熊野寮での徹底討論について

熊野寮での徹底討論について
書いたひと: KyotoScience

私が熊野寮に入寮してから約8年。高校生として「自由の学風」の神髄にふれてから早13年ほどがたった。これは私の人生のおよそ41%に相当する。その間私個人もティーンのクソガキ(失礼!)からアラサー博士研究員へと成長(?)し、京大内外の情勢も大きく変わった。昨日誕生日を迎えラスト・トゥエンティーを迎えるにあたって。この界隈、特にお世話になった熊野寮について、覚書を残そうとしてみた。

 そうはいってもいざ書こうとしてみるとなかなかに迷うものである。正直めぼしいことはほかの人が書くだろうし、私よりもディープな(元・現)寮生など無限にいる。悩みに悩んだ挙句、熊野寮の美風といえる「徹底討論」について私見を述べてみることにした。全寮制が対等な立場で寮生活を行う以上(熊野寮には私の知る限り、タテ社会のような指揮命令系統は存在せず、誰かが誰かに対して命令することは原理的に不可能である。そうした権限を寮生個人は誰一人としてもっていない。)何かしらトラブルが起こった場合には議論を行い解決する必要がある。その際に重視されることが「徹底討論の原則」である。

 人間関係を人質にして要求をのませることはそもそもハラスメントに相当することが多いし、対等な人間同士でやることではない。だってケンカしてもお互いそのまま寮には住むんですよ?「徹底討論の原則」はそうした寮生同士の共存の知恵でもある。

 では徹底討論とはなんなのか「相手の言っていることを100%理解する。自分の言っていることも100%相手に伝える。その上でお互いが納得できる落としどころを設定する。そのための手間暇を惜しまない。そして、お互いにその落としどころを実行することで互いの理解を深め共存への知恵を得る」ことであると考える。

 これは理想的に運用されれば異なる立場をもつ寮生同士が一緒に過ごすうえでの最適解を導出できる方法である。その一方で、議論に必要なリソースを一方的に相手に要求し最後まで議論についていけた人間が勝つ(「議論ボクシング」)可能性や、自説を通すことに執着してしまい自分の常識を疑わない(「常識マウンティング」)といった可能性を十分に排除できるものではない。熊野寮にはいくつかこうした状況を避けるための知恵が存在する。

(最初に言っておくが、いつもいつでも理想的な徹底討論がなされているわけではない。そもそも議論は難しいものである。議論に関してこれまでいやな思いをしたことのある方には多少抑圧的、もしくは理想主義的に思えるかもしれませんが、ご理解とご寛恕をいただければと思います。)

1.「傾聴」

まず、相手の立場や隠された理由を十全に理解すること、頭ごなしに否定しないことが大事である。たとえば「3日連続で風呂に入らない人」が部屋にいるとしよう。あなたに取っては迷惑でくさい行為なので部屋から追い出したいと思うかもしれない。しかし、その人が精神に重篤なダメージを負っていて、「実際には風呂に入ることすらままならない」人だとすればどうだろうか。その人に取って、生活の場を奪おうというあなたの主張は非常に攻撃的な、生存を脅かすものに映らないだろうか???「風呂に入らないのはダメ」「生活を壊すのはダメ」どちらの「常識」に従うべきだろうか???徹底討論はこのように「相手の立場を理解する」ことから始まる。ここから落としどころを探っていくのだ。

2.「議論ボクシングの禁止」

徹底討論の前提として「議論に応じられない人を排除してはならない。」例えば学振PDの書類締切前日に6時間の議論をふっかけて来る人を歓迎できるだろうか??もちろん限界があるが「議論を持ちかける側が」相手が議論に参加できるよう最大限の配慮をするべきだろう。例えば昨今の情勢下では会議のオンライン開催などが例としてイメージしやすいのかもしれない。

3.「人気投票の防止」

熊野寮も社会である以上。人気のある寮生、不人気な寮生等が存在する。元来そうした評価はまったく気にしなくていい(友人ならともかく、一度も話したことのない寮生に人気があるかどうかが何か意味を持ちますか??)べきである。ごくまれに寮内の貢献度等を議論に持ち込もうとする人がいる。そういう人には「それとこれとは別」だとはっきりと指摘する空気がある。どのような場合でもお互いにお互いを尊重するべきであり、関係ない過去の言動や前歴などは可能な限り論点から排除されるべきである。

4.「全会一致の原則」

「相手の言っていることを100%理解」して「自分の言いたいことを100%伝えて」「落としどころを可能な限り探っても」議論が相容れないことがある。その場合は多数決をとることになるのは寮内でも同じである。しかし、原則的には多数決は取られるべきではなく、多くの寮生が納得できる落としどころを最大限に探すべきであるというコンセンサスが取られている。少なくとも「多数決で決まったことだから」という理由で意見を押し通すことは推奨されていない。

5.「他者の尊重」

常に、如何なる相手も、自分と対等な立場の人間として扱う。逆に、自分も相手と対等な立場であると意識する。特に、関係性を盾に無茶な要求を通すことは絶対にしてはならない。

いかがであろうか。今回は代表的なものに絞ったが、一方的な命令や抑圧を防ぎ、理性的な議論を行ううえでの注意事項が散見されるのではないだろうか。

議論というのはメンドクサイ。一部の(寮外の)組織では議論そのものの工数をコストと考え、最初から話の通じるメンバーや社員のみを採用したり、権力や常識、モラル(と上位者が考えているもの)を振りかざすことで議論に割く工数を減らそうとする場合もあると聞く。組織を維持しアウトプットを出すうえではそうした運営も必要ではある。しかしながら世間でいうところの「外れ値」をしっかりと包摂(インクルージョン)するのがよいという熊野寮の方針とそれらは相容れない。なによりも、生きづらい!!!自分の家が生きづらければ死活問題である(給料をもらっていれば耐えられるのかもしれないが)。徹底討論は社会の中で息継ぎができる空間を維持するための切実な手段でもあるのだ。

【その他こぼれ話】

ロビー横の今はヘルメットがおかれている場所には、昔は大量の布団が置かれていた。昔の寮生は必要があれば布団をそこから持って行っていたが、ある時あまりにも汚いということで全部捨てられてしまった。正直私は熊野風邪の発生要因の一つだと思っていたので、捨てたことは英断だと考えている。ただ残念なのはその布団のなかに何枚か、石油の匂いがする布団があったことを軽視していたことだ。布団に石油を加えて放置する奴はいくら熊野寮生であってもいないと思われるので、何かを石油に変える微生物か何かが住んでいた可能性もある。当時は大学の研究室でアルバイトをしていたので、頑張れば何が住んでいるか調べることもできたかもしれない。もし布団から石油が沸いていたら、熊野寮自治会は今頃石油王であっただろう。いささかながら後悔の念がある。

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