この文章の主人公は、京都大学総合人間学部に通う平凡な大学生、きたのさやこである。
彼女は、大学に入ってからというものの、やりたいことはたくさんあるのになかなか実行できず、大学生活をイマイチ楽しめないでいた。
彼女は求めていたのだ。自由で楽しいせいかつを。そんなある日、彼女は、ある本を見つける。
坂口恭平「生き延びるための事務」
そこには、こんな説明がかいてあった。
生きのびるために必要な事務という秘宝を求めて、案内人ジムの導きとともに当時21歳だった坂口恭平が突き進んでいく、スーパー事務アドベンチャー小説
読み進めていくと、なんと、なんとそこには、まさに、さやこと同じ状況に置かれている大学4年生恭平君が、ジムという事務のプロに導かれて、いかにして自己実現をしていったかが描かれているではないか!
これは、わたし、もう、今の私の聖書だ、バイブルだ。おいらは恭平君だ。
どうか、ジム、私の元にも来てくれ!!!
願ってみると、案外、あっさりと、いや、実はそんなにあっさりとじゃないけれども、わたしの元に現れてくれた。
というわけで、この物語は、きたのさやこの自己実現をめぐって、さまざまなキャラクターたちが現れ、彼女を行くべき方へ導いてくれる、スーパー事務アドベンチャー小説です。
実際に登場する人物は、存在したり、しなかったり、します。このものがたりはフィクションだったり、ノンフィクションだったりしますが、たしかにこれは、わたしの創り話ですので、どうぞ、あまり深く考えすぎずにお楽しみください。
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「あ、ジムだ、ジムだ、ジムがわたしの元にもついに来てくれたんだね」
「はい、きましたよ。だって、あなたがたくさん呼ぶから。それで、さやこさん、一体、あなたはどうしたいのですか?」
「え?いきなりだね。えっと、どうしたい?これから授業だよ、どうしよう、もう、このアドベンチャーものがたり書き始めたから、全然、多分、授業手につかないんだけど、どうしたらいんだろう、こういうの、めっちゃストレス。だってさ、もう、こういう文章って衝動で書かないと書けないんだよ。なのに、他の予定に邪魔されるなんて。。。。あぁぁ!しかも、次の授業第一回言ってないんだよ!シラバスには必ず出席するようにって書いてあったんだよ!!
どうしよう!どうしよう!桂山先生に早くいって、相談してみようかしら!」
「………。」
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「はぁ…ジム、授業受け終わったよ。急いで、教室行ったらズームだったよ。びっくりした。でね、授業受け始めたらさ、もう桂山先生のはなしめちゃくちゃ、早くって、もうわたしの耳の感受できる周波数じゃなくてって、意味わからなかったよぉ…だけどさ、授業進むにつれて、だんだん、詩をみんなで読むんだけど、それがすっごくよくってさ、桂山先生のなんていうんだろう、解説がすっごくわかりやすいんだよね…、それで、鵜飼ちゃんっていう2回生のときに、村瀬先生のゼミで出会ったともだちもいてさ、個チャで、久しぶりです!って連絡してくれてうれしかったなぁ~でもさ、パニックになっちゃったでも、やっぱり。」
「あぁ、わたしもそばにいましたよ。さやこさんって、ほんとに、つまらなくするのが上手だなぁって思いながら授業みてました。さやこさんのあたまの中で」
「え!そうなの!え、そうだったの、
はぁ…つまらないね…はぁ…思い当たりありすぎる…」
「はい、とっても、つまらない。ほんとに、つまならないことを考えますよね。つまらなくなるようなことしか考えないから、自分でかってにパニックになって、つまらなくなってるんですよ。」
「…うん…」
あぁ、、、授業難しいなぁ、というかつまらないなぁ、せっかく、楽しんで授業受けようと思ってるのに、もうさっそく楽しくないなぁ。。。。これじゃぁ、前期のにのまいだ。なんでこんなくそつまんない授業するんだろう、先生が悪いのかなぁ…だけど、先生のせいにしてるけど、これって自分のせいなのかな、もっと態度を変えれば、どんな授業もたのしくなったりするのかなぁ。。。。あぁ、でも、小学校のとき不登校だったこたちって、めっちゃそういうつまらない授業バカにして、さぼってたよなぁ…岡本太郎くんとか。。こうやって、がんばろうとしている自分自体がもうつまらないのかなぁ…
せんせ、いったい、何話してるんだろう、1.2回さぼったし、わけわかんない…
わからないことあっても、わからないことありすぎて、どこがわかんないかわからないから、わかりませんって言えないし、聞いたら「おまえ!もっと勉強してこい!」とか言われそうでめっちゃ怖いなぁ…
怒られるのが一番怖いことなのに…。はぁ…。初歩的な質問過ぎて聞けないなぁ…
でも、やっぱり授業を楽しくしなきゃいけないし、ついてかなきゃいけないから、帰って調べないといけないかなぁ…予習?でも、そうやって、調べようと思っても、めんどくさすぎて、というかどうでもよくて結局調べないから、次の授業もあぁ、わからないなぁって、思って、あぁぁぁ。。。。またパニックになって。。
これじゃ、ほんとに前期のにのまいだ。これじゃあ、ほんとに前期のにのまいだよ!
