若手枠などについての記事をいくつか書いた後で、女性限定公募や女子枠に関するコメントをたくさん見かけるようになった。これらは性差の改善や文化風土の改革を目的として、特定の学部学科での新規採用者・合格者の一定程度を女性に割り振る仕組みである。ふむふむとうなずくことも多い一方で、賛成派・反対派ともに同じところをグルグル回ったり、的外れな言動をしたり、感情的な罵倒を行う例が散見されることにも気づいた。これは悲しい。本稿では女性枠や女性限定公募について議論したり、発展的解消に持ち込むために踏まえておくとよさそうな論点を列挙し(全部ではない)議論の参照点とすることを目的とする。関係各所での建設的な議論を期待する。
1)差別の創発現象的側面
2)女子枠は違憲ではないかという主張に関して
3)歴史認識に関して
4)格差の是正
5)地域格差
6)フェイク感情
7)稼得圧
8)出世
9)男性限定解雇
10)いつ女子枠を廃止できるか。
1)差別の創発現象的側面
まず全員がよくわかってないと思われることとして、差別は創発現象という側面を持つ。
創発とは何かというとーまあざっくりとした言い方をすればー以下の定義になる。
「全体として現れる性質が、個々の構成要素に還元出来ない場合、それは創発による現象である」
よく研究されている例として、水が挙げられる。水の持つ性質(流体である。粘性がある。キラキラしている。etc…)は、水という非常に多くの分子からなるバルクの状態でのみ存在し、個々の水分子一つ一つは持っておらず、自明に導くことも難しい(例えば1つの水分子は普通の粘性を持たない)。水分子が集合して初めて、バルクとしての性質が現れる(emergence)のである。この概念を広めたのはミルであると言われており(注1)。その後自然科学の分野で研究が発展した(注2)。
近年の社会科学の成果として、創発現象は人間社会の中でも発生するという発見がある(注3)。特に差別は創発現象の例として注目を集めている(注4)。すなわちある差別について「いや誰も差別をしてないじゃないか」という指摘はそれだけでは意味をもたない。自由意志の集合体として、バルクの人間関係の中で差別(例えば疎外)が顕現することはあり得る。個々の人間が自由意思をもっていても、そして構成員が差別をしようと思っていなくても、その集合体が差別をすることは普通の現象であり、多くの研究論文が存在する(注5)。特に組織内の女性差別については研究されている(注6)。創発現象としての差別に対応することが現代では求められている。漠然とした話に見えるかもしれないがやることは単純である。「実際に差別をしている個人がいるかどうか」だけではなく「観測事実として属性による偏りや、ある属性の集団からの締め出し、制度や価値観上の偏りが起こっているかどうか」を実際に個別具体的に観測すればよいのである。
この観点からみると「いや、私は差別をしていない」というセルフチェックや「彼は差別的な取り扱いをほぼ行っていない」等の個々人の行動への評価だけでは不十分である。集団になったとたん、非自明な理由で起こる差別というものが存在する(注7)。例え個々人がほとんど差別的でなかったとしてもである。
ある集団で創発現象による差別ー例えば疎外ーが起こっている場合、その原因は、今現在その集団に属している構成員それ自体の集合である。個々の言動では一つ一つない。例えば大学入試であれば、今現在の個々の構成員、すなわち受験生・大学生・大学院生・教職員・執行部の性質の集合が原因である。過去の誰かの責任ではない。我々(の集団)が今やっているのである。女性限定公募や女性枠は個人の救済ではなく、組織の構成を変え創発現象を制御する一つの手段として捉えられる(後述するが、ここに発展的解消の鍵がある)。
そもそも私は、人間が最初から平等であると思ったことはない。人は常に不平等である。ゆえに平等とは我々の不断の努力によって目指すものであり、平等だと宣言することで平等が達成されたと思ってはならない。それは手段の一つでしかない。これとは逆の議論、すなわち、ルール上公平であればプレイヤーは何をしてもよく、その利益はプレイヤー個人に帰するという考え方は、相当程度差別的だと思う。この意味で、私は現役世代が差別的でないと思ったことはない。差別的でないというのは、差別を自ら積極的に感知し、真に差別であればルールや所有権を無視してでもリソースをある程度分配することである。競争が公平であることを理由に大きな格差を是認することではないし、競争に勝って大きなリソースを得ることを希うことでもない(注8)。この意味で、現役世代は割とまだ差別的だと個人的には感じる(注9)。
繰り返しになるが、女性限定公募や女性枠については「お前らが今現在、全体としてダメなんじゃないか」という視点から枠による改変がなされているのであって、今現在の状態は現役のコミュニティメンバー(執行部・教員・職員・ポスドク・大学院生・大学生・受験生や予備校のクラスを始めとするその大学や学科周辺の人々)に第一の責任がある。昔の人ではない。今現在のあなた方の行動が問われており、その集合体の結果として明示的な、あるいは創発現象としての差別が人数等として観測されているので、改善手段として枠が提案されているのである。(ではどうやったら枠をなくす方向にもっていけるのか?は本稿で論じていく)。
2)女子枠は違憲ではないかという主張に関して。
本邦では合憲説と違憲説がある。平等を定める憲法14条が引き合いに出される場合が多い。憲法14条の解釈を巡っては大きく分けて2つの学説がある。憲法学の入門書より、引用する。(川口「ジェンダーの視点で学ぶ憲法入門」大槻書店)
A.相対的平等説(通説・判例)
この説によれば、憲法14条が定める「平等」とは、原則として形式的平等のことである。したがって、14条を根拠として、現実の経済的病棟の是正といった実質的平等の保証を国に要求することはできないとする。
ただし、憲法14条が定める「平等」とは、いかなる場合にも各人を絶対的に等しく取り扱うという絶対的・機械的平等を意味するのではなく、同一事情・同一条件のもとでは均等的な取り扱いを要求するが、異なった事情・条件の下では、取り扱いに合理的な差異を持たせることも許容するという相対的平等である。
