「京大らしさ」をめぐる冒険 2

「京大らしさ」をめぐる冒険 2

はじめに

 

2020年春―

コロナ禍の京都大学に入学した私は思い描いた「京大」と現実の京都大学とのギャップに戸惑っていた。

 

世間一般の感覚からはズレているが、博学で天才的な発想や持論を展開する自由な学生達

岩波文庫を読みふけり、芸術や文学から政治に至るまで幅広く議論が重ねられて更けていく夜

自由な教授による学問的知識だけでなく、議論や対話によって成長が得られる授業

多様な立場から集い、それぞれの思想や考えをぶつけ共に競い合う個性豊かな仲間たち

 

そんなものはなく、

ただ私と同じようにこうした理想を抱えて現実に戸惑う少数の学生がいた。

「コロナ禍だから」

「対面授業があれば」

「サークルや部活では」

その言葉も頼りなく響く2回生になった私は「京大らしさ」について考えてみることにした。

私が求めていた「理想の京大生活」は、本当の「京大らしさ」とはどこにあるのか。

 


人は私たちの大学のことを「京都大学」と呼ぶときと「京大」と呼ぶときがある。
前者には京都市左京区に吉田キャンパスを構える国立大学法人という「客観的」な対象を指し、後者には当事者としての経験や付随する文化や歴史、内包する学生や学風を意識した「主観的」な響きがある。

前提として「正式名称」「略称」という関係があることは無視できないが、人々が「京都大学」を「京大」と呼ぶときに、そこには客観的な現実以上にかつての姿や願い、理想や思想が付随してくる。この文章ではこうした様々な事物や経験、思いを背負い、我々のアイデンティティを補強し、ときに問いかけてくる「京大」を扱う。


 

1.「京大らしさ」とは

これについて決して多くはないが、京大生を対象にした調査によっていくつかのキーワードや重要な観点を上げることができる。

 

例えば日本建築学会の「京都大学吉田キャンパスの学部空間に対する意識分析」では、大学生がキャンパスへの意識を調査するために昭和59年(1984年)当時の学生に聞き取り調査を行った結果が掲載されており、その中に「あなたにとって京大らしさとは何か」という質問が存在する。

(小林正美・東山純一・川崎清「京都大学吉田キャンパスの外部空間に対する意識分析」『日本建築学会径角形論文報告集』第378号・昭和62年8月、p60より引用。「あなたにとって京大らしさとは何か」の問いに対し得られた216個の回答が示され、全く同じものをまとめたうえで7つのカテゴリーに分類したもの。)

 

当時の「汚さ」「ごちゃごちゃ」などは当時の資料などからも読み取れる。これはタテカンやビラの散乱する「カオス」がこの論文でも指摘されているように教養部付近に濃く存在していたという注釈が必要になる(共用部構内ではバリストが頻発、大量のビラが舞い散る。教養部最大のA号館、その地下には学生共用スペースがあり、バーがあったとか。)。上の表の「学生気質」や「自由さ」の項目に関しては、現在にも通用する「京大らしさ」を見ることができそうだ。

 

卒業生などを対象に聞き取り調査を行った2009年の「京都大学らしさの根源を探る」調査研究報告書では、聞き取りが行われたエピソードをもとにいくつかの興味深い分析がなされている。

「大学の四年間ほとんど勉強してないですよ」

という言説は、なぜか京大の卒業生が学生時代を振り返る際に頻出するもので、「京大らしさ」の或る一面をいいあててるように思われる。

むろん、大学生活をサークル活動や部活動にささげた想い出をもつ者は世間にたくさんいるし、それは何も京大生に限られた経験ではない。にもかかわらず、この種の発言がいかにも「京大らしい」ものであるとすれば、それはこの言説が、或る落差を効果的に利用し、あるいは演出するものだからである。ようするに、京大生「なのに」勉強しなかった、という落差である。

