今日から更新する「がけのさやこ音楽日記」
がけのさやこという名で活動し始めたあたしの音楽に関する思いや活動をつづったエッセイシリーズである。
音楽をなぜやろうと思ったのか、何を伝えたいのか、そういうことはやはり文字にしないと伝わらないし、自分自身も忘れてしまう。
読者の方がこれを読んでわたしの曲に興味をもってくれたらなおさら嬉しいし、何よりも自分の救いにもなるだろう。
どうか、皆さまお付き合いの方よろしくお願いします。自分の作った歌詞解説なども書こうと思っています。
2020年1月13日 がけのさやこ
2020.2.24
どうしてあたしは音楽やるなんて言い始めたんだろう?
あたしのことを良く知っている友達ならわかるとおもうけれど、あたし今まで音楽をやりたいなんて言ったことないんだ。
たしかに、小さい頃はピアノをしていた。小学生のころは合唱団にも入っていた。
でもどちらも中途半端。
ただ友達が入っているからという理由でやっていたようなもんだった。あたしの小学生の幼馴染たちの方が、よっぽど楽しそうに歌うのを楽しんでいた。ピアノも6年やって結局ブルグミュラーも終わらなかった。
中学に入っても、吹奏楽部への憧れよりバスケ部のかっこよさに惚れ3年間バスケばっかりしていたし、高校に入ってからも、軽音カッコいいなぁと思いつつも、結局ハンドボールに明け暮れて終わった。
中学生のころ好きなアーティスとといえば、BUMP やRADだった。
ひたすら姉ちゃんからもらったipodに入ってた曲をずっと聞いていた。
だから少し古いやつの曲たち。
どれも闇があって聞いているとすごく心地良かった。
あとアイポッドに入っていたのだめオーケストラや、自律神経が整うピアノの曲、various classicという有名なピアノの曲が入ったアルバムをずっと聞いていた。
オーストラリアに行くと、しだいに英語の曲に興味を持つようになり、ヒットチャートやsting、lordやテイラースウィフト、またもともとアイポッドに入っていたビートルズ、マイケルジャクソンをよく聞いていた。
そう、そう考えてみると、あたしの音楽の基礎になっているのは、お姉ちゃんからそのまま受け継いだアイポッドに入っていた曲なんだ。
自らで発掘してきた音楽なんて聴いたことがなかった。
私の音楽は全てアイポッドの中に詰まっていて、その中の曲によってあたしの音楽の感性ははぐくまれてきたのだと思う。
自分でTSUTAYAに行ってCDを借りるなんてことはしたことないし、エムステも面白いと思ったことがほとんどなかった。
自分で音楽を見つけようという姿勢は周りの同級生、お姉ちゃんに比べたら比べ物にならないくらいの低さだったと思う。
そんなあたしがなぜ音楽をやるというのか?
あたし、女神になりたい。
そんな風に思い出したのは、いつごろからかなぁ。
人間失格を読んだ時、この人のそばに私がいてあげたらどれほどいいいだろうと思った。
ドキュメンタリー番組でいじめに苦しむ生徒を見れば、あたしが友達になってあげたいと、ひきこもりの人がいればあたしが抱きしめてあげたいと、人生に絶望した大人を見ればそんなことない、まだまだやれるよと言いにいってあげたかった。
絶望の淵で苦しんでいる人、死にたいと思っている人のそばにいって、ただただぎゅっとしてあげられたらどんなに幸せだろう。そう、心の底で思い出したのは中学生のころだと思う。
でも、現実はそんな上手くいかない。自分にいじわるする人は嫌いになっちゃうし、自分から行きすぎたら相手から不審がられるし、みんなのこと大好き大好き大好き助けてあげたい、ぎゅっとしてあげたい、なんてそんなこと言えるわけない。
言ったとしてもみんなから変な目でみられるのもよくわかっている。しかも、みんなのこと大好きなんてあたし自身言えるわけない。
と書いていると、まるで女神になりたいけどなれない、だから音楽で女神になる、みたいな流れになりそうだが、それはあっていて間違っている。
人を救う音楽をしたい、そう思う前に音楽に救われたのはあたし自身だったもの。