よって、憲法14条は、原則的には形式的平等を要求するものの、合理的な範囲内で取り扱いに差異を設けることも認められる。
B.実質的平等説
この説によれば、現代的な福祉国家・社会国家の理念は実質的平等を要請しているので、14条の「平等」も国家権力による実質的平等を意味すると解すべきである。よって、憲法14条は「不平等な取り扱いを受けない権利」という消極的性質を有するのみではない。それは、実質的な平等状態を実現するために、国に対して一定の行為を要求する根拠となるという積極的性格も有する。
まず前提として、憲法は実質的平等の追及を禁止してはいないということを挙げる。たとえ積極的に平等を目指す各人の行動が、形式的平等を脅かすとしても、それを理由に禁止することはできない。所得税の累進課税が最も有名な例である。他にも、例えばA県と東京都で教育格差があったとして、東京都負担でA県に学校や図書館を作ることは違憲ではない。あるいは高卒と大卒で生涯賃金に差があるとして、非大卒者限定の求人をつくることも、違憲とはされていない。家庭環境に応じた援助をすることも、違憲ではない。また、氷河期世代を始めとする不利益を被った世代に対して世代限定の求人をつくることも、違憲とはされていない。たとえ国に新たに要求することは難しいとしても、国や各機関が自発的に行うことは全く禁止されていないのである。
ただ個人的には、上記の学説について取り上げるよりは、実質的平等への要求の高まりから生じた「平等権」という概念(注10)に基づいて議論する方が良いと考えている。観測事実としてここまで意思決定者に男性しかいない集団「のみ」に「限定」して、枠を設定することは、十分平等権の達成に寄与するのではないのか?男性だけが男性に有利な環境にいて、男性に有利な評価基準を作っている現状は、平等権を侵害しているのではないか?もちろん女性枠に限った話ではなく、年齢枠、社会人枠、留学生枠等様々な設定が考えられる(注11)。私は法学の専門家ではないが、過去の論文や議論等を見る限り、違憲説・合憲説によらず、枠が設置させる「対象」についての質的研究に則ったものは少なく、「その」学科に設置する妥当性と「枠一般」の妥当性を混同して違憲/合憲を判断している場合が多いように思える。もう少し精緻な議論が必要であろう。
3)歴史認識に関して
過去の男性の尻拭いを今の男性にさせるのはおかしい、差別的であったのは過去の男性であって今の男性ではない、という意見は散見される。今の男女は差別的でないというのは微妙だと思っているが(本稿の関連項目を参照のこと)そもそも何故歴史認識が度々持ち出されるのかわかってない人が多い。
第一に、歴史認識を度々持ち出すのは、自然な状態であれば人間は差別してしまうからである。特に、差別することがその人(あるいは団体)にとって合理的である場合である。別に昔の人も「差別!!楽しい!!!」と思って差別していたわけでは必ずしもない(そういう人もいたかもしれないが)。差別をすることがその人にとって(少なくとも短期的には)合理的であるから、人は差別してしまうのである。例えば懇親会で話しやすい人に仕事を回す、例えば深夜休日出勤してくれる部下を「かわいい」と思ってよい推薦状を書く。例えば英語の練習になる国の人によく話しかける。例えば信頼がおける国の論文を選んで読む。例えば母国語が通じる相手にしか深い話をしない。例えば上司が理解しやすい悩みを抱えた同性の部下に親近感を覚える。2026年現在でもよく見ますよ。
自分の時間という有限のリソースを効率よく利用しようとした場合、「効率よく」仕事を進めようとする心が差別を生む一つの要因になる(一時そうであったとして直ちに差別になるわけではない)。使い勝手の悪い部下(例えば妊娠したり産後にブレインフォグになる女性)には仕事をなんとなく回さないようにしたり、信用の問題だと言って扱いに差をつけることは、総体として差別を生んできたという歴史的事実がある。そのため現代人は歴史を学び、相手について知り、自分の利益よりも包摂を意図的に重視する態度をとり、また、自分の欠点を伝えることで他者に包摂の経験を積ませなければならない(注12)。包摂的な環境というのはこうした個々人の努力の上に達成されるべきものであり「はいルール決めた!!平等に適応するから平等!!!」と宣言することだけでは達成されない。お前もついうっかり差別しちゃうんだよ。まずそこを老若男女全員が理解しよう。
第二に、現役世代は差別構造の恩恵を受けている受益者である。過去の男性等が差別的な枠組みで構築した学部学科・予算取りのフレームワーク・研究論文や技術的蓄積・学位プログラムや留学プログラムにのっかって、今の高校生や大学生や大学院生は、入試や講義を受けられたり、学位を授与されたり、実験や計算・フィールドワークを行うチャンスを与えられている。ポスドク以上であれば給料をもらったり、ボスからより密接な指導を受けたり、論文執筆のチャンスがあったり、学会を利用して人脈を広げることも多くあるだろう。これらは全て先人が(残念なことに)差別しながら作り上げてきたものを使っている。名門と言える大学ほど、差別によってつくられた遺産(時と場合によっては大日本帝国時代の)により名声を得ている。新入生や新規採用者はその名声によって「いい思い」をするわけである(注13)。であれば、名誉のみならず負債も引き継ぐべきではないだろうか。もちろん、「使うな」なんて一言も言っていない。ただ過去の差別構造から利益だけを引き継いで、差別是正や差別の予防に関する責任を拒否することは出来ない。いいとこどりして無垢な被害者を装うのはダメですよ。両方引き継ぐか、両方引き継がないかのどちらかでしょ。念のためにいうとこれは現役世代の性別等によらない。例えば「私は女だから他人を見下したりしていい」「女には包摂的な空間を作る義務はない」という理屈は成り立たないことは付記しておく。あなたも引き継がれたコミュニティの一員ですよ?さらに言えば、過去の先人が行った差別は性差別のみではないことは自明である。