アカデミズムの世界を代表する京大にいながら、その世界から「逸脱」すること―――それは、「常識」や「大勢」や「要請」から独立していることの<記号>として機能する。したがって、「勉強しなかった」というメッセージを京大生が発すると、そのメタ・メッセージは「怠惰」や「無能」ではなく「独立自尊」や「唯一無二」となる。

小野文生「<学>における<風>の存在理由 ―『京大らしさ』へのひとつのパースペクティヴ―」鈴木晶子『「京都大学らしさの根源を探る」調査研究報告書』、2009年、p.47

 

 つまり、「京大らしさ」は必ずしもはじめから実体のごとくあるのではなく、何か名状しがたいユニークで逸脱的なできごとが生じたときに、それを「京大らしい」と表象して許容するという行為が、まさに遂行的に「京大らしさ」を産出しているというわけである。

「おまえ、京大生やったら、これくらいのことは知ってるやろ?」という圧力が教養測定テストとなりもすれば教養への渇望を生み出しているのと同様に、「おまえ、京大生やったら、これくらいの<京大らしさ>は受け容れられるやろ?」という圧力が「京大らしさ」測定テストとなり、また「京大らしさ」への渇望を生み出しているのではないだろうか。そして、「教養」が知る者と知らない者とを無慈悲なまでに線引きするように、この「許容」が自由の学風を受け継ぐ者とそうでない者を線引きしてゆく。

小野文生「<学>における<風>の存在理由 ―『京大らしさ』へのひとつのパースペクティヴ―」鈴木晶子『「京都大学らしさの根源を探る」調査研究報告書』、2009年、p.50

こうして挙げたもののほかにもさまざまに「京大らしさ」を見出すことはできる。(最近の調査としては2020年の「「京大生らしさ」と京大生の自己認識」という論文があるが、今回は引用しない。)

 

2.「京大」は死んだ/学生運動という「大きな物語」の喪失

ではそうした「京大らしさ」にはどこに行けば出会えるのだろうか。今の京大にはなくても、かつての京大にはあったはずだ。現在まで細々と受け継がれてきたサークルや文化がそれらを示唆している。それでは少し前の京大生について調べてみよう。

1997年に発表された「京大生の生活と意識について考える-比叡山討論会のイブニングセッション記録」では変わりゆく学生に全学共通科目が対応していくために、当時の京大4回生への意見調査をもとに教授たちが「今の学生」を捉えるべく議論を交わしている。例えばこの【京大生の趣味・読書】という項では

例えば多くの学生が『朝日ジャーナル』を読んでいる時代の教養教育と『ジャンプ』『スピリッツ』『マガジン』を愛読している時代の教養教育とでは、話がまったく違ってくると思うのです。

『おすすめのコミックス』というのも調べていますが、私なんか中身はまったくわかりませんけれども、蘊蓄マンガの『マスターキートン』、これが京大生の一番のおすすめだそうです。その次はギャグマンガで『動物のお医者さん』。医学部の学生が読んでいるのでしょうかね。

なかでも当時の文学部長の調査結果への感想は衝撃的だ。

しかし今の学生には、自分たちが日本を背負っているという意識は全くないと思います。これはある意味ではいいことです。昔のエリートの意識は鼻持ちならないという面がありましたから、それがないというのは結構なことなんですが、しかしまたああいう時代を知っている人間としては非常に物足りない。要するに京大生というのは話を大ざっぱにすると日本の他の大学の学生に比べていくらか成績がいいだけで、他の点では全く同じじゃないかと思うんですね。だから音楽とかコミックの本、結局はベストセラーですね、要するに。特に京大生だからということは全くない。

(傍線は筆者)

