がけのさやこ音楽日記「もう、かえってこないと思った」

がけのさやこ音楽日記「もう、かえってこないと思った」

 

https://drive.google.com/file/d/1dBI-MmOMZe4EMwGohFNRA0MMJMYquXRl/view?usp=drivesdk

 

(やっぱりもじって、なんか冷たく感じるし、もじばっかりみてたら頭おかしくなってくる気がするから、

まず初めに、こえのがけのさやこあげることにしました。だけど、たいたい、そういうのあがってても文字だけ読むことばっかなんだけどね。)

 

 

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わぁ、ほんとに久しぶりだ。

こうしてパソコンで文章を書くのも、そして、こうして千万遍石垣に文章を見てもらうのも。

あたし、きたのさやこ。

がけのさやこ日記を書いています。

いろんなことがいつも、こうして、時間があくたびあって、だけど、そのいろんなことは、いつも、なぜか、上手にしゃべれないもので、

だからやっぱり、色んなことがあって、っていうしかなんだよなぁ。

それは、不思議なことで、だけど別に不思議でもなんでもないことでもあると思う。

正直もう、あんまり、千万辺石垣やってるこたちとも、全然連絡とったりしてないし、京都大学とか、その他いろいろ、たぶんおんなじ世代の子たちなら連絡をとりそうな人達ともあんまり連絡もとってなかったから(大学の同級生とか?熊野寮の子とか)、

なんか不思議な感じ。あたしは、もうここ(千万遍石垣?)にいちゃいけないんだ、とか

書いてることと、全然違うことしてるし今、とか、もう本当に色んな自分の、収集がつかなくて、

からだは一つしかないのに、いつもいつも、場所やいる人が変わるたびに、変わっている自分のまとまりが全然つかなくて、困っていた。

 

あんなに最近までは、あたしなんて、みんなに迷惑かけてばかりだ、もう手遅れだ、千万遍石垣なんかに自分のことなんて書かなきゃよかった、とか、いろいろ後悔していたはずなのに、

今これを書いている今は、誰からも、責められてないし、むしろ、みんな、多くの人が、これをずっと待っていたんじゃないか、それは言い過ぎにしても、きっと、これを読みたいと思ってる人がいる、と、思うくらいになって、むしろ期待されてるような気もちになっている。

それは、やっぱり、ふしぎなことだ。

自分なんて、いったい、なんなんだろう。

 

坂口恭平さんという人がいて、その人もほとんどおんなじようなこと言ってたな。

分離してる自分を統一なんてしなくていい、そんな別れてるのが当たり前なんだから、一貫性なんて持とうとするとおかしくなる、

みたいなこと。

でも、わたしが、ここしばらくの間していたことは、まさしく、いろんなところ、いろんな時代、いろんな思いで、の中に散らばった自分を、おうち(それは東京の実家のことだけれど)の中でこもって誰にも(家族とか、コンビニの店員さんとか以外)会わないで、じーーーーっと、寝ている一つの自分の中に、湧き出させて、それをどうにかして一つにまとめる、こと。

いろんなじぶんを、みて、一体、自分はこれから、どこにむかっていくのか、今までの自分は、一体、どこに向かおうとしていたのか、

途方もない情報を俯瞰して、結局、その分離してバラバラな自分たちが、向かってく一点、その方向、

それをずっと確かめてた。

 

そこには、がけのさやこの自分いたり、そんなんちっとも知らなかった赤ちゃんのころの自分いたり、小学生の憂鬱なときの自分がいたり、しかも、もう自分なんてこえて、あ、前世?みたいな自分だったり、全く違う場所で生きてる自分だったり、そういうのも、あわせて、無限むげん、それぞれだったけど、

でも、今こうして、ここにいるということは、

そう、がけのさやこも、やっぱり、消えてないってことだった!!