歴史的限界と戦いながら先人たちは(いろいろ言いたいことはあるが全体的な傾向としてはまあ)包摂的なアカデミアを作るよう努力してきた。当然先人たちは山のような過ちをおかして来たとは思うし、現代にも当然歴史的限界はある。ただせめて「現代人は差別をしない」みたいな嘘を堂々と掲げ形式的な平等(概ね掲げる側に有利)で満足するのではなく、自分の利益を少し棚に上げる態度や、創発現象として現れる差別を是正することに時間・枠・金銭等を使う態度をとってもよいのではないだろうか。良い未来を創ろう。
4)格差の是正
格差は少なくとも2つの側面をもつ。一つは何かについて違いがあるという事実そのものであり、もう一つは違いに上下を付ける文化的振る舞い(階級)である。違い自体は自由主義国家では相当程度肯定されるものであるが、階級は否定されるべきものである。仮に水と油が分かれるごとく、階級が自然に発生するのであれば、自由主義国家の一員である我々は、常に階級を打ち消す方向に動かなければならない(注12,14)。
注意点として、出世することと階級が消えることは全く別である。例として貴族→平民という単純な上下2階級を考える。この時、努力すれば平民は貴族になれて、貴族は堕落すれば平民に落ちるとしよう。一見すると実力主義に見えるかもしれないが、少し引いてみると貴族→平民という上下2階級という制度は全く壊れていないことが分かる。むしろ出世したい。認められたい、落ちこぼれたくないという欲望が、格差と階級を固定化させるのである。階級を無視する振る舞いを全員が日常的に取り、階級を無効化させることが格差是正に繋がる。
5)地域格差
これもあまり理解できない論点である。地域格差はもちろん存在するが、大学における地域格差は「津々浦々に大学や大学院を作る」ことで埋めるのが基本方針であって「東京の大学にどの地方からでも進学しやすくする」ことは格差是正でも何でもなくないか?。むしろ東京を中心とするヒエラルキーを強化する、格差を促進するふるまいである。例えば東京大学に東京の学生しか進学できないという事実があったとすれば、その場合は「東京ローカルの大学を国費で支えるのをやめて東京都の負担として、空いた予算を別の大学の予算に回す」「非東京圏の大学にふるさと納税することを認める」といった是正措置がとられることが、格差是正につながるだろう。東京=優秀という偏見を捨てて曇りなき眼でみれば、地方から東京に出やすくすることは、東京と地方の間のヒエラルキーを破壊することには必ずしもつながらず、むしろ逆に強化する方向に働きやすいことは明白ではないだろうか。いってることとやってることが矛盾してないか。(地方Aから地方Bに進学することを無意識に除外した人は偏見を自覚すること。)
6)フェイク感情
ここで、女子枠によって惹起されるフェイク感情についても述べておく。一般論としてある制度Aを作る場合利益・不利益の双方が生じる。またそれに伴い感情が生じる。生じた感情の内、制度Aと似た制度Bであればほぼ生じないが、Aでのみ多く生じる感情を、フェイク感情と呼ぶ。逆にAだけではなくほかの関連する制度B,C…に対しても生じる感情を、強固な感情と呼ぶ。フェイク感情を捨てて強固な感情に着目することが、心身が制度に踊らされないためには大事である。
女子枠の例に即して言えば「女子枠のせいで入試に落ちた」という当落線上の男性の声が挙げれられるであろう。まず、入試というものには定員があるので、制度Aである女子枠だけではなく、例えば制度B(定員制)、制度C(他の入試形式)、制度D(入試問題の内容や形式)などにも概ね同じだけの感情を向けているかを確認する必要がある。これらは入試に落ちたという結果に対して概ね同じ程度、少なくとも無視出来きない量の影響を持つだろう。もしそれが、制度A,B,C,D等にちゃんと思考を向けた上での制度Aへの感情なら、それは強固な感情である。もしも、定員があることや、推薦入試などで定員が奪われていることや、入試問題のセットが自分向きではなかったことなどには一切目が向けられず、女子枠にのみ目が向けられているのなら、それはフェイク感情である。
フェイク感情であっても感情は感情なので大事にすべきだ、という意見もある。私も全面的に否定はしないが、フェイク感情に踊らされることは、ほかに本質的問題としてありうる点(例えば、定員がそもそも少ないことや、大学Pと大学Qの間に格差があると思い込まされていること、P大学の学生がQ大学のリソースを使えないという近年発生した傾向、出題形式や要求される準備が自分に不利なことなどが例として挙げられるかもしれない)から目をそらし、自分が言及しやすい問題に絡めとられる危険性があることを付記しておく。さらに言うと、制度Aが設定された理由にも目を向けにくくなる。例えば制度設計に補助金が出ている場合を例に出すと、まっとうな目的なしで金を得ることは困難であり、少なくとも同意をとるだけの必要性があるわけである。それはなにかを描き出し、その前提を無くしていくことが、制度を廃止するにせよ、改善するにせよ重要である。建設的な議論を行うためにも、感情のフェイク性には気を配るべきだ。
7)稼得圧
便利な言葉だなぁと思っている。多分「いい感じに就職しろというプレッシャー」の意味で使っていると思うのだが…。それは「働くことを社会全体からエンカレッジされている」という側面もあるでしょうに。なんか「男はつらいんだ!」みたいなニュアンスで使う人があまりにも多すぎる。論者にはまず、あなたは稼得圧が正しいと思っているのかを問いたいし、間違っているならなんで従っているのかを問いただしたい。お前が稼得圧をのさばらせている原因じゃん。正しいと思っているのなら、素直に働けばよい(注15)。少なくともある学部のある学科に入れない限り高収入になれないという現実は日本国にはあまりないのだから(注16)。稼得圧を理由に大学に入れてくれと懇願することは出来ない。少なくとも男性側は(注17)。
個人的には「性別に関係なく適度な稼得圧がかかっている社会が理想であり、正しいエンカレッジである」とは考えている。労働は別に辛いことばかりでもないしね(注18)。理解できないのは芸術系の大学を引き合いに出してくる論者で、芸術系の大学の大半は世捨て人育成機構というよりは理論と技能を教える場所なので(少なくとも日本では)、普通に正社員になる人も多いし、人によっては会社を興したりもする。「稼得圧を感じない人間しかいかない大学」という散見される前提は結構的外れなのでは…???
