どうしようもない青春コンプおじさんの話

この記事はKumano dorm. Advent Calendar 2022の20日目の記事です。前の日はただのアホ、卒論で忙しくて書けないらしい(とか言って卒論もう書き終わってるだろ)、ナンセンス!! 次の日はムラカミさん

 

去年のアドカレでは山岡家の話サイコロドライブの話をしたが、今年はそういう書くようなこともないし純度100%の自分語りをしたい。というか山岡家もサイコロドライブも北大の話だし、私京大で何やってるんだろう。寮生活は楽しいし、北大でしょうもないことやってた時より実りのあることをやってる気がしなくもない(北大のときのしょうもないことをそのまま4年間続ける生活も良かったと思うし、結局今もしょうもないことしかしてないのだが)が最近学部自治会に顔を出すようになるまでキャンパスに居場所はなかったし、今も結局「自治界隈」と呼ばれるところの外には出られていない。

 

最初から話が逸れたが以下本文。

まとまりもつながりもない文章だが課題の息抜きにでもしてほしい。

とりあえず今まで生きてきた人格を殺します。

某某某某(わしの本名)は先月令和4年11月に死んだ。バイト中に休憩に立ち寄った寮の談話室でかっとっぽを食べてハコフグのパリトキシンに中って死んだらしい。阿保らしくて彼らしいいい死に方なんじゃないですかね。親は可哀そうだけど。寮内の炊事場でハコフグが調理され中毒が出たので保健所の検査が入り、どういう理屈か寮食提供が停止になり食堂が当局の管轄下になってしまったらしいがまあ私が死んだ後の話なのでどうでもいい。

じゃあこの記事を書いている私は誰なのかという話であるが、赤井川白瀬とでも名乗っておこう。別に赤井川姓にこだわりはないし何なら変えたいとも思ったのだが身の回りで赤井川呼びが定着してしまっているので赤井川とした。下の名前には特に意味はない。下に書くように男性性への嫌悪感があるので中性的な名前にしたまで。あまり気に入ってるわけでもないので公募してもいい。今後は某某の名前は役所用ハンネとして可能な限り使わないようにしていきたいので、積極的に某某ではなく赤井川と呼んでほしい。そもそも某某という人格は北大に入学した段階くらいで殺しておくべきであって、今までゆるゆると殺さずに生かし続けてきてしまったのが間違いだったのである。

私の価値観

このように言うのは人生の美味しいところの8割は高校時代まで、残りの半分は大学までにあるという前提的な認識と、某某のそれは全くの失敗だったという認識にある。前提的な認識について、これは少なくとも日本では全人民が共通して持っている認識であると思っていたのだが、ときたま一定数このような認識をしていない、社会に出るのが楽しみなどと抜かしている勢力の存在を認知して理解ができない。そういう人は中・高・大の生活についてどのような総括をしているのか非常に気になる。ぜひ話を聞かせてほしい。私がなぜそのような認識をしているのか申し上げておくと、まず会社や身分に縛られ仕事以外何もできない社会人には何も希望を見出せないので当然人生の美味しいところ判定は基本つかない。大学はこれに比べると非常に自由でやりたいことがなんでもできるので美味しいのだが、自由度が高すぎると感じている。私は一人で車を運転できるようになったとき心底嫌だった。ここらへんの話については自分でも論理的に説明づけられていないところがあるので理解されなくても不思議には思わない。とにかく様々な制約がある中でも自分の自由な学生生活を送りたい人生だった。

好き嫌いの五月蝿いおじさんの話と彼の21年弱の人生の振り返り

ではなぜ彼の中高時代が失敗に終わってしまったのかというと、①栃木県に②男子として生まれてしまい、③小学校低学年時に学童保育に行っていたため地域の同級生と関係を築けなかったのが問題だったと思っている。

