反戦と自治

反戦と自治

書かないといけないと思ったので、書く。

まず前提として、大学自治を守る際に、自治が侵害される根本的な要因を探り、根本要因に対応するというロジックが組まれることが多い。

”「大学の自治が奪われている」→(誰が奪っているのか?)→「政府や財界である」→(なぜ奪っているのか?)→「大学を国や財界の利益にそって運用したいからである」→(なぜ利益を出す必要があるのか?)→「国力を上げて国際競争に勝ちたいからである」→(なぜ国力を上げたいのか?)→「諸外国に勝ちたいからである」→(なぜ諸外国に勝ちたいのか?)→「有事に勝利するためである」”

 

のようにである。ここでの根本原因「有事に勝利するためである」という目的を消すと、上を逆にたどり、大学の自治を奪うモチベーションが政府からなくなるため、自治が守られやすくなる。という理屈である。

根本要因(あるいはそれにできるだけちかいもの)をなくそうというのは、特段おかしな考え方ではない。

 

注意すべきこととして、この論理は一本線ではない。大学の自治を奪おうとする誘因は数限りなくあり、学生らはそれら全てに抵抗し勝利する必要がある。その中には例えば「OO大学の卒業生が気に食わなかったからつぶしたい」のような逆恨みに等しいものや「この地方に住みたい人間なんかいないのでインフラは全てつぶして東京に回せ」のようなふざけているとしか思えないもの、「我が社の役に立つ科目を開講していない」といった学の独立を阻み、教育コストを大学に押し付けようとするものなど、極めて多岐にわたる。大学はこうしたこと一つ一つに(無視も含めて)対応する必要がある(注1)。この逆茂木のように図示されうる構造(図1)の中で「政府」「行政」が関わる種類のものは極めて影響が重大であるため、力強く対応する必要がある(注2)。

図1.目につくものが根本要因とは限らない。ガス漏れには元栓を閉めて対応するように、根本要因をなくしたい。

 

(念のために付け加えると、反戦運動には様々な立場がある。純粋に人道的な見地から行われることが世間一般的には多いだろう。学問の自由を担保する立場からしても「国際的なネットワークや技術交流が阻害され人類の発展が遅くなる」「研究者が軍事活動に動員される」「戦争情勢になれば政府がプロパガンダ(というか嘘)を流して自国と他国の民衆を煽る可能性が高い。それら嘘には毅然と立ち向かう必要がある」といった理由だってあるだろう(注3))

・我々は構造を重視する

さて、図1から得られる素直な感想として「何も根本要因に対処しなくても自治できるのでは?」というものがあるだろう。実際我々は根本要因について何も考えなくても、生活をしたり、部活やサークルを運営したり、労働者として働いているではないか???

 

一つの答えとしては「悪い目的のための構造を変えないことは、その悪い目的を推進することと同じである。是々非々でいいのか」というのがあるだろう。例えばある独裁国家が他国に侵略戦争を始めた場合、その戦争継続の責任は指導者のみにあるわけではない。指導者に全責任があるのは、どう贔屓目に見ても開戦の瞬間だけである。その先の責任は、政権の継続を担保しているもの、すなわち、その国の秩序を認めて国内で生活し、商売をし、労働をし、ご飯を食べ、納税をしている市民全員にもあるのだ。独裁国家が国家としての体裁を整えられるのは「各人の利益や幸福追求権に従って」普通に日常を継続している(これって自動的にその秩序を認めるってことですよね)構成員の生活そのもののおかげではないだろうか。独裁国家でまともに生活している人や成功している人は「なんだかんだでこの国家体制でもやっていけるんですよ」と他人に思わせていないだろうか。(念のために言うと、この自動的に責任を負わされる事実こそが、国民主権の源である(注4)。)

 

国家や大学といった共同体からは簡単に逃散できない以上、根本的な目的が間違っているなら、それにNoと言ったり、従うのをやめたりするように体質改善する義理があるだろう。なんだかんだで利益を得たり、成功しているならなおさらである。

 

こうした考えに基づくと、根本要因に異議を唱えることから始める人のことも理解できるのではないだろうか。小手先の技でうっかり成功してしまったら、(それだけでは)きわめてまずい構造を補強する材料になってしまうのだ(注5)。何も全面的に全て応援しろとは言わないし、批判すべき内容は大いに批判すればいいのだが、大学自治に限らず「根本要因(に出来るだけ近い)ものを批判している人たちは、一応応援しとくか」ぐらいの立場に立ってもいいのではないだろうか。

 

(注1)例えば必要な科目を開講する上での負担の一部を地域社会に求めることで、Win-Winの状態にするのも解決策である。開かれた大学の一つの形である。

(注2)立法権があること、他人を合法的に拘束できること、予算規模がけた外れに大きいことなどを考慮して見てほしい。国家とか自治体って強いんですよ。

(注3)要するにまともな見積もりを立てられなくなるということなので、失敗の可能性がけた外れに上がる。

(注4)ここに書かれた責任を「国籍持ち」だけではなく「社会の受益者全体」に拡張する論点からも、在日外国人を「国民」の範囲に含め、選挙権を始めとする公民権を認めるべきであるという論調は成り立つだろう。統合無くして責任なしというのは一理ある。アメリカ合衆国がかつてイギリスに対する責任を負うことを拒否した事例の逆である。

(注5)成功した研究者のN=1の研究人生サンプルを元に、政府の大学政策を全肯定するかのようなシンポジウム(さすがに登壇者は複数であることが多いが)が開かれること、ちらほらあるような…。

 

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