8)出世
ナンセンスだと思う。大学を出てからの出世は自己責任で勝手にしろと言いたい。「女子枠が導入されると我々の出世のチャンスが減るではないか!」という考え方は現在の格差を肯定する考え方で全く賛同は出来ないし、そもそも大学名と入社できる企業の間に皆が思っているほどの相関はない(確かに緩やかにはなんとなくあると思うが、そんなもんである)。入社してからも学校名でたたかうんですか??それは流石に今時むりでは…????ただ修士・博士号については、確かにそれがないとエントリーすらできない求人があるので、学位を取得しやすい大学に学部から進学することには一定意味があるとは思う。これは各地の大学院を拡充することで対応すべき問題である。
9)男性限定解雇
実は近いことは行われていて、早期退職勧奨の案内は割と回ってくるらしい。プログラムにもよるが対象になる年次は2026年現在大体男性が多いとされる(歴史的事情による)。それはともかくとして、男性限定解雇が差別解消につながるか(いわゆる「席をあけろ」理論)はかなり懐疑的である。もちろん「これは対人論証であり無効」という明らかにアカン点を除いてもである(注19)
目につく誤謬は3つ。9-1)現代人は差別的ではない。9-2)受験生や求職者は常に弱者である/最も弱いので尊重されるべきだ。9-3)今いる男性が席を開けることが目的達成につながる。それぞれ説明していく。
まず9-1)である。前述の理由に加えて、現代人のかなりの部分は「これは差別だよ」というパターンを覚えただけで「差別を消すために人生の一部をちゃんと使う」ことを当たり前だとは考えておらず、むしろ負担だと捉えてないかと思う局面が多い。違ったら教えてほしい。
現代ではただ単に差別の表し方が変わり(例えばメリトクラシー・ルッキズム・格付け・同調圧力・勝ち組負け組・人間関係への損得勘定の持ち込み)多様化しただけであり、現代人が昔の人より差別的でないという証拠は正直あまりない。もちろん、差別の表し方は変わったとおもう。例えば職場でお尻をなでなでする会社員はほぼいないだろうし、産休や育休についての価値観も前の世代とは大きく変わっている。逆に言えば未だ発展途上である。産休をとることはOKでも、産休によって5年間研究から離れた人がポストをとれるルートはできていない、みたいな、肝心かなめのところでメリトクラシーがまだ入っているとはおもいますよ。(具体的には研究成果を量で評価する風潮とかは消えてない)。形式的な平等論にとらわれず、全員に対して包摂をしっかりと行うことが大事である。こうしたことはあちこちで言われている。
”たとえば、国連の持続可能な開発目標(SDGs)や、国策、企業のESGレポート、DEI施策などで掲げられる「ジェンダー平等の達成」とは、単に男女を同様に扱うことではなく、性別による障壁や格差を是正する支援、社会構造や社会規範の根本的な変革を通じて、結果としてすべての人が平等に恩恵を受けられる状態を実現することを意味している。”(注20)
次に9-2)である。特定の公募に応募できない/入試を受けられないことと、既に成立している雇用を性別のみを理由に打ち切られることは、少なくとも本稿の議論では同じ不利益として扱えない。前者で失われるのは、まだ取得していない一つの選択肢である。受験生や求職者は多数の選択肢を持ち、能動的か受動的かはともかく移る準備が出来ており、実際に行動に移すキャパシティがある。一方、解雇では、現在の収入、研究環境、居住地、家族の生活設計、学生との関係など、既に形成されている生活基盤が失われる。解雇される前はともかく、解雇された後は求職者よりも不利になるのである。転職活動は自由であっても解雇には規制があり、出産は自由であっても殺害には強い制限がかかる。職を求めている側が常に弱者であるというのは早計である。もし読者が男性の学生で、あまり想像できないのであれば、一度自分が男子学生限定退学の対象になることを想定してみて欲しい。(男性限定解雇を正当化できるなら正当化されるはず)。本当に受験生はあなたよりも弱者でしたか??その受験生は別の大学でも新入生になる権利があって、あなたの履歴書には大学中退と残って同窓会にも入れないし新卒カードも使えないとしてもそういえますか??応募機会の限定と、既存所属の剝奪は対称ではない(注21)。
加えて付け加えると、応募できなかった人について「本来自分の席であったものを奪われた」と考えるためには、選抜が行われる前から、その席が潜在的応募者の誰かに帰属していたという妙な前提を置かなければならない。学籍やポストであったとしても、その席が特定の男性応募者の所有物になるわけではない(注22)。
最後に9-3)であるが、仮に差別是正のみを考えるのであれば、今いる男性教員が席を開けるとポストが1つあく。一方で、この男性教員が権力を発揮し、マイノリティ枠を10個つくれば、ポストが10個できる。本当に「席が空くことによる差別是正」のみを考えるのであれば、この男性教員にはどんどん大学の予算を使ってもらい、マイノリティ向けのポストを作ってもらったほうがよさそうである。他人の腹で切腹という表現があるが、他人(組織)の金の使い方を変えることは社会的な筋の通し方であり、単なる辞任よりも問題解決へのインパクトが高い場合が多い。ドシドシ「切腹」させるべきだろう…という反論をうけてしまうので、あまり9-3)を声高にいうべきではないと思う。組織の体質改善のために枠を設置するんだから、個人のポストではなくて組織の方針(金と時間の使い方)を変えるほうが常に素晴らしいんですよ。
少し皆さんにも考えて欲しいのだが、他人のためにクビになってほしいとお願いすることが、本当に差別のない包摂的な組織につながるのかは大いに疑問ではないだろうか。私はあまたのポスドクやサラリーマンがリストラされる所を下から眺めてきたが、それで組織が包摂的になったという話はあまり聞かない。目的達成に貢献しない施策を打つのは、やめるべきだ。あなたのフェイク感情はすっきりすると思うが…。
10)いつ女子枠を廃止できるか。
枠が設置される目的を先回りして達成してしまえば、枠は正当性を失う。たとえば、一般入試の受験者の男女比が1:2~2:1程度で安定する場合は、入試を受ける過程において性差別があるとはもはや言えず、性別のみに由来する枠を設定することは出来ないだろう。男女の大学進学率が向上した現代日本において、「大学進学全体それ自体への女子枠」を設定することは相当の困難を伴うことと同じである(注23)。
注意すべき点として、不利益を得ている男性が多いことと、男性が決定権を独占していることは両立する。例えばある領域で、テニュアが欲しい単年度契約の男性ポスドクが1万人女性ポスドクが5人、テニュアのポスト10個は全て男性で占められているという極端な状態を考えよう。この場合男性からの怨嗟の声の総量が大きいことは容易に想像できるが、それでも決定権を男性が独占していることには変わりがないので、テニュア職では女性限定公募をするべきである(注24)。ふざけるな!と思った人は前述のフェイク感情に踊らされている。どう考えてもこの極端な例ではテニュアポストがないことと、単年度契約の人間が多すぎることが原因である。分野にテニュアを増やす組織運動や、任期が切れてもラボに居座る示威行動、他分野のポストに着任する学際的行動、労働組合に加入し複数年度契約を可能にするよう雇用契約を改訂する労働運動等の方がはるかに合理的である。強固な感情に基づいた運動をしよう(注25)。そうでないと何の問題も解決できない。枠が10しかないならどのみちあなたにはテニュアはこないよ?解決すべき問題を解決しよう。