栃木県に生まれてしまった

皆さんはご存じだろうか。栃木県と群馬県は全国でも珍しく共学の進学校が存在しない。埼玉県もその気があるが大宮高校が存在するので耐えている。いや別にどうしても共学に行きたかったという話でもないが選択肢として共学が存在しないってのは違うだろ。寧ろ埼玉みたいに1校だけ共学進学校があるくらいの環境が良かったのかもしれない。

あと単純に地理的にそこまで魅力的でない。大学生になって宇都宮を離れて気付いたが、東京まで在来線で乗り換えなしで2時間くらいで出られるというのはそこそこ恵まれた環境であったと思う。けど、中高生の期間の記憶は瀬戸内とか長崎とか海と島のある環境と共にあってほしいし、それが無理なら北アルプスのクソデカ山が間近に迫る風景とか、冬の肌に刺さる寒さと豪雪とかと共にあってほしかった。つまりは感傷マゾって呼ばれる近年一般化されたありきたりな価値観だと思う。

驚いたのは、現在小6の妹(引っ越していないので栃木県にいる)が中高は岡山に行きたい、ヨルシカの“ただ君に晴れ”のMVみたいなのが理想と言っていたことである。そういうのは中高をそういう場所で過ごせなくて、別にそれとは必ずしも関係ないんだけど中高の生活に満足がいかなくて、もしそういう場所で中高の生活を送れたら何か違ったんじゃないかって思って憧れる風景なんじゃないの?ちょっと早くない?でも私自身そういうところで過ごしたかったし、中学は間に合いそうにないけど高校行くときにまだそういう考えがあるんなら親が反対しても私は全力でサポートするよ。大学以降は一応やり直せんことはないけど中高はマジで一度きりだからな、中高生でしかできないやりたいことがあるんなら何に代えてもその環境は手に入れてほしい。

男子として生まれてしまった(読む人を選ぶかもしれない)

最初に断っておくが、私は性別違和を抱えているわけではない(と思う、定義知らんのでようわからんが)。なんか知らんけど男性性への嫌悪感と女性性への憧れはあって可愛くなろうとしたりもするが、どうしようもなく男性だと思ってる。なんか熊野にいるとそういう人ばっかで人々みんなそうなんじゃないかと思うけどそうでもないんだろうな。

一旦男性性への嫌悪感パート。男性性を前提として綺麗になろうとしてる人が一番嫌いで、男性的な化粧をしてる男性とか、髪をセンターパートにしてワックスで固めてる人とかもう無理。そういう意味で小綺麗に長髪にしてる人とか受け付けらんないんですよね。Mrs. GreenAppleとかそういう感じの。ミセス、耳ざわりがいいし好きなんだそういう理由もあり復帰直後とか特に聴けなくなった。けどところが!女性的な風貌に近づきたくて、可愛くなりたくて、一旦ミニボブとかショートとかにすると!なんと!そういう一番嫌いな奴らの風貌と紙一重なんですね恐ろしい。現状世の中の女性の多くが男性を恋愛対象にしてんのもあまり理解できない。端的に言えば男性は汚くて下等で女性は綺麗で高尚っていう認知がある、内面的にも外面的にも。それで下等で汚い男性は嫌いで綺麗で高尚な女性に近づきたい気持ちがある。なんとなく認知が歪んでるような気はするし誰かに叩き直された方がいい気もする。叩き直すモチベがある人がいたら叩き直してくれ。

最初は、「そもそも性別違和とかいう言葉嫌いなんですよね、結局それってあなたの意識にあるジェンダーロールと自分の好みなり行動なりを照らし合わせたときに自分の身体性とそれが合致してるかどうかって話じゃないですか、その変なジェンダーロールを粉砕すればいいんじゃないんですか(浅い理解)」みたいな話がしたかった気もするのだが自分がそういうのを内面化しすぎてて話にならん。とりあえずお前がその意識に内面化されたジェンダーロールを粉砕しろ。

