AI対帝国

AI対帝国

 皆さんこんにちは!かなた社長@北大生起業家です!

 chatGTPとかAIゆういちろうを使ってみたら、メジャーでないバンドの話とかその程度でも知っている人間ならばすぐに見抜ける様な見え透いた嘘をいけしゃあしゃあとこくので、全くもって実用に耐えないなと思いました。所詮AIなんてその程度で、あんなもんに創造的な活動や知的活動なんかやらせたら一瞬で世の中デマやらなんやらで溢れ返るだろとしか思いません。AIなんかせいぜい、だである調の文末をですます調に変えるとかそんな誰にでもできる単純で退屈な作業だけやってればいいと思います。所詮はただのロボットに過ぎないですからね。

 AIの実用化の見通しがある程度立つ様になってから、AIの推進派と反対派の堂々巡りの議論が延々と続いています。AIを推進するべきなのか、規制するべきなのか、禁止するべきなのか、等々です。正直見ていても埒が明かないと思いませんか。なぜ推進するのか、規制・禁止するのかという両極のどちらか片方を選ばなければならないのでしょうか。推進しかつ規制・禁止すればいいでしょうに。

 産業革命以降の世界の悲劇は、資本主義と国民国家のイデオロギーを例外なく世界の隅々まで推し広めたことなんです。そもそも国民国家がその領域内を均質化し、統一化された統治を全領域に導入するものであり、資本主義がその体制を外部に押し付け、非資本制の領域へと無限に拡大することによって体制内に繫栄をもたらす経済システムではありますが。西欧近代の自らの「文明性」を「未開の」地域へと普及させ、「啓蒙」しなければならないという野蛮かつ思い上がった「文明化の使命」が、これらのイデオロギーを普遍的かつ優れたものでありで全世界に浸透させねばならぬものという錯覚を生み出したんです。現代のAIの社会への実装を巡る議論もこれらの近代西欧的普遍主義、均質主義的思想を内面化し、議論の前提としている点にそもそもの問題があるのではないでしょうか。

 帝国的状況とは(英語での概念紹介を望む酔狂なコンサルみたいな奴の為に英語で言うとimperial situation)帝国という領域国家内において、領域に住まう多様な主体に対し、帝国当局が個別に契約を結びそれぞれに異なる支配秩序を導入する状況のことなんです。つまり、帝国内においては、様々な主体に対して別々の法体系が適用されているんです。国民を同質で均一化された対象として、同一の法体系を導入する国民国家の状況に対峙されます。このような帝国的状況による支配体系によって、領域内の様々な利害が調整されます。均一化された対象に同一の法体系を導入するために、互いに対立する主張のどちらか、もしくはその間の折衷案を採用するような国民国家的統治よりも余程効率的なんです。均質な国民による一体化された国民国家体系を信奉するものにとっては受け入れがたいかもしれませんが。

 実は現代においても帝国的状況の導入が有効性を持つのではないでしょうか。AIの実装について推進派の主体と規制・禁止派の主体、またそのどちらでもない層のそれぞれについて、異なるAIの利用に関する法体系が適用されます。例えばAI推進急進派の集団内ではAIの使用の拒絶は罰せられ、AI禁止派の集団での法体系においては、AIの使用、所持は処罰され、またそのどちらでもない空間も存在するなどです。それぞれの法体系の適用の区分は領域的共同体によるのかそれとも職業集団によるのかはたまた別の形態をとるのか。それについては別個議論が必要であり、ここでは論じませんが、ともかく同じ国家領域内に多様な法体系の集団が併存し、個人はその思想、信条に基づき自分が所属したい集団や領域を自由に選択できるようにします。このように規制や推進がそれぞれ制度として国家の領域内に併存することによって、際限のない両論者による議論に解決をもたらすことができないでしょうか。

 このようにAIの使用に対する帝国的状況による解決、あるいは連邦的秩序の構成、諸集団の自治的領域の有機的結合からなる非国民国家的解決を提案します。国民国家の暴力的な国民の均一化を拒絶し、自由な個人による多様な共同体あるいは集団の自治の集合体からなる国家を構想することによって、互いに相反するイデオロギーが共存可能な社会の実現の可能性が提起されるようになるんです。

西欧的均一的国民国家体系に死を!多元的自治連邦国家体系に栄光を!

 いかがでしたか。皆さんも国民国家体系を葬り去ってみましょう!

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