裏を返せば、女子枠が設定されている学部学科で、空間の決定権が男性から男性以外に移れば、女子枠の正当性は大幅に減少する。決定権を譲渡することで、枠の正当性を減らすことが可能である(注26)。
もう少し抽象度の高い話をすると、枠設定の対象となる差別は創発現象であることが多いのであって、創発現象を制御出来ればその差別を消すことができる。創発現象を制御する古典的な方法は、構成要素をガラッと変える方法である。例えば水分子の集合体からバルクとしての水の性質が生じる創発現象のメカニズムが全く分かっていなくても、半分ぐらいエタノールを混ぜてしまえばバルクの性質はガラッと変わるだろう。枠というのはこういう正当性を持つ。構成要素の構成比率を確定的に変化させられるのだ。加えて、人員に関する枠はその大きさを連続的に変化させられるという性質を持つ。良い結果が出る条件を探索しやすい。他の優遇措置に比べて、創発現象制御条件の探索という面ではメリットが大きい。社会実装しやすい手法と言える。
しかし、分子と人間の違いとして、人間は意志と感覚器を持つ生き物である。自分が属する空間をマジョリティにとって居心地が悪い空間、あるいは、少なくともマイノリティにとって居心地のいい空間に変えることによって、構成要素を変えなくても、バルクとしての性質を変化させられるかもしれない。個々人が考え方や振る舞いを少し変えれば、創発現象を制御して、枠の正当性を落とせるかもしれないのである。その点において、私は相当程度楽観的である。
具体的にどうすればいいかは個々の環境によるが、例えばインターネット上の悪ノリを現実世界に持ってくるのをやめる、話しかける頻度や話しかけかたに男女で差がないか確認する。相手の人格を理解しようとする。対して必要ないのに他人を評価するのをやめる。SNSや現実で他人を罵倒しない。自分が「居心地がいいな」と思ったらその空間を拡張するように振る舞う(排他的にしない)。露悪的な言動やマウントを取らず、かつ自分についての情報をやや多めに開示する。予算策定や人事や決済等における決定権をマイノリティ側に渡して、自分はとりあえず従ってみるといった行動は、割とプラスに働くだろう(そうでない場所を全否定するものではないし、これらが最善であるとも言っていない)。大学や大学院の公共財性を強めて排他性を減らし、構成員の比率を変化させること、例えばリソースや権限の配分を書類上の身分の有無によらず開放していくこと等も有用かもしれない。
また、包摂を目指している場所に話を聞きに行き、応用してみるのも一つの手である。例えば北海道大学恵迪寮では男子寮を男女混合寮へと改組することに成功している(注26)。共同生活の中でどのように様々な学生をコミュニティが包摂しているかを教えてもらうのだ。同様の男女混合寮というスタイルは京都大学吉田寮や熊野寮にも見受けられ、ノウハウが相当程度蓄積されている(注27)。大学関係者がアクセスしやすい学生自治寮を例にあげたが、当然、ノウハウを持つ集団は大学内外に多数いる。今時先進的な企業だってたくさんありますよ。完璧でないにしても包摂を旨とし格闘している方々に話を聞いたり、長期的に権限を渡してみて空間を改善するのは一つの手段である。包摂的な空間設計の先行研究だってたくさんある(注28)。コールドコールぐらいはやってもいいんじゃないかなぁ。勧誘を変えることも一つの手段である。これまであまり入試を受けたり博士号をとらなかったような人々、あまりエンカレッジされてこなかったような研究者を、性別・年齢・職種によらずどんどん勧誘・採用していこう(注30)。それによってバルクの構成要素を変えて創発現象を制御していければ相当程度マシになるはずだ。
制度のそもそもの目的は、包摂的な知的生産の場としてのアカデミアを日本各地に構築・差別のない環境で人材育成や研究活動を行うことである。自律的に目的を達成出来き、観測事実を迅速に変えていけば、枠などという押し付けは正当性を無くしていく。包摂を確立し、創発現象を制御し、大学を超えた世界へのモデルケースとなっていこう。我々にはその能力がある。
(注1)板谷和彦, “「創発」とは何か―学際的視点での探求―”, 香川大学経済論叢, 2021, 94, 1-14.
(注2)実際のところ水分子は何分子集まれば水っぽくなるのかについては、自然科学側の結構重要なトピックであり、精力的な研究がおこなわれている。例えば
・Alessandro Rognoni, Riccardo Conte and Michele Ceotto., “How many water molecules are needed to solvate one? ”, Chemical Science, 2021, 12, 2060-2064.
・Kai-Yang Leong and Feng Wang., “A molecular dynamics investigation of the surface tension of water nanodroplets and a new technique for local pressure determination through density correlation”, the Journal of Chemical Physics, 148, 144503.
・Xiaohan Li and Ian C. Bourg, “Microphysics of liquid water in sub-10 nm ultrafine aerosol particles”, Atmospheric Chemistry and Physics, 23, 2525-2556.
(注3)古典的な例として、例えばデュルケムの思想が挙げられる。
(注4)Thomas Schelling(https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Schelling)による研究が古典的な差別の創発特性に関する研究の例として挙げられる。
・Thomas.C.Schelling, “Dynamic Models of Segregation”, Journal of Mathematical
Sociology, 1971, 1, 143-186
簡単な日本語のざっくりWeb解説として
・”シェリングの分居モデル”, MASのモデル
https://mas.kke.co.jp/model/schelling/?utm_source=chatgpt.com
などが視覚的にもわかりやすいかもしれない。
現代的なレビューとしては(はっきり言って差別の創発特性という分野は無茶苦茶広いので最善のチョイスを出来ている自信は全くないが)、以下が挙げられる。
・Barbara Reskin, “The Race Discrimination System”, Annual Review of Sociology,
2012, 38, 17-35.
(注5)創発特性を含む差別の理論的研究に関して、日本語でまとめられた手に入りやすい文献としては
・内藤淳, “差別の社会学理論に関する検討ー理論の拡張と体系化をめぐる試みー”, 社会学年報, 2019, 48, 5-18.