文学部長の「ああいう時代」それは、本人が入学した50年代の京都大学を指す。

「岩波文庫を読みふけり、芸術や文学から政治に至るまで幅広く議論が重ねられて更けていく夜」

という私の理想が、教養主義はびこる1950~60年代の大学にたどり着く。

当時の学生たちはよく学び、活発に議論した。

それには「万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度」であり、過去の蓄積と古典の前にひざまずくことを求める教養主義が影響している。旧制高校を中心に読書を通した人格の完成までも目指したこうしたムーブメントは、マルクス主義とともに発展した。竹内洋は『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書)のなかで、マルクス主義と旧制高校的教養主義が「双生児」だった理由として、知的青年の社会運動としてマルクス主義が勢いをつけてきたこと、これまで日本の知識人がドイツの学問を崇拝してきた下地があったこと、読書を通した人格完成を求める教養主義とマルクス主義の読書会や体制同調型を敵とする姿勢の相性が良かったこと、そして古典の前にひざまずくという教養主義の象徴的暴力に対して「新しい教養」であるマルクスという知識を身に着けることでその暴力関係の逆転を果たすことができることが挙げられた。

「新しい教養」であるマルクス主義は大学の多くの学生に広まり、様々な運動が組織された。

学生運動が彼らに議論を求めた。

学生運動を行う彼らは「革命」という大きなテーマについて喧々諤々議論を交わす必要があり、そしてそれが運動を支えていた。デモ1つ起こすのにも、抗議声明を一つ出すのにも、運動の方針から集団の些事にまで、それらすべては学生たちに議論を求めた。(こうした残滓はいまも自治寮の各所に見出すことができる。)

当時の学生の議論についてイメージしやすくするためにここでは、1950年代と60年代の学生運動を描いた大島渚監督の『日本の夜と霧』の1シーンを引用しておく。

 

中山たちにフォークダンスに誘われるシーン

 

「歌や踊りがマルクス主義とどういう関係があるんだ。ロシアやスイスの民謡を女の子とうたうことが、革命と何のかかわりがある。」

「はねあがりだなあ。相変わらず。」

「1年前、破防法の時。火炎瓶闘争の時には日和見って言われたぜ、君たちに。今ははね上がりか。」

「すべてを話し合いで解決する時代になったんだ。朝鮮休戦以来世界的にも平和共存の..」

「わかってるよ。方針が変わったのは。だから俺たちもこうして研究活動を進めてるんじゃないか」

「それが気分的に孤立してるのでなければいいけどな。一緒に声を出して歌をうたっているうちに、統一と団結が生まれてくる。そういう大衆的な感覚を身につけなければ学生運動も革命も一歩も進まないんだ。」

 

寮内で捕まったスパイの見張りをしながら、廊下で昨日の全体会議について語るシーン

「野沢。こんどのスパイ事件は別としてだが、一般的に中山のやり方は独断的すぎると思わんか。我々のように社会主義に対するイメージを持ってるものはなんとか我慢できるが、学生運動の入り口当たりでどうしようかと迷ってる連中は中山を嫌ってる」

「どういう風にだ。人々を強力な行動へ押しやるためには彼くらい強引な説得力がなかったら何にもできないよ。」

「宗教なら、信じるか信じないかの二者択一でいい。しかし、政治というメカニズムの中では、あれかこれかという押し付けは良くないと思うんだ。それでは、あらゆるエネルギーをくみ上げることはできない。」

「一握りの前衛が闘えば後の連中はついてくるよ」

「しかし、その一握りの前衛が前衛であるためには、あらゆる大衆の支援を必要とする。中山のように、信じるか否かで切っていければそれはもう政治じゃあない。組織論抜きで学生運動は考えられないな。」

「おい。おまえ怖気づいたんじゃないか。」

「フン。正直なところあまり気が進まないな。俺は、妙な虚無感と孤立感に囚われてんだ。」

「いまさら裏切りもんになんなよ」

(書き起こしは筆者)

運動の方法をどのようなものにするか。自らの立場をどこに位置付けるか。思想や運動への態度表明。革命とはいかなるものか。何を正しいと思い、何を糾弾するのか。主張を掲げ、批判を飛ばすことではじめて彼らは行動することができる。つまり彼らはマルクスというバイブルを手に、「学生運動」という大きな物語の中で「革命」や「資本主義」という共通のテーマについて話し合えばよかった(ここはテーゼとしておくべきか。)。

しかし学生運動は1968年の東大安田講堂を境に沈静化。

政治の時代はゆるやかな終焉を迎えた。

京都大学は今でも各所に当時の残り香を漂わせている。

しかし私たちは決定的に、学生運動という「大きな物語」を失ってしまった。

 

