大学のレポートなどとして書いた文章を折角なので供養していくシリーズ。
中間レポートとして書いたもの。
日本において「イデオロギー」の語はいつ頃導入され、当初どのような形で使われていたのか。出版物における「イデオロギー」の語の初期の出現時期とその用法からそれらを明らかにすることを試みる。
国立国会図書館デジタルコレクションにおいて、出版年が明らかな著作のうち「イデオロギー」の語が最初に用いられているのは、1922年の小林一三の『私の見たソビエット・ロシヤ』である。「世界の劇界に一大刺激を興へたイデオロギーのいろいろの演劇が、国民から厭(あき)られた結果はどうであったか」「共産主義の国に、イデオロギーの芝居が当初宣伝としては感激せしめたに違いないが、」といった具合で用いられている 。また同年に『現代哲学概論』において、唯物史観に言及しながら、「政治も宗教も、すべて物質生活によつて根本的に制約されるイデオロギーであつて、いづれのイデオロギーたるを問はず、すべて実際的な生産様式によって根本的に制約される。」「唯心史観は政治や芸術や宗教をば、純粋イデオロギーッシに説明せんとするもの、物質的基礎から、解釈することを忘れて、ほかの政治や芸術や宗教の力を以て、全く観念的に唯心的にこれを説明せんとする主張である。」 「科学といふイデオロギーは、勿論物質生活によって制約されるが、科学が科学的知識が物質生活のただの反映であるとかうつしであるとかとは、断じて主張することは出来ない。」 という風に用いられている。
このように「イデオロギー」という単語は日本に導入された当初、ソ連体制に関する解説や、唯物論や唯心論に関する解説という文脈で登場する。また、「イデオロギー」の形容詞化した単語が「イデオロギーッシ」と表記されているのは興味深い。
また初期の「イデオロギー」の用法で興味深いのは、1925年の『金融資本論』における「サラリーマン・イデオロギー」という例である。これはサラリーマン階級のプチ・ブルジョアジー的特徴を説明する文脈で出現する 。
いずれにしても「イデオロギー」の語は共産主義の思想や社会を解説する文脈の形で日本の著作に出現し始め、およそ1922年ごろから用いられ始めたことがわかる。ソ連の建国の混乱がある程度落ち着いた時期になって、その体制や思想に対して関心が向けられるようになり、それらを解説する中で浸透していったのではないかと考えられる。
参考文献
猪俣津南雄 (1925) 『金融資本論』希望閣
金子馬治 (1922)『現代哲学概論』東京堂
小林一三 (1922) 『私の見たソビエット・ロシヤ』東寳書店