授業ではなんか質問したりするけど、結局家じゃ無気力だから、やれなくて、死にたくなって。。。
どうしよう、どうしよう、努力が足りないんだ、努力が足りないんだ、もっとがんばれよ、自分、もっとがんばれよ、自分。。、
でも、大学って授業が悪い。先生が悪い、こんな学びをつまらないものにする、やつらが悪い!
という風に、責められたらいいんだけど、、、自分も悪いしなぁ…、とにかく楽しんで受けたいんだけど、、、楽しんで学びたいんだけど…はぁ…助けて~ジム。。。。同じことくり返してる…。
「はい。ジムです。来ましたよ。」
「うん、ありがとう、よかった。こんな感じだよ。わたしの脳は、こんな感じ。ばかでしょ」
「いや、べつにばかとは思いませんよ。そばでさやこさんのこと見てますが、基本的に、さやこさんが悩んでいることは一つです。それは、自分で作ったシナリオなのに、それに自信を失う。つまりね、一貫性がないことが、すべての問題を引き起こしています。」
「一貫性?」
「はい、一貫性です。あなたは、今、自分を肯定することに精一杯になってる。楽しく生きるために、とにかく、どんな自分も否定せずに肯定しようとしている。」
「うん。」
「でも、その「肯定」こそが、あなたを困らせてロストユアウェイ、迷子にさせているのです。」
「…うん、そう、そう、いわれると。。。
だってさ、そう、行動するまえって、なんとなく、イメージがあって、こうしよう、とかこうなりたい、とかあるんだよ。だけどさ、それと、その今この瞬間の衝動のきもちってちがくってさ、、、とにかくわたし、衝動に従って生きようと思ってたの」
「のわりには、遠い先の目標作ったり、引きこもりしよう!と決めた割には人に会いまくったり、コツコツがんばろう!と思っては、べつにがんばらなくていいやと思ったり…してますよね」
「そうそう、、、わたし、衝動に従って生きることが楽しいことだと思ってたんだけど…。ほら、予定とか全然なくてさ、やりたい!って思ったこともう、そのままやっちゃうみたいな、めっちゃ最高な感じの。」
「でも、それについていける人が周りにいない。」
「そうなの。。。だからさ、どうせ、無理って決めてるところもあって、とにかく文章にして自分の妄想送ったり…大変でしょ、結構。だから、諦めの中の衝動、だし、一貫性がないから、すぐに、元の生活に戻らなきゃ、コツコツやらなきゃって、めっちゃ焦って。。。。」
「はい。わかってます。それでは、話を戻しますよ。」
「はい。お願いします、ジム先生。」
「今のさやこさんはとにかく、一貫性がないんです。あっちゃこっちゃいきながら、自分のいる道をこの瞬間に肯定しようとします。でも、肯定することで、逆に焦りや不安が増えていますね。
ですから、無理して肯定しなくていいんです。肯定っていうのはね、瞬間でしたり、しようと思ってできるものじゃないんです。ある程度道をすすんで、その先に感動的な景色が広がってたりして、それでやっと、あぁ、あのときは間違ってなかったんだって思えたりするんです。さやこさんが今やってるのは「肯定」という名の一種の自殺、ですね。自分で自分の可能性、エネルギーを殺してる。」
「わ!!!!イタイ!!そのことば、めっちゃ刺さる!!!」
「はい。」
「はぁぁ。。。。。自殺かぁ…肯定という名の自殺かぁ…、
