筑波大学高床屋敷氏インタビュー 学生自治2.0+α ~筑波大学の在野自治空間~(第二回)

筑波大学高床屋敷氏インタビュー 学生自治2.0+α ~筑波大学の在野自治空間~(第二回)

筑波大学に自治空間がある。なんでも自分のアパートを丸ごと開放しているらしい。そんな噂を聞いたのは2022年のことであった。高床邸と名づけられたその空間は、Twitter大学と名高い筑波大学を席巻し、日に日に注目度を増している。彗星のごとく無から生じたこの自治空間は何なのだろうか。大学組織に依らずとも、学生自治空間は作れるのだろうか。どうやって維持発展させているのだろうか。そもそも家主の器がデカ過ぎないか…? 2020年代以降の一つの自治空間形成のあり方として、非常に興味深いものがある。今回主催者・兼・家主である高床屋敷氏に取材を申し入れたところ、なんと快諾していただいた。

 

第一回のインタビューでは、主に高床氏の生い立ちや高床屋敷が出来るまでの経緯について話していただいた。

筑波大学高床屋敷氏インタビュー 学生自治2.0+α ~筑波大学の在野自治空間~(第一回)
筑波大学に自治空間がある。なんでも自分のアパートを丸ごと開放しているらしい。そんな噂を聞いたのは2022年のことであった。高床邸と名づけられたその空間は、Twi…
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続く第二回では高床邸がなぜ存続しているのか、その理由へと分け入っていく…。

 

それでは本編をどうぞ。

「Twitterアカウントとつくばの距離感の協奏が、いい意味での寄り合い所帯を作りやすくしている」

 

高床:なんか新しい村って言えばちょっと別のものになっちゃいますけど、まあそんな感じですね。僕の出身の青森自体が割とそういう雰囲気があったので、その感覚でやっちゃってますけど。

KS:確かになぁ。でも今このつくばって、外気温がすごい乱高下しているわけですけど、この高床邸はなんかいつ来ても暖かそうでいいなっていう。

高床:人のぬくもりもそうですけど、ほら、人がいると体温もありますし、水蒸気もでるんですよ。暖房つけなくてもあったかい(笑)

KS:物がある程度雑多にあるというのはいいことですよね。

高床:この辺は僕の片付けの下手さと収集癖がですね…。

KS:いやでも結構大事だと思うんですよ。やっぱ自治と空間って結構大事なキーワードで。

ある程度空間として限られていて、かつ顔を合わせる場所があることが、自治空間には大事なんじゃないかっていうのはすごい強く言われてるんですよ。例えば大食堂であったり公共スペースそこがある程度雑に使われている。雑であると使うハードル、例えばご飯を一緒に食べるハードルが下がるっていうのは結構言われてるんですね。

高床:まあ確かに私は物を集めるのも全然集めるし、衛生観念がないわけじゃないんですけど、潔癖ではないんですよ。人が物をぶちまけたりしてもあんまり気にならない。まあ燃やされたりしたらちょっと困るかな。

たださっきいったように邪なことはできなくて、まあ燃やしたら燃やしかえされたりするんで。その辺は意図的な空間設計とかではなくて、私の性質と私のやりたいことがマッチしたから高床邸が出来たみたいなところはありますね。

KS:高床邸ってすごい順調に拡大したじゃないですか。なんか反発みたいなことってなかったんですか?

高床:いやないことはないですよ。私はいかんせん年上の人と仲良くできなくて。苦手というか。ビックマウスというかとげとげしい物言いをすることがあるので、その辺を咎められたりとか。まあなんだかんだで反発みたいなものはありましたね。ただちょっと露悪的というかなんというか、そういうのって会って絆してしまえばいいんですね。

KS:なるほど。

高床:これ、私がなんかして恨みを買っているとかだと難しいですけど、大抵は一種の拒絶反応みたいなものですからね。まあお話しして慣らしていけばいいわけです。

KS:下手にバトルを続けるんじゃなくて、もうとりあえずずっと存在し続けていくことで慣らしていく。

高床:そうですね。初期のころはTwitterで存在感出して人をどんどん集めるのをよく思わない人もいましたけど、そういう人たちって3か月か半年、長くても一年程度で消えて行っちゃうので。なので、残っちゃえばいいのかなと。

KS:それは確かにそうですね。

高床:居座りが一番強いのはこの国の与党がですね(注:2023年12月現在の最大与党は自由民主党)一番証明していることなんですけど(笑)。まあ田舎の論理かもしれないんですが、人間って基本的にいたいところにいるんです。

