共産趣味者ブヤコフ=マクシモヴィッチの機関紙 「クマウダ」第2号      ~東国編~ 2/4 

共産趣味者ブヤコフ=マクシモヴィッチの機関紙 「クマウダ」第2号      ~東国編~ 2/4 

この記事は、Kumano dorm. #2 Advent Calendar 2020の18日目の記事です。

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「クマウダ」第2号 ~東国編~1/4

<「東」の地の職場にて起きたこと(前篇)>

2020年4月1日、私は着慣れぬスーツを着て、都心のオフィスに初出社した。

オフィスに行くのはほぼ2年ぶりであった。なぜ2年前なのか、というのはもっともな疑問であるが、理由は単純だ。予期せぬ留年の結果、当初の5カ年計画が崩壊し、大学生活6年目に突入してしまったからだ。多くの共産主義国が5カ年計画に失敗してきたのに、それを強引にやろうとした私は無謀だった。留年の事実を5回生の終わる頃、つまり2018年度末に会社に伝えたところ、幸か不幸か「1年待つ」との返答を得た。
内定式のようなもの、事前準備は一切無かった。従業員数100人以下の小さい会社であるため、皆忙しいのだろう。実際、この推測はそう間違っていなかったことが後々分かる。
出社したは良いが、社員の姿はまばらであった。それもそのはず、この頃東京はコロナ騒動真っ只中であり、多くの会社は通常の出社形態から在宅勤務に切り替えているまさにそのタイミングだった。私の会社も例外ではなかった。パソコンや資料を支給され、翌日から当分はずっと在宅勤務である旨が社員より告げられた。
初出社の日に初めて、同期が2人いることを知った。2人共外国語を専門としていた人間で、少し話した感じ、気が合いそうだと直感した。しかし、かれらと次に顔を合わせることができたのは在宅勤務が明けた6月上旬である。かれらとの会話も早々に切り上げ、私は帰宅した。

私が入社した会社の業種は、ずばり商社である。主に日本製品を調達し、海外への輸出を請け負うのが我々の仕事であった。そういう仕事をするとなると英語力は絶対である。会社の人間は皆ある程度以上は英語ができた。中には英語に加えて、フランス語、スペイン語など他の言語もできる社員もいたし、外国人も働いていた。
私の会社は旧ソ連向けの輸出もしばしば扱う。つまり、私のロシア語力を活かす機会もあるだろうと踏み、私はこの会社に興味を持った。会社も私にロシア語要員としての役割を期待したようである。
後で分かったことだが、私の会社には理系出身の人間は私以外に1人しかおらず、日本人の社員はほぼ全員大学時代に外国語を専攻としていた。上記のような業界故、当然と言えば当然だろう。ただ、その理系出身のもう1人が私と同じ地学専攻だったのは面白い事実である。

在宅勤務期間中の主な業務は、扱う日本製製品の日本語カタログを英訳する、というものだった。言わば雑用の一種だ。しかし、私はこの雑用が好きだった。
私は大学時代、好き好んでロシア語の映画の日本語字幕を作成していたような人間だ。

唐突な宣伝:
私がyoutubeに日本語字幕をアップロードしたソ連映画↓見てね
youtu.be/P2_sjEURwgo
宣伝終わり

和文を肚の底に飲み込み、これだ、という英単語を探し出してまた吐き出す。言語の世界の探索は楽しいものだ。しかも、なぜかこの翻訳作業を急かされることはほとんど無く、仕事はストレスフリーだった。勿論、残業も無く、私は平穏な生活を謳歌していた。

翻訳ばかりしていた在宅勤務期間は5月末で終了し、6月から再び出社するようになった。同時に、それまで保留されていた私の部署配属も、再出社直前に決定された。なんと、直属の上司(以下Z氏と呼ぶ)は元ロシア語学習者であることが判明。

「ロシア界隈の人間であればきっと気も合うはず。会社のロシア閥を作るぞ!」

そう能天気に考えていた私は、森見登美彦氏の小説「四畳半神話体系」の主人公以上に救いようの無い阿呆であった。

to be continued…

続き→ 「クマウダ」第2号 ~東国編~3/4
    「クマウダ」第2号 ~東国編~4/4