そうだ、そういえばそれ聞いて思いだしたんだけど、ともだちの家でさぁ、その子のお家5人兄弟なんだけど、みんでさ、王様ごっこ、みたいなのやったんだよ。とにかく、その王様がいうことはどんなことでも「おぉぉぉぉ!!!!」って言わなきゃいけない、みたいなやつ。それさ、やるじゃん。そしたらさ、めちゃくちゃ気持ち悪いんだよ、言われたらさ、めっちゃ気持ち悪いの。なに?おぉぉぉ!!みたいな、そんなことの繰り返しでさ、ろくに話できない、みたいな…」
「それは、おそろしいですね。でもいいゲームです。実際にそういうことは、起こってるでしょうね。」
「うん、うん、そっか、それで、おいらは、それを自分でやってたってことか……」
「いいですか、それと同じで、「楽しむ」っていうのも無理して思ったりすることじゃないんです。自然に思えてくることなんです。「わたし、今たのしんでる!」「わたし、今たのしくない!」とかそういう風にがんばることじゃないんです。なにか正解があるわけじゃないし、誰もそんなこと教えてくれないし、それは自分の目にしか見れないんです。」
「自分の目にしか見れない?」
「そうそう、それはもう、わかるでしょう?さやこさん、東大じゃなくて、京大選んだでしょう?それはなんでですか?」
「え。だって、そっちの方が絶対おもしろいって思ったんだもん」
「ほら、ちゃんと見えてる。今だって、なんで、文章千万遍石垣に書いてるんですか」
「え、だって、そっちの方がnoteとかだすより面白いと思ったんだもん」
「ほら。そういうことです。楽しい、おもしろいっていうのは、道そのもののことではないんです。東大に行ったって面白いと思う人はいる。つまり、おもしろいと思うのは、道そのもののことじゃなくて、自分の中にあるきらきらを感じる感覚のことなんです。それは、生き物にそもそも備わった能力ですから、赤ちゃんのころなんて、その感覚が、もうビンビンに働いてるんです。だけど、だんだん、面白くない事ばかり、退屈なことばかり、やっていたら、次第にその感覚が薄れていって、楽しくないこと退屈なことから出れなくなっちゃうんですよ。」
「そう、そうなの!ほんとに、わたしは、それを恐れているのさ、まさしく、わたし、ってほんとに、そういう人間になっちゃったなぁ…って思ってさ、それで、反省して、楽しいにんげんになるために、楽しいにんげんになりたいんだよ、こわいんだよ、退屈な人間になることが。退屈なことやってるのに、わたし楽しい!ってなってることが。」
「だから言ったでしょう。人間はみんなどんな人でも楽しいんです。みなどんな人でも退屈なんです。見方を変えてしまえば、退屈にもなるし面白くもなる。だから、退屈な人間とか、面白い人間とか人が決めることを恐れるのではなくって、
自分の中のきらきらをつかむ感覚に敏感になること、
これに集中することが大事なんです。」
「あ、そっか。そうだったね。、それも鉄則だったね。自分という存在を考えるのではなく、自分がなす選択だけに集中して考える。」
「そう、見るべきは自分の選択です。それこそ、生きるということですから。いい感じですね。しっかり恭平のところで教えたことを吸収してる」
「うんうん、そうだよ。だってさ、自分ができることはこれしかないもんね、人が思うことはコントロールできないないもんね。わたし、めっちゃ必死だもん。めっちゃくちゃ必至だよ。もう、楽しくいきるためにさ。」
「そこまで、必死だったら、もう、だいじょうぶです。あとは、正しいあるべき選択を自分の感覚を信じてしていくだけですから。」
「おぉ…ジム。。。(涙)」
「どうしました」
「やばい、授業だ。」
続く。