ブータンは東西にわかれる。それにしては、あまりにあっけない。わたしたちは、ここでは停車せず、さきをいそぐ。

峠の西と東では、天気がちがうようだ。視界をとざしていた霧は、すっかりはれた。なだらかな谷がひろがる。うすく黄色をおびた緑、あるいはふかい草色の畑が斜面にパッチワークをつくる。わたしたちは、ある畑のまえで車をおりる。畑では3人の女のひとが刈りとりをしている。これはなんの畑だろう。うわっているのはキャベツだ。しかし、キャベツのあいだには雑草がおいしげっている。ちかづいてみてみると、それは野生ソバだった。かの女らが刈りとっているのは、このソバである。たべるのか。いや、ウシのえさにするらしい。

車で10分くらいはしったところで食堂にはいる。ブータン風のやき飯をたべる。午後3時半。おそい昼食である。きょうの宿泊地トンサまでは、まだとおい。トンサにつくころには、すっかりくらくなっていることだろう。

あまりよりみちばかりしていられない。とはいいつつ、出発してまもなく停車する。チェンデジ・チョルテンという巨大な仏塔をみる。塔の四方に目がついている。カトマンズにある仏塔ににている。このかたちの仏塔は、これまであまりみたことがない。ドチュ・ラのチョルテンは、お堂みたいなかたちのものだった。

夕ぐれがちかづいてきた。谷のむかいにトンサ・ゾンがすがたをあらわした。吉田君が車をとめてくれとたのむ。ここまでの旅行で、かれはゾンに対してたいへんな関心をしめている。わたしはかれの熱心さに脱帽する。トンサ・ゾンは、そのながい城壁を尾根のうえによこたえている。黒い山なみのなかで、白壁のゾンはきわだってみえる。

午後6時20分、トンサの宿にはいる。山小屋ふうのいい宿だった。

ウシとミタン牛の交雑種
キャベツと野生ソバの畑

(つづく)