がある。
関連文献として
・M. Alperen Yasar., “The emergence of discrimination due to miscategorization”, International Journal of Organization Theory & behavior, 2025, 28, 281-298.
を挙げる。
(注6)”From bias to exclusion: A multilevel emergent theory of gender segregation in organizations”, Research in Organizational Behavior, 2012, 32, pp137-162.
(注7)読者の便を図るため、創発現象でない差別の例を挙げる。例えば裏のボスがいて「あいついじめようぜ」と明白な指示を出している場合、これは創発現象ではない。女子トイレが全くない、生理で中座すればなじられるといった明白な制度的欠陥がある場合、これは創発現象ではない。明白な環境型セクハラや体力がある健康な成人男子しかまともな成果を上げられない労働環境である場合、これに由来する現象は創発現象ではない。人種や年齢に対するからかいを行う人がいる場合、これに由来する現象は創発現象ではない。これらは明白な社会の欠陥であり、創発現象ではない差別である。
(注8)差が生じることを全面的に否定するわけではないが、体感ではええとこ2~3倍ぐらいが限界ではないかと思う。これに反対するひとは、成果は競争に打ち勝った結果であると主張することが多い、が、「そもそもなぜその基準で競争することが許されているのか?」に思いが届かない人が多い。ある競争が許されているのは、競争が全体の利益になるからである。全体の利益よりも競争による害が大きい場合、競争やそれによる過度の勝利は許されない(漁獲量の制限や独占禁止法等がぱっと思い浮かぶ例である)。競争に疑義が示されている場合は、まず競争の意義をディフェンスしろ。
(注9)ただ「現役世代」といってもかなりの年代・性別グラデーションや個人差があることは付記しておく。現役世代に敵対するつもりはないです。あと、昔の方がマシだったみたいなことを主張するつもりもないです。少なくとも包摂的空間の大事さについては昔よりも今の方が遙かに理解されている。
(注10)読者の便のため、川口「ジェンダーの視点で学ぶ憲法入門」大槻書店より、平等権に関する2つの学説を引用する。
A.権利性肯定説(通説)
この説によれば、憲法14条の「法の下の平等」は、平等原則と平等権を同時に規定したものであり、両者は表裏の関係にある。それはすなわち、憲法14条は。国家の側から見れば平等原則を、国民の側から見れば平等権を定めたものである。
B.権利性否定説
この説によれば、「平等」は関係的概念であって、単一の権利概念としては成り立ちえない。訴訟を提起するにあたっては、平等原則違反を言えば足りるのであって、あえて平等権という概念を構成する必要はない。したがって、憲法14条の「法の下の平等」は、平等原則を規定するのみで、個人に権利としての平等権を保障するものではない。
日本国憲法14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。アファーマティブアクションにおいては「あなた方は『社会的関係において』差別してますよね。この差別的な状態を補正するために、是正措置が必要ですよね」という考え方が取られることが多い。
(注11)ロールズの格差原理を使い、わかりやすく枠を正当化する方法も考えられる。その空間における最も不利な人を優先可能な包括的な場所にすることを目的として、女性枠(あるいは若手枠)によって不利な人間にコミュニティに入ってもらう。女性枠自体には格差原理的考えがあるのである。ただし、ロールズの格差原理をどう使うかに関しては論者の恣意性がかなり大きいことは付記しておく。
(注12) この辺りのことを話すとよく出てくる意見として「明示的に下駄をはかされているのはそいつが無能だからだ」という誤謬がある。いや、明示的に下駄をはかせることが社会的利益になるから下駄をはかせているのである(例:補助金・奨学金・渡航助成・地域限定採用)。ソーシャルエネミーは下駄を「はかない/はかせない」側である、という感覚があまりないんじゃないか。自立していると思い込めることに自尊感情を持つのは大いに結構だし、社会を効率化したり社会全体の不幸を最小化するために個人の人生があるわけではないので、下駄をはかない/はかせないことをあえて大声で咎めだてはしないよ。しないけどさぁ…。無条件に善だと思うのはやめて、せめて留保をつけたりしてくれないかと思うことはある。留保というのは個別具体的に見ていくと「明らかにヤバい人事」もないわけではないからである。酷い個別例に出会った人間が悪感情を持つのは理解できるし、それを否定する気はない。一方でそれは酷い個別例に過ぎない可能性は一応考慮してほしい。
社会的に意義がある効果の一例として、アンチ・マタイ効果を指摘する。マタイ効果とは「富める者はますます富む」という効果である。最初の微小な差異が拡大され、無視できない格差となる現象であり、よく生じる。現代的なレビューとして、やや古いかもしれないが以下がある。
・Thomas A. DiPrete and Gregory M. Eirich, “Cumulative Advantage as a
Mechanism for Inequality: A Review of Theoretical and Empirical Developments”, 2006, 32, 271-297.
