ねぇ、ヨシダ君。
きれいにみせるのには、コツがいるのね。
わたしね、かいたものは、ぜんぶ、だれかのこころにかならず、ひびくものがあるから、そのまま、その生み出された姿そのままで、いいと思っているの。
いくら、下手くそでも、いくら、独りよがりでも。
でもね、きれにみせるのも、とても大切なことなのね。
そういうことも、気が付いたわ。
漫画の編集者っているじゃない。
わたし、最初は、編集者って、作家の人苦しめる仕事だって、勝手に思い込んでいたのだけれど、それは、まぁ、ある意味では、あっているところもあるけれど、でも、一番大事なところをみれば、とても素晴らしい仕事だと思うわ。
作家が作ったものを、多くの人に見てもらえるようにする仕事よ。
それは、べつに、漫画家だけではなくて、例えば、歌手や、画家、小説家、研究者、政治家、プログラマー、いろんなところで、そういう仕事をする人たちはいるのね。
創るものと 見せるもの
どちらもが、同じ方向を向いた時、それはすごい力を発揮するわ。
そして何より、最初っから、どちらもわたしたちの中にあるのよ。
どうやったら、自分の伝えたいことを相手に伝えられるか。
どうやったら、みやすくわかりやすく書けるか。
創れるか。
わたしはね、「自分らしくつくること」そのことに、ものすごく、重きを置いているわ。
置いていたのよ。
だって、最初から、誰かの目を気にしながら作るとき、それは、自分自身にここまでは表現していい、ここまではだめ
という足かせをつけているようなことじゃない。
特に、こどもになんかは、最初っから、人に見せる、そういうことを意識して書かせるよりも、自由に、自分の普段は表現できない感情を爆発させる、そんなことが、大切だと思っていたわ。
もし、芸術が、人のいのちを救うものだとすれば、それは、作り手自身が、自分の作ったものに、救われる、そういうことが、一番初めにあると思うの。
それは、わたし自身の経験よ。
でもべつに、それが正解、というわけでもないの。
そもそも、言葉は誰かに伝えるために生まれてきたものだから、誰かを意識して書くというのは、当たり前のことだわ。
誰かの受けをねらって創るのも、自分らしいことだし、同じように、意味のあることだと思うわ。
きっとね、「自分らしく」、なんて、そんなことは言葉の世界の中の話で、
実際におこっていることは、しんどさ、とか、ここちよさ、そういうことの程度の話なのだと思う。
このやりかた、このありさまになれば、納得できる。そういうここちよさ。
自分目線か、他人目線かに関わらず、ね。
なんでも、伝えたいから、何かが生まれるもの。
わたしは、どちらも、大切にしたいけれど、でも難しいわね、なかなか。
きっと、難しいと思うのは、そこに宝物のような大事なものが眠っているということよ。
きれいにみせよう
わかりやすくみせよう
みんなに好かれよう
下手くそなままでいい
わかりにくくていい
独りよがりのまままでいい
人に見せる
自分がどう思われるか、気にしながら、でも全く、気にしないで。
わたしは、その両極端の方向に、自分の腕をのばしていきたいと思うわ。
1998年2月2日 東京郊外の家にて