反戦運動の重要性は増している。戦争は人災である以上、全人類がNoと言えば理論上は起きないはずである。加えて、戦争を望む人間は少数派であるはずである。連絡が取れなくなった知人もいる。
…にもかかわらず、失敗している。失敗しつづけている。特に日本国での反戦運動は-日本国の重要性と比較すれば-支持が大きくない。
活動家は少しいる。そこから先が問題だ。本稿では近年の大学等での反戦運動の観察経験から、反戦運動を妨げる蓋然性が高い事実を6つ列挙し、克服方法について論じることを目的とする。
【本文】
①「戦争=悪」という考え方が一般的ではないから。
戦争は自然災害ではなく、人災である。人間がわざと起こしているのである。一部の粗暴な権力者の暴走によっておこるのではなく(そういう例もあるとは思うが)、何らかの必要性や利益が市民にとってがあるから意思決定として行うものであると考えられるし、そう考えている人は多い。すなわち、戦争は絶対悪ではなく、取りうる手段の一つとして考えれらる無色透明な存在である。イデオロギーをもって戦争を手段のプールから排除することは、市民の利益を損なう。
…と、考えている人間にも響くような論理展開・広告宣伝を、反戦運動側は行う必要があるだろう。
上の論理は戦争の悲惨さを全て無視した詭弁であるが、詭弁であるがゆえに、戦争が起こるなら自分以外の何か大きなもの(例:政府)に処理してほしいという素朴な感情に訴える強さを秘めている。それに負けない論理展開・広告宣伝、言い換えれば「説得力」が必要なのだ。
②戦争防止の具体的コンセプトを提示していないから
戦争は少なくとも二か国の間で行われるものである以上、自国の世論を喚起するのみでは反戦は不可能に見える。そのため、他国の市民や内政に対してどう働きかけるのか、コンセプトを明確に提示しなければ説得力がない。自国の防衛のために国内の思想的一致を高め戦闘力を向上させる立場からすると、反戦運動はいたずらに世論をかく乱するのみの集団に映る。他国への働きかけを行うこと(例:声明文の外国語化、他国の市民の利害に配慮した他国への呼びかけ等)が行動に入っていない反戦運動は、説得力を持ちづらい。実際問題「いやコンセプトもへったくれもなくね??」というのが正直な心情なのだが「相手国の官僚や民衆が相手国の政府を止める(厭戦)。自国も同様である。」状況を頑張ってつくるみたいな認識は若い世代にはない。ベトナム戦争は(主にアメリカで)これが起こったので止まった面があるので、上の世代にとっては常識なのかもしれないが…(ここにギャップがあるので丁寧に埋める必要がある。)
③思想的一致を要求するから
反戦という大きなくくりで賛同できたとしても、具体的な優先順位は人によって異なる。具体的には「反戦」とほかの何か(例:生命・商業的利益・民族的利益・話の通じない連中に暴力を行使すること)との間の優先順位はかなり異なる気がする。反戦運動に説得力をもたせるには、少なくとも対象とする集団ぐらいが思想的一致なく共有できるコンセプトをまず提示することが大事だろう。
言い換えるならば、主張と聞き手の体感のあいだにどうしようもない差がある。この差を埋める論陣を張れなければ、陰謀論者と同様の目でみられかねない。
④細かな不一致点が極めて多いから
人間はうさんくさい組織とかかわりたくない。私も明確に理解できているわけではないが、多くの人間は「一部でも賛成すれば賛成する」という承認システムをとるわけではなく「一部でもうさんくさい点があれば全体をとりあえず拒否する」という安全策をとる。情報過多な現代において、全ての情報・個人・団体を信用することは現実的に不可能である。そのため、「自分の知っている領域で正確性をチェック」→「その正確性が全体の正確性と一致すると仮定して全体に対する判断を行う」という信用認証システムを無意識のうちに取る人が多い。(そのあとで実際に「信用する」かどうかは、その他の利益による。)
このため、例え趣旨が正しくとも、細部の論理展開上の飛躍や、事実の誤認があると、趣旨自体が「きっと」正しくないだろうと判断されてしまう。例え趣旨が反戦であっても。
細部への気遣いがなければ趣旨に賛同してもらうことは難しい。特に細かな議論ができない場合はなおさらである。研究室での学会発表などでは、まずここの信用を上げること(他者の研究への正確な理解・引用等)を指導される。
逆に、これを逆手に取る戦術も成り立つ。意見の8割を正しそうな一般論にして信用を集め、残り2割の意見も正しいと錯覚させるのだ。(余談ながら、「ひろゆき」はこの戦術がむちゃくちゃ上手いと考えている。内心思うところはある。)
⑤問題解決能力のなさそうな集団に思えるから
これは④に関連することである。人間は思想の文面上の正しさのみならず、提唱者の問題解決能力を基準に、思想を支持するかどうかを決定する。しかし反戦運動において「反戦運動を行っている団体の問題解決能力」をアピールする団体は少ない。