ここで着目すべきは、大きな差異が結果として生じていても、最初の一歩の差は小さいということである。今少し下駄をはかせて差を埋めれば、将来的な大きな格差(キャリア・貧富等)を少なくすることができるし、逆に、過剰なマタイ効果による分不相応なキャリアアップ・稼得・権限等の大きな差を抑止できる可能性がある。正のフィードバックを切るのだ。
(注13)例えば「旧帝大」という表現を聞いたことはないだろうか?「帝」は大日本帝国の「帝」ですよ。名門っていわれてますよね?旧帝大や旧制高等学校では大日本帝国時代、たくさんの有形無形の投資を受けていました。当時の活動は今の大学や大学院と地続きです。
(注14)階級大好きな人間もいるかもしれないが、その場合格差是正を掲げて論を組み立てるのは無茶苦茶難しいとおもう。やるならたとえば「社会は一定層の貧民階級を必要とするが、貧民であっても努力すれば貴族階級にも上がれるのだ」みたいな「いやそもそも貧民をなくせよ。革命とか起きたらどうするんだ。おまえら貧民の人生を何だと思ってんの?」で終わる前世紀の議論を真面目にやるしかなくなるが…。
(注15)稼得圧があるからブラック企業を辞められないんだ。という声はこれまでかなり効いた。大学や公的機関に解決を依頼すべきはそっち(企業をホワイト化する社会制度や産業別労働組合の構築。高卒でも可能なアシスタント職の大学での提供。逃げ場としての大学院や一時的なポスドクという選択。自治体等の公的機関主導での失業手当の貰い方講習)である。実際、労働基準監督署は概して予算の割にはいい仕事してきたと思いますよ。決して「いい職場に入れてもらえそうなプラチナチケットをよこせ!」ではない。それは全体でみれば全く格差を是正していない(定員が大幅に増えるか、大学のリソースがよりオープンになる場合を除く)。
(注16)一応付記しておくと、男女間での賃金差は大学院卒になることで縮まることを示唆するデータがいくつかある。例えば
・令和7年賃金構造基本統計調査 結果の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/dl/03.pdf
・”博士の学位はただの飾りか? 〜所得から見た学位取得後のキャリア〜”,
Chem-Station
https://www.chem-station.com/blog/2023/08/phd.html
(注17)業種間の平均賃金の差は最大で3割程度に留まる。加えて、日本国の雇用慣行として、学部卒で就職する場合、出身学部と雇用される職種の間との関連性は弱めであることを指摘する。
・令和7年賃金構造基本統計調査 結果の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/dl/05.pdf
余談であるが、日本各地で賃金が下がっているせいか、給料だけ見れば常勤ポスドクが相対的に高給の職になりつつある(この記事を書くために統計を確認して少し驚いている)。個人的には産業セクターの賃金はどんどんあげるべきだと考えているので、各企業においては賃金の底上げと安定雇用をどうか維持してほしい。インフレ(あるいはスタグフレーション)条件下ですし…。
(注18)労働のすばらしい面についての書物は多数ある。個人的にはマックス・ウェーバーは嫌いではないです。Webで読める簡単な解説の一例として以下を挙げます
・https://dameinsei.hatenadiary.jp/entry/2012/11/14/021223
(注19)例えば大学をやめて文科省に移った人間にはこれっぽっちも効かない。すでに席はあけてますしね。あと、女性の教員にも効かない。ポスドクにも効かない。そういう対人論証をありがたがって何か言った気になってもしゃあないんじゃないか。
(注20)平等、公平、公正の違いとは | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
(注21)もっと古典的な問題として、例えば、
・選抜者に対して弱いことと、社会全体で最も弱いことは違う
・目に見える応募者だけを見れば、応募以前に排除された人が消える。
といったことはずっと議論されている。
他が不公正で選抜だけ公正であるなら、公正な選抜は不公正を隠ぺいする道具に使われる。たとえば預金が10億円あるニート(相続済み・非課税)と10円しかないニートを収入の数値で公正に評価し、どちらも公的扶助の対象とする場合を考えてみよう。他の条件(知能や年齢等)に差がなく両名とも健康だとすれば、違和感を感じる人もいるのではないだろうか?
(注22)女子枠をめぐっては、「公正」を重視するアファーマティブアクションとしての女子枠を肯定する立場と、(男女間)の「平等」を重視し、女子枠を否定する立場が対立しやすい。本稿を読むとこうした単純な対立に還元されるだけにとどまらないことが分かると思うが(例:創発現象への態度)政治哲学での議論を応用する試み自体は考えられる。
・功利主義的立場
J.S.ミルらの功利主義に立てば、社会全体の功利(utility)が大きくなる方が良い、とされる。一部の人の功利がマイナスになっても全体として功利が大きくなれば、それが良い状態とされるので、全体の利益になるなら女子枠は肯定される。但しこの「功利」が曲者で、何をもって功利とカウントするのかは大学においては常に議論の余地がある。例えば入試についていえば、少なくとも「その学科への志望動機が最も強い人が最もよく入学出来る状態」「最も数理能力の高い人が最もよく入学できる状態」「大学側が最も入って欲しい人が最もよく入学できる状態」「最も賃金の高い職種を志望する人が最もよく入学できる状態」「最も保守的でない進路を希望する人が最もよく入学できる状態」「最も賃金の低い職種に進んでつく人が最もよく入学できる状態」「最も学問に縁がない環境の人が最もよく入学できる状態」「最も学問を積んできた人が最もよく入学できる状態」のすべてにおいて「社会全体的な功利」を主張することは容易で、但し異なる立場の人間と合意することは相当に難しいことが予見される。「社会」「功利」とは本質的に定性的なものだからだと思う。
・ロールズの格差原理に基づく立場
ジョン・ロールズは、以下のような正義の原理に基づいて、包括的な公正、つまり正義を実現することを目指す議論を立てた。
正義の第一原理(平等の自由の原理)各人は、他の人々の同様な自由と両立する、最も広範な基本的自由に対する平等な権利を持つ。言論の自由、思想の良心の自由、集会の自由、身体の自由などがこれに含まれ、何よりも優先される。正義の第二原理(格差原理と機会均等)機会均等の原理: 社会的・経済的不平等は、すべての人に開かれた職務や地位に付随するものでなければならない。格差原理: その不平等が、社会の最も恵まれない人々の利益を最大化するように配慮されなければならない。
ロールズの思想の根底には、どんな「生まれ」で生まれるかわからなければ、この正義の原理に基づいた社会を人びとは望むだろう、と言う問いがある。「その不平等が、社会の最も恵まれない人々の利益を最大化するように配慮されなければならない。」という観点から女子枠を肯定する議論は可能である。これは現段階で女子枠で入ってくる人間が強かったり裕福だったり賢かったりすることとは無関係に可能であり、将来的にその大学やコミュニティが改善されたり、コミュニティの権限が公平に開かれるようになれば成り立つ。ただし「社会」として何を想定するか(人類文明なのか、A大学B学科なのか、ある県なのか、理系コミュ二ティなのか、男子受験生なのか)には恣意性があることを付記しておく。
例えば「現代の理工系は世代の半分に見捨てられている。このままだと次世代の人材が全く来ないのでイノベーションが起きなくなり国益が破壊される。そうなれば一番影響を受けるのは社会的立場の弱い人である。格差原理に基づいて理系=男の仕事というイメージを払底し持続可能にする!」という主張は女子枠賛成派からちらほらと聞こえる。ちなみに、業界の持続可能性やインフラの存続をかけて女性の人材を優遇・募集している他の職種として、とび職が挙げられる。