先ほど引用した「京大生の生活と意識について考える-比叡山討論会のイブニングセッション記録」では、調査をする中での印象的なエピソードがある。

人間というのはだいたい面白いことがなければ著名な教授の命令でも動きませんので、教育学研究科と経済学研究科の院生に手伝ってもらって集計して、「マルクスが第何位に入ってくるか」という賭をして、この集計をやったわけです。マルクスは全然入ってこないんですね。1冊だけ『資本論』が出てきただけで、他の著書は全く出てきませんでした。

梶田叡一「京大生の生活と意識について考える-比叡山討論会のイブニングセッション記録」pp.170-171

 

「今の学生」は教養書を読みふけり、活発に議論を交わしたりするだろうか。

自治勢力が声高に叫び、寮生が冗談交じりに振り返る「京大」はとっくに死亡している。

 

3.「京大らしさ」というレムナント/私たちに残された「中くらいの物語」

ポストモダン的な状況の中で学問や趣味は多様化し、教室で隣に座っている学生と共通の話題を持つことは難しくなった。かつてのようにマルクスなど誰も読んでいないし、学生運動もない。政治に関心を持つ学生も減少し、議論といった他者との社交によって生きる意味を見出す近代的なやり方も難しくなった。

こうしたポストモダン的な状況の中で我々から議論は失われていく(場合によってはオタクたちによって議論が行われるが、それは個々の作品世界という小さな物語についてである)。

しかしその一方で、時計台占拠や寮の問題、タテカンなどの文化といった物事に対して京大生は敏感に反応し、Twitter上でも活発に言葉が交わされれる。

その中にこういう指摘があった。

 

 

「京大らしさとは」というアイデンティティに結び付く問題や学生運動時代から引き継いだ自治勢力やタテカンなどの文化というテーマしか、私たちは共通の議題を持たない。学生運動の頃のような、多くの学生が参加し、本気で考え言葉をぶつけあえるような「大きな物語」はもはや持てず、「京大らしさ」に付随するいくつかの物事という「中くらいの物語」しか残されていない。

しかしあの頃の残骸であっても、それらは確かに学生を惹きつける。

「京大」について語るとき、私たちははじめて「京大生」になれるのだ。

「京大らしさ」について語ること、それが現代の京大生に残されたわずかな議論の場なのである。

それ以外に一体何について私たちは言葉をぶつけあえるだろうか。

 

 

4.「京大はおもろい」を語るとき

私たちに残された議論のテーマ「京大らしさ」や京大文化の「おもろさ」を語る。しかしそれ自体の構造も、議論のための基盤が失われた倒錯した状況を示している。

私たちは「京大らしさ」や「京大はおもろい」として「タテカン」や「学生の集会や運動」を語る。

しかし「タテカン」も「運動」も本来は(大学→社会)のためのメディアのはずだ。なぜタテカンは百万遍に立つのか。それは大学ではなく、社会に京大生の声や考えを発信するためである。現在京大生が行っている運動や活動もほとんど大学の外を向いたもので、デモなどは最たるものである。

なぜ大学から社会に出てきたものについてわざわざ京大生が議論を交わすのか。それは学内で議論を交わす基盤が失われているからである。

学生運動やかつての京大であれば、活動として大学の中で何が行われてどんなことを考えているのか。それは集会であれアジであれビラであれ噂話であれ、学内の人間に共有されてきたはずだ。それを支えたのは自治会であったかもしれないし、学生団体やサークルであったかもしれない。しかしそうした基盤はコロナ禍という断絶期間もあり、ほとんど破壊されてしまっている。

だからこうして大学から外に出てきたものを事後的に知り、論じることになる。本来は自らも大学の一員として彼らの行動に文句や批判をつけたり、逆に列に加わったりカンパを投げたりしているはずの京大生は大学構内から疎外され、一般市民と同じタイミングでしかこうした動きを知ることはできない。

 