KS:うんうん。

高床:なので、いたくないところからは、いなくなっていくんですよ。

KS:はいはい。

高床:だからずっと場所を押さえておくのが一番強いんです。そもそも、自分がいたくないなっていうファクトがあれば、人間の取る行動は3つです。①適応して共存する。②排除する。③自分が出ていく。で、適応する分には別にいいですし、出ていく分についてはほっとけばいいんですよ。3択のうち2択はほおっておいていいので。

KS:あー。確かに。

高床:何か実害がある、例えば悪評を流布されるとかだったら、その時その時で手を打つだけなので。

 

「自治空間は確かに物珍しいが、存在を維持し続ければ周りも慣れていく」

 

KS:逆に高床邸という空間は、まあ高床さん以外の人にとっては「知らない男子大学生の家」じゃないですか。そこがいわゆる自治空間というか、サードプレイスというか、そういう感じで彼ら彼女らにとっても機能しないといけないわけですよね。気を付けていることとかってあるんですか?

高床:すごい単純な話なんですけど、適度な距離感ですかね。例えば人間関係の押し引きとか。恋愛的な意味じゃなくて、心理的・物理的なパーソナルスペースとしての距離を詰めすぎないとか。相手のことをどこまで詮索したり、情報を共有したりするかみたいなのを含めて、まあ自然体で気を配るというか。

KS:なるほど。

高床:別に人を家に集めるとか関係なく、純粋なコミュニケーションの上で必要な普遍的能力の話なんですよね。

KS:ふむ。

高床:でまたそれとは別に、小中高のクラスの友人とかに接するときの距離感とかがかなり重要だと思っていて、自然体でちゃんと向き合えば、まあその時その時で取り繕う言葉とか方便とかはあってもいいとは思うんですけど、ある程度ナチュラルな自分みたいなものをちゃんと相手に見せて会話して、で、高床邸に来るぶんにはいくらでも歓迎する。それをやっていればまあ広がっていくと思うんですよね。逆に私が男子大学生にありがちな、こう女性とワンチャンス狙おうみたいな、そういう感じの人間だったら高床邸は成り立ってないと思うんですよね。

KS:確かにそれはそうですね。

高床:そうだったら女性はこう大勢来てないと思うんですよ。まあ私が恋愛に関して、こう、ロマンチストな部分があるので、欲に対して即物的ではないというか、そういうところもありますしね。それにワンチャンス狙うような人間は、そもそもTwitterで顔とアカウントが一致するような振る舞いをつくばみたいな閉じられた空間ではやらない。

KS:高床邸に来ている学生は、なんかものすごく伸び伸びしているという印象があります。

高床:結局のところ、授業であっただけの友人って、関係性に始まりと終わりが見えてるんですよ。授業期間っていう。

KS:確かに

高床:そりゃあ私だって礼節をもって仲良く接しますけど、まあ授業終わったらそこで終わりなんですよね。

KS:ああ。

高床:逆にその、こうやって長い時間一緒に生活を共にすれば、まあ家族まではいかなくても、例えば部活動の仲間みたいな連帯感は生まれますよね。単純接触効果みたいなのがある程度高まってきます。やはり上っ面のペルソナだけで接しているのはいつか限界が来るんです。一緒に飯食いに行く一緒に飯作る部屋で寝るみたいにしてれば、さすがにペルソナでやっていくのは出来なくなりますからね。

KS:確かになあ。授業とかサークルだけだとどうやっても人間関係がライトになるっていうか、場に合わせたわせた関係しか結びにくいんですよね。でも、つくばのこの辺ってはっきり言って筑波大学しかないじゃないですか。東京だと場所ごとの浅い関係をまたいで行って過ごすことが出来るかもしれないんですけど、やはりつくばでは筑波大学に縛られた生活しかできないわけです。その筑波大学で浅い関係しか作れないと、息苦しさを感じる人もいるんじゃないかなと。

高床:まあTwitterのTL(タイムライン)みてもね、皆そういう風に悩んでるんだろうなと思うことはあります。あとどうしてもね、人間同士が生身の関係を結ぶってことは、怖いことなんで。もちろん得られる物は大きいんですけど、リスクもありますから。まあそういうのが怖いからちょっと遠まきに眺めているうちに、深い人間関係を作れなくて、みたいな