問題解決能力のない人間は仕事仲間だと思われにくい。あらゆる団体で仕事をしない人間への過度なヘイトをどれだけ聞いたことか…。逆に仕事を鬼のようにこなす人間へのやや無秩序な尊敬をどれだけ聞いたことか…。本来こうした判断は人間の平等という価値観には反するし、積極的に是正されるべきではある。しかしながら、反戦運動の相手には通じないことも多い。まず問題解決能力をアピールすべきである。それがないと、まず話を聞いてもらえない。
学生運動に限定すると、学内問題・学術界の問題の把握や、それ自体への解決案の提案・人間を集める動員力などは、問題解決能力をアピールする一つの手段となる。実力闘争自体は確かに問題解決能力のアピールなのだ。
一番大事なのは、聴衆に仲間だと思ってもらうことである。そのためには、聴衆に響く話をすることが正しい。例えば研究予算の不足は深刻であるが、派遣労働者の集会で「私が研究費10億円をもらえなかった話」をしても全く響かず、むしろ敵を作るだけではないだろうか?聴衆に話を聞いてもらうことは難しい。そのためには、まず聴衆に信用されなければならないのだ。
一つ難しいことを言うと、研究や創作・社会運動は孤独である。そのため、少数の強い支持者がいると、聴衆が支持していると勘違いしてしまう。例えばスタンディングしていて飛び入り参加者が10人もいると、情勢が一気に傾いているように感じるだろう。気持ちはわかるが、それは自分からエコーチェンバーに入っているだけだ。問題解決能力がないことを示してしまっている。自分周りの変化の微分ではなく、聴衆や社会という大局をみなければ、最終的な支持は得られない。(ただし、最初っから支持を得ることを目的とするのはどうなんだろうと思っている。社会運動が一番必要なのは「大衆はAと思っているが、実際にはBなんだぞ」という場合だからだ。支持は手段であって、目的ではない。)
⑥読み手の政治的強度が低いから
多くの人間が忘れていることだが「複雑で長い概念を理解すること」「それに対して自分の意見を持つこと」は高等テクニックである。例え博士号があってもである。そもそも自分たちが議論していいかどうかすら、わからない人が大半ではないだろうか。例えば学生自治の話題を学外で話すと「総長の決定は絶対!従わないなんてありえない!」という声を聴くことが多い。よくよく聞くと個人で異議を唱える発想がほとんどない。ルールは自分の身を守ってくれるものであり、それに反対する人は避けるべきだという刷り込みも多い。体感で8割である。
大衆に、話を聞いてもらい支持を集める必要がある。学内であれば、学内問題解決を訴え、学内外からの教員の支持を集め、政治的風土を養い、「もしかして反戦運動って正しいのかも」と思ってもらう。そうしたプロセスが必要だ。そのためには現場の意見を聞くこと、具体的には、大学での運動なら大学や大学院・研究所に普段から通っている人の意見に従う、工場での運動ならあらかじめ現場労働者にヒアリングするなどが考えられる。
おそらく、多くの運動は上の①~⑥という課題を解決できていない。そのため本来の輝きを失い、目的を達成できず、全体的に退潮してしまうのではないだろうか。局所的には何人か、何十人か、もしかすると獲得できるかもしれない。しかし、それと引き換えに大衆との間に壁を作ってしまうのであれば、戦争を後押しすることと何がちがうのだろうか。実力闘争のもつ、主張を通る・通らないが決まるビジネスプレゼンという要素を忘れてはならない。「通らない」場合のことを考えてほしい。
ここでかなり大事なことがある。運動一般に言えることだと思うのだが、Aさんが「Bすべきでない、なぜならCに見えるから」とコメントした際に、運動提起者はAさんを説得しようしがちである。これは高い確率で絶望感を与える。運動の相手はAさん個人ではなく大衆であり、Aさんはあくまでそのサンプルに過ぎないからである。そうではなくで「なるほど、Cに見えるのはまずいな。Aさん教えてくれてありがとう、我々はどうしようか。」と考えるのが筋なのだ。もちろんAさんの知恵を借りることは有効だし、Aさんが間違っていれば毅然とした対応をとるべきだろう。
これは論文を通す際の「査読」といわれる、論文審査・改訂プロセスに似ている。
大学院生や教員でもたまに勘違いしているが、査読は査読審査員(レビュアー)とのバトルではない。審査員からの「このままだとこう誤読されるけど/私はこう誤読したけど、どうする?」という提案に対して真摯に向かい合い、原稿を改訂するプロセスである。結果として論理や根拠が揃った論文が出来上がり、自身の主張の説得力が増すのである。
運動も同様である。目の前の人ではなく、普段目の前にいない人を説得することが、あなたの目的であるはずだ。
人の話を聞こう・議論を重ねて戦略を練ろう・身近な問題を解決して実績を積もう・味方を増やして学内に政治的な風土を涵養しよう。自治とは元来そうした性質を持っているのではないか?
大学には戦争を止めるポテンシャルがある。学内にまず自治の風土を作り、説得力ある意見を出し、反戦平和を達成しよう。情勢の激変に惑わされず、手順を踏んで状況を変えよう。