本題に戻ると、要はキラキラJKになって昼休みに友達と弁当食べて部活帰りにキラキラを摂取したかったという話。というか女子高生って別に学校帰りにキラキラ摂取してるとかじゃなくても一挙手一投足がキラキラしてるじゃないですか。男子校だから本物とあまり接してこなかったので分からないこともありかなりイマジナリー女子高生な気はするけど。何なんあれ、ズルくない?実際の私はというと昼休みは一人で机で弁当食べてた(一部のキラキラ男子高校生を除いて周囲にも一緒に弁当食べる風習はなかった。私は昼はTwitter見てた気がするしみんなはスマホとかでゲームしてた)し部活終わりは基本直帰するか学校に残って勉強してた。稀に登山部ないし生徒会の面々とラーメン食って帰ることはあったけどあれは良かったな。なんで私は女子高生に生まれてこなかったんですか?

地域の同級生と関係を築けなかった

思うに小学校低学年において人間関係を築けるかどうかは当人のその後の人生を決定づける重要な因子である。基本的に小学校低学年で築く人間関係はその後9年間有効なものであり、ここで人間関係の築き方を習得し、遊べる人を獲得しておくと9年間人間付き合いの練習をすることができるのである。私はまず低学年時に交流を持てなかったためにこれの機会を得られず、また親がゲーム機を持つことに反対していたので途中から彼らの輪に入るのが更に厳しかった。

この結果、たぶん私はかなり自己肯定感が低い。そしてかなり周囲の目を気にしている方な気がする。どの集団に属していても私はそんなに何か認められるような人間でもないしな、という考えがはたらき、その結果こんな人間がそんなことをするのは許されない、陰でいろんなこと言われてる、と思い何かやろうとしてもできないことが多い。こんな風に言うと私自身がそのような思考を持ち合わせているように聞こえるが、別にそういうわけではない、少なくとも表層の私が認知しうる思考においては。当然そのような考えで行動を起こせなかった結果失ってしまった人間関係というものも存在し、後悔してばかりだ。悪循環であることは認識してるけど直しようがないよね、どうすればいいんだろう。死ぬか。いや、某某くんは殺したんだった。

 

かくして某某くんはコミュ障陰キャ男子大学生として一生を終えたのでした。そんな良い人生って訳でもない気がするが、20で死ねたんなら人生の収支はどう頑張ってもマイナスにならないので良かったんじゃないですかね。「人生20で死ねるならハコフグは僕を救った」。

 

赤井川の人生について

赤井川の来歴などなどを話していなかったがここで述べておこう。赤井川は尾道市向島の出身で、家は向島の町から少し外れたところだった。中学までは島内の学校だったが、高校は渡船を使って尾道北高にママチャリで通っていた。尾道市中の友達の他に生口島にも友人がいて高校のときにはちょっとチャリを飛ばして生口島にも遊びに行った。ときたま感傷に浸りたいときに須波らへんまで足を伸ばして防波堤のうえに座り夕景を眺めていた。須波で出会った尾道北高の同級生とは須波の海岸でのみ会う関係だったので進路も聞き出せず進学後連絡が取れていない。大学入試では、前期京大農学部を受験したが落ちてあえなく後期で北大に行った。航空部に入部するも9月に同期が仮面浪人し始めて自分も京大を再受験することに。本人も受かるはずはないと思ってたが何故か受かり現在京大農学部の2回生である。受験の経緯は私が他の記事にまとめてるので興味があれば読んでくれ。

 

いやこんなことはどうでもよくて、赤井川として生きるには某某が残していった20年間の人生が無視できないのだ。さらに私は実際向島に帰っても誰も待っていてはくれないので両親や中高の友人などがいる某某は羨ましくはある。私は某某の残していった彼らとどう関わっていけばよいのだろう。まあそういうところでは某某くんに出てきてもらうか。年に2週間程度呼び出すくらいなら問題はなかろう。

 

某某が社不適になっていった経緯についてはまたモチベがあるときにまとめるかもしれない。またそのときまで。