それは、本当に驚き。

 

がけのさやこでいよう、なんて思った時間は、がけのさやこだった時間は、わたしが生きてきた時間の中でいえば、0.00001パーセントぐらいしか、たぶん、それより少ないくらいな、そんな、キャラクターなはずなのに、

全体の時間の割合、なんてどうでもいいってくらい、

やっぱり、とっても大切な、わたしが、わたしの行くべき場所にゆくためには、必ず必要な存在

そのうちの一人だった。

あたしは、やっぱり、歌わなきゃいけない。

それも、苦しみの歌を。孤独の歌を。

外で。外で、歌いたい。

 

だれも、歌っていないような場所で、ひとりだけ歌っていたい。

それでいい、なんでもいい、けど、歌わなきゃって、やっぱり思うの。

 

 

おぉ~がけのさやこっぽい感じになってきた。

わたしががけのさやこでいたい、って思うのは、わたしの中に、がけのさやこに救われる自分がいるから。

無限に広がる「自分」という集合の中に、がけのさやこがいて、でも、重なりあわないもう一つに、その街中でひとり何を思うのか一生けん命歌ってる女の子に心震える自分がいるから。どこか、懐かしいって思う自分がいるから。

 

 

あたしは、自分のために、うたをうたいたかった。

けれど、その自分が、もう境目がなくって、自分が、みんな、というそれと、おんなじくらいに大きくひろがってしまって、

そうしたらもう、自分のためにも、みんなのためにも、何のためにも、が、全部が混じりあって、

「歌いたい」と「その存在をずっと感じてたい」だけが残って、

そうして今は、なにもしない、歌いもしない、文字をうつことしかできない自分が

その気持ちを書いてる。

 

 

なすべきことを、なす。

 

 

それしかもう、ないのだと、そう、思ってきた。

わたしがやりたいって思うこと、それは結構人前にでたり、テレビにでたり、紅白にでたり、藤井風くんと朝ドラに一緒にでたり、そういうことがたくさんある、けれども、

お母さんは、いつもいつもそういうこというと、嫌な顔する。

「あんた、有名になんてならなくていいんだから、平凡でいいから、誠実な人になりなさい。」

そういう。

だけど違うよ、全然違う

わかったよ。わかったよ、

わたしは、ゆうめいになるとか、そういうことじゃないの。

テレビに出たって、テレビを見てない人からしたらしらんこっちゃや

SNSでフォロワー多くたって、自分が好きな人自分の活躍を見てほしい人がSNSやってない人だったらだめじゃないか、

そうでなくって、ただ、そこに、行きたい場所には、それを感じてほしい人がいるから、それだけだよ。

それが、紅白なだけだよ。紅白なんて、全然ゆうめいじゃないじゃない。わたしが紅白でたいのは、わたしが好きな人達が紅白見る人達だから。特におじいちゃん、おばあちゃんの、世代だよ。小学校の時の友達の家族だよ。

そういうことだよ、それだけだよ。

ほんとにばかな話だね、

 

自分中心じゃだめ、っていうのに、他人に振り回されちゃだめっていうし、

ほんとにおとなたちは難しいことを言うから、わたしももう、すっかりと、難しい人になってしまった

でも、それでもいいね。

やってみたい。そのまま、感じるそのまま。やりたい、そう、生きたい、そう、思う、気持ちのまんま

ちゃんと、生きてみたい。

どんな場所にいても、どんな環境であっても、

わきでるきもち、つながるきもち、それをたどって、

ただ、自分の行くべき場所に

行きたいんだ。

 

 

なす べきこと なす

 

なすが二つか。

最近おかあさんがつくってくれるなすとピーマンの炒め物、ほんとうにおいしい、ご飯が進む。

カネコアヤノちゃんの曲は、やっぱり、めっちゃ、夕方が、にあう。

歌ってほしいところ、歌いたいばしょ、みつかるといいな。

 

もう、ちゃんと、いつも、ここで生きてるよ!!

歌ってなくても

 

https://drive.google.com/file/d/1dBkudmI52Aem5sPmcYN5U9EF87Ww5SRZ/view?usp=drivesdk