5.これからの「京大」

学生運動の時代までさかのぼり、これまで理想として掲げられている「京大」は死んでいるということを述べた。そうしたうえで私個人の気持ちを述べたい。

以上の結論は、現状の大学に絶望とまではいかないが失望して、様々なことを目にして現実主義的になった私が導いたものだ。もちろん「京大生はだらしない!マルクスを読んであの頃のように学生運動に没頭しろ!」と言いたいわけでもないし、自治や自由に冷笑的な態度をとるつもりもない。ただ「京大」というものを考えるときに、そこには学生運動や時代の影響が少なからずあったのではないかということを、整理してみたかったのだ。その中で「京大は死んだ」という宣告を出してしまっていいものか、これは大いに悩んだ。現在もこうした「京大」を信じ、もしくは理想の一部として抱き、途切れそうな文化や伝統の継承を担っている学生がいるのはよく知っているし、現在も学歴社会の中でエリートとしての地位を占める我々が「京大」を否定することは就職市場の中でマイナスにしかならない。

しかし一方でこうした幻想が、かえって多くの学生が「京大」を描く妨げになっているのではないかと懸念する点もある。京都大学で「京大」を語るためには一定の左翼運動と、京都大学や大学をめぐる学生運動の歴史を知っている必要がある。もちろんこれには理由があって、「京大」にはこれまでの積み重ねや確約、歴史が前提になるからだ。吉田寮と当局とのこれまでの確約の経緯を知らなければ、吉田寮問題について語ることはできないし、彼らの主張を理解することも難しいだろう(この点で当局の入寮停止措置や新入生へのチラシ配布などの”ネガキャン”は、「体制側」としての強い説得力をもつ)。

では今の学生はみなそうした歴史や経緯を学び、学生運動の頃の「京大」を望むだろうか。大学をめぐる状況はあの頃とは大きく変化している。人々が何を望み、どう生きるのか、何を望んで京都大学を受験するのか。卒業後にどのような道を歩むのか。何を読むのか。何をしてる奴が評価されるのか…。

先ほど引用した竹内洋の『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書)では、教養主義の「アンティ・クライマックス」として、1970年代産業界による学部ごとの専門性を無視したの大卒の大量採用をあげている。「ただのサラリーマン予備軍には専門知や教養知を必要としない」。大学で重んじられてきた教養的な知識から、機能的な専門知への移行が叫ばれた。大学とは何で、何を学ぶのか、学生として何をなすのかも、もはや「あの頃」のように自明なものではなくなった。

これからの「京大」は、大学は、どうなるだろうか。すくなくとも一つ言えそうなことは、産業界が大学の運営にどんどん参画してくるということだ。「稼げる大学」「稼げる研究」、ビジネスマン達が唱える「大学改革」を前にして私たちは何を思うのか。

私は今の学生が何を望み、何を考えるのか、押し付けるのではなく、耳を澄ませてみようと思う。

どうしようもなく失われた「京大」の亡霊ではなく、今を生きている学生達の声から新しい「京大」を作り出せるように。

コロナ後には「京大」の新しい姿が学生の中から生まれることを願って、ここで筆を置かせてもらう。

 

参考文献

小林正美・東山純一・川崎清「京都大学吉田キャンパスの外部空間に対する意識分析」『日本建築学会径角形論文報告集』第378号・昭和62年8月、pp.58-65

杉本恭子『京大的文化辞典 自由とカオスの生態系』フィルムアート社、2020年

小野文生「<学>における<風>の存在理由 ―『京大らしさ』へのひとつのパースペクティヴ―」鈴木晶子『「京都大学らしさの根源を探る」調査研究報告書』、2009年

梶田叡一「京大生の生活と意識について考える-比叡山討論会のイブニングセッション記録」京都大学高等教育研究第3号

竹内洋『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』中公新書、2003年

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書、2001年

 

映画

大島渚監督.日本の夜と霧.桑野みゆき,津川雅彦,小山明子出演,1960.松竹株式会社(配信)(https://video.unext.jp/title/SID0034612?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&rid=PM031707727)