それで、欲しているのにそれが手に入らないかなって悩んでいる人もいますね。

KS:ある程度オープンな空間というか、自治空間のニーズが、やっぱり潜在的にはあったってことなんでしょうね。

高床:たぶんそうでしょうね。まあ完全に結果論なんですけど。

私が育ってきた地域がだいぶ人間関係が密な環境だったというのもあるんですけど、私が特に人間関係を作りたい側なんですよね。すごい寂しがりやというか。ただ人間育ってくれば、自ずと他人を求める気持ちっていうのは出てきますから。若干ポジショントークかもしれませんけど、基本的に害みたいなものを最初っから他人に向けようとしている人間ってそうそうおらんですよ。好意的に来るものであれば、好意的に返したいという感情を持つのが多数派だと思います。

KS:報恩性みたいな。

高床:そうそう。好意的に触れ合おうという意思がある。簡単に言ってしまえば話しかける。何しろ、自分の素性をある程度明らかにした上で話しかけているわけですから。そしたら向こうもそれに見合ったものを返してくれて、やり取りが生まれるわけです。

KS:なるほどなぁ。

高床:そうやって寂しがりあって、でっかくなっていくんじゃないかなって。

 

「深い人間関係が欲しいが、怖くて手に入らない。そのギャップを埋める潜在的ニーズが自治空間にはある」

 

KS:すごい面白いのは、こういうのって結構他大学の教職員も実は気にしてるんですよ。学生の人間関係が希薄なんじゃないかとか。なんとか交流させようとか。上からのシステム化でそういうのを対処しようという例はあって、筑波大学にもフレセミ(注:新入生のグループと教員で行われるゼミのようなもの)があるんですよね。

高床:あーありましたね。実は私めんどくさくなってあんまり行けてなくて…。

KS:(笑)

高床:いや結局そこなんですよ。上意下達的に作られる人間関係の鋳型みたいなのにハマりたい人間もいるとおもうんですけど、私はそうじゃない。サークルとかも一緒なんですよ。既存のコミュニティに対して、まず自分の自我を希薄させて、溶け込ませた後に、全体の濃度が上がってくるころに自分の濃度が高まってきて、それでようやく自我を出せるというか。行動の意思決定過程というのが、環境にかなり左右されるような人間関係

KS:うんうん

高床:そういうのを私はあまりしたくない

KS:やばい。これなんか自治論の一番大事なところ今出てきていて、去年のRYOUTONOMYの創刊号で、学生自治論の言語化みたいなことを試みたんですけど、やはり、場があってそれに合わせるような人間関係。で、その中で発言権を得てから発言できるというシステムが長く続くと、やっぱり無力感が出てくるんですよね。去年自治空間インタビューに応じてくださった富山県立大学博士後期課程(当時)の伊達さん(第一巻参照)も、やっぱりこう、自分たちでやってやろうという意思というか、そういうのがすごい大事だという風に仰ってるんですよね。

高床:うんうん。それはそうですね

KS:これは、こう、すごい共通する点だなぁと思ってます。

高床:レッセ・フェールですよ結局。人間ってほっとけばコミュニケーション取るんですよ。例えばそこにいる人間が100人だとして、100人全員が今までコミュニケーション取ったことないなんていうのは、まあ幼稚園の年少さんとかならありうると思うんですけど、われわれ若くても18,9の大人なんですね、年を取っていてある程度のコミュニケーションの経験はあるわけで、ほおっておけば一人が隣の人に話しかけて段々とこう、つながりが出来ていくと思うんですよね。もちろんつながりの濃さとか偏りとかはあると思うんですけど、大人はほおっておけばくっつくので。もちろん既存の型が欲しい人もいるとは思うんですけど、それだけに固執しないほうがね、なんというか伸び伸びやっていけるので。

 

本インタビューの初出は全国学寮交流会が発行する「RYOUTONOMY」二号です。Web公開にあたり、文字の大きさやハイライトなどの調整を行いました。

バックナンバーはこちらから読めます。

筑波大学高床屋敷氏インタビュー 学生自治2.0+α ~筑波大学の在野自治空間~(第一回) | 千万遍石垣

筑波大学高床屋敷氏インタビュー 学生自治2.0+α ~筑波大学の在野自治空間~(第三回) | 千万遍石垣

学生自治を再定義する連載「学生自治2.0」はこちらからどうぞ!

販促!RYOUTONOMY!! 第1回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (目次・第一章)~ | 千万遍石垣

 

 

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