・https://nichiei.work/column/detail/20251006/
・https://wovie.me/contents-4/column/?p=42665
・https://syokunin-doh.com/special/
(注23)大体の女子枠関連の論文は「大学進学全体それ自体への女子枠」と「あのかなりヤバい学部学科への女子枠」を区別して論じていない気がする。私の知る限り日本には特定の学部学科、あるいは特定の職種に限定した枠しかないと思う。
(注24)実際にはここまで無茶苦茶な状況は現実の研究業界ではあまりないと思う。一応言っておくと、仮にこの状態が続いている場合、何か致命的な問題があると考えられるので、女性限定公募だけではどうしようもない可能性が高い。制度や学内規定の整備・評価基準の徹底した変更・性別を限定した奨学金制度の充実・学問分野や学会の分割に続く他学科・他学会との合併による、男女比の強制的な改善等を始めとする、単なる枠よりも強権的な手段を用いる正当性が生じる可能性もある。
・https://senmanben.com/20251215/6441/
(注25)女子枠への賛否に限らず、SNSに踊らされすぎではないかと思う言論が最近目につく。フェイク感情かどうかのテストをして、テスト結果に言及してから議論に移って欲しい。
(注26)人々の意識を変えることも大事である。”法律だけでなく人々の意識が変わらない限り、社会的性差の固定観念を打ち崩せない” のだから。福沢諭吉先生に学ぼう。
・https://www.keio.ac.jp/ja/keiotimes/index-164/
枠は入試や理系の研究プロセスにおける固定観念を崩していく手段とも言える
・https://biomedcircus.com/research_02_84.html
関連する事項として「完璧なマジョリティ論」とでもいうべきよくある誤謬についても補足しておく。枠について言及すると「マジョリティ側(数が多かったり、デフォルトでの権限が大きい集団)に完璧な人材がいて、全ての差別を克服できる規則を自主的に作れば、差別はなくなる」「差別をしないマジョリティが差別をしていることになるのはおかしい」という意見を見る。これらは差別の創発現象としての側面を無視していることは本稿1),10)の読者ならお分かりかと思う。
加えて、そもそも歴史上にあまりいなかったという点を指摘しておく。人間は他人のことを完璧に理解できるほど賢くはなく、加えて個人のリソースには限りがあり、他者理解に使える量には限界がある。例えばアカデミアでは2010年代まで、任期付き研究者が事実上産休育休を取れない問題や、トイレの清潔さの大事さが殆ど理解されないという問題点があった(現在はかなり改善されている)。だからこそ多様性が大事であり、特にマイノリティ側に権限を渡して、マジョリティ側が実行するという枠組みが差別の絶対量を減らす上では重要なのである。当然マイノリティ側のリソースにも限りがあるので、数を増やすことが重要である。「完璧なマジョリティ論」を出すなら、まずその完璧なマジョリティを屏風から出してくることまではやって欲しいし、差別的でないかどうかはマイノリティ側のチェックを受けて欲しいし、そもそもそんな実現性の低そうな手段に頼る脆弱性をあえてとる理由ぐらいは説明してほしい。「完璧なマジョリティ論」は女子枠とかの議論に関わらず、格差の議論や組織の多様性を考える時の議論でよく出てくる変な議論なので、ここで釘をさしておく。
(注27)恵迪寮の歴史については
・https://www.keiteki-ob.jp/asset/history06/
・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E8%BF%AA%E5%AF%AE
等を適宜参照されたい。
(注28)差別解消などの取り組みや各地の学生寮の紹介などに関しては下記が参考になる。
・全国学寮交流会, ”RYOTOMOMY”.
・https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1798951
一部の原稿はWebで公開されている
・https://senmanben.com/20231112/5707/
また、熊野寮に関しての差別廃止の取り組みや居住者の実感については、毎年熊野寮から発行されている入寮パンフを参照(例えば下記)するか、直接訪ねるのがよいと思うのだが、
・https://kumanoryo-pamphlet-2023.netlify.app/
読者の便のため幾つかの資料を挙げる
・京大熊野寮「加害者にならないために」7カ条
https://www.bengo4.com/c_1015/n_11129/
・福田桃花, ”京都大学熊野寮に住んでみた ある女子大生の呟き”, YELL books, 2018
吉田寮についても同様に直接訪ねるのがいいと思うのだが(公式の見学ツアーやイベントが寮生らによって組まれている)
・吉田寮公式サイト
読者の便のため、包摂的な空間を形成する上で参考になりそうな幾つかの資料を列挙する。
・”京都の異界・京都大学吉田寮に家族で10年暮らした話”
https://note.com/ysdr10/m/m36854a7cd422
・”「どうして」が通じる場所 ロンドンから憧れの京大〝吉田寮〟へ”, withnews
https://withnews.jp/article/f0250717000qq000000000000000W0j610101qq000028137A
(注29)例えば
・Rooslyn Kerr, Nick Hopkins., “Organisational practices and social inclusion: Inclusionary place-making in the library”, Journal of Community & Applied Social Psychology, 34(3), e2801.
(注30)例えば研究者育成プロジェクトの一つである京都大学白眉プロジェクトには、年齢制限がない。(但し定年を超えての雇用はされない)。
・京都大学次世代研究者育成支援事業「白眉プロジェクト」 第17期公募FAQ
https://www.hakubi.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2026/03/rec17th_FAQ_jp-.pdf
実際に40~50歳前後で採用されている方もいらっしゃるそうです。
こうしたプロジェクトを広げていくというのは一つの案であり、実際早稲田大学高等研究所や東京都立大学、理化学研究所等で類似の取り組みが始まっていることは喜ばしい。
・例:早稲田大学高等研究所
https://www.waseda.jp/inst/wias/news/2026/03/31/21929/
”早稲田大学は、ダイバーシティ&インクルージョンの実現を推進しています。教員採用・昇進の人事審査において、性別、障がい、性的指向・性自認、国籍、エスニシティ、信条、年齢を理由とするいかなる差別も行わないことを申し合わせています。”
ここまで大規模なプロジェクトを立ち上げなくても、普段なら博士課程に進ませようとしない人にも進学しないかと進めてみたり、企業から人を呼んできて構成員を物理的に変えたり、終業後に研究室で研究する訪問研究員や聴講生を勧めてみたりするというのも良い手ではある。あるいは自分が他人を評価を下す際の基準を見直したり、少し変えたりしてもいいんじゃないか。

