文学フリマ京都9 2025/1/19(日)に「熊野寮と鴨東地域の交わり2」という本を出店します。以下のような内容です。
・琵琶湖疏水の形状
→みやこめっせ西の北進する疏水は京都地形の盆地の勾配に逆らっている。なぜか。
・夷川ダム周辺の開発史
→琵琶湖疏水完成時は大文字が点火されて山鉾が並び、宵山と送り火が一緒になったくらい豪華な祭りが開催された。熊野寮南は水車を動力源にした工場が並んでいた。
・薬学部キャンパスの歴史
→練兵場、牧畜場、織物工場、吉田西寮 明治大正の京都は牧場が多く、ここで採れた松原牛乳が京都市の学校給食でも配布されていた
・吉田西寮の歴史
→今と変わらない寮生の生活と、熊野寮と引き換えに廃寮された棟と、そこから来た熊野寮第一期生達
・60年代の熊野寮開寮時の総長と学生部長達の奮闘
→総長官舎にストームして増寮交渉した吉田寮生達と、第一回熊野寮祭に招かれて歌を歌う総長。学生と距離の近かった当時の大学当局について。
・熊野寮設計相談役の建築学科夘三教授とはどんな人か
→生活空間という言葉を生んだ建築家であり、彼による食寝分離の原則の発見は、のちの日本住宅設計におけるLDKという基本構造の大本になった。
・京都BMX文化の発展と熊野寮
→BMXトップ選手である中村輪夢選手が幼少期に練習していたのが、熊野寮東側のグラウンドだった。なぜそんなでかい施設があったのか。
もしよかったらnoteもお読みください。国会図書館などの資料を漁って、主に岡崎から東竹屋町にかけた鴨東地域の歴史を調べました。また、筆者は2007年頃に熊野寮に住んでおり、2025年4月で開寮60年を迎える寮の成り立ちに興味があって調査しました。
以前、こちらで拝見したKyotoScienceさんのRYOUTONOMYはたいへん面白かったです。この記事を読んで、本サイトは寮に関心のある方も多そうと思い、ここで宣伝させていただけますと幸いです。ちなみに、さんたむさんの手話サークルを辞めた話も大好きです。
開寮時の一期生はじめ、多くの現役学生にも巻頭言を頂けました。ありがとうございました。先々月、第一巻が熊野寮の同窓会である同釜会でたくさんの人にご好評頂けました。ありがとうございます。その続刊に当たる今回もたくさん刷ってしまったので、もしよかったらご一読ください。B5、100ページで一部1000円の予定です。
では、みやこめっせでお会いしましょう。