熊野寮の「反差別」が如何に問題含みか

熊野寮の「反差別」が如何に問題含みか

熊野寮は京都大学の学生寮であり、自治寮である。寮生が自ら自律性を持って運営している。熊野寮はあらゆる差別とハラスメントを認めない立場に立ち、反差別とハラスメント対策に取り組んでいる。それ自体はとてもいいことだ。だが、それが内実としておおいに問題含みなものであったとしたら?

この記事ではインターネット上で閲覧できる声明文やパンフレットの記事を手掛かりに、熊野寮の掲げる「反差別」「反ハラスメント」が如何に問題のあるものであるかを見ていくことにしよう。

  • 2015年ストーム問題を巡って

2015年の熊野寮祭において、ストームという企画とその後の企画参加者熊野寮生のSNS投稿において、女性差別とハラスメントがあった。2016年4月に吉田寮自治会が声明文を発出し、同年8月に熊野寮自治会がそれへの応答にあたる声明文を発出している。ことの経緯は吉田寮自治会の声明に詳しく書かれているのでそちらを参照してもらいたいが、ストーム終了後に熊野寮生がSNS上で「今日のストームはどさくさに紛れて吉田寮の女の子にボディタッチするという目標を大いに達成できたので良かった」という投稿を行ったというのがことのあらましである。

吉田寮自治会の声明文では、この投稿の何がどう問題であるかが分析され書かれている。かいつまんで再構成すると、おおよそ次のようになる。まず、背景にはホモソーシャル的な「男性」性の問題がある。ここでのホモソーシャルとは「女性」(=「男性でない者」)を性的にモノ化、対象化することを通じて「男性」どうしが結束を強めるような実践のことであり、このような実践を通じて、「女性」「非男性」はホモソーシャルな場から排除されることになる。ここでの「男性」とは、単に生物学的にmaleであるとされる者ではなく、ホモソーシャルの中で果たす役割によって規定される社会的な概念、すなわちジェンダーであることは明らかである。

このような背景的、前提的問題の確認ののち、当該投稿の具体的問題点が指摘される。まず、「当人の許可や合意なく勝手に身体に触ることは、暴力である」。そして、その暴力は不当なものである。さらに、殊更に女性に触れることが話題にされるのは、既存の権力関係によって女性が舐められているからであり、「女性である」ことに特別な性的意味づけを見出しているからである。まさにその点においてこの投稿はセクシャルハラスメントなのである。したがって、投稿にあるような行為が実際になされていなくとも、女性という社会的属性に対する特定の意味付けの再生産の実践であるということによって、当該投稿は女性差別でありセクシャルハラスメントである。

このような問題認識は、客観的かつ倫理的観点に基づいていることは注目に値する。そのことは、「不当な暴力」「人格の侵害」「善悪の問題からは逃れられない」といった表現が用いられていることからもわかる。

他方で、熊野寮自治会の声明文を見ると、これらの指摘には何一つ応答できていないことがわかる。「女性」を排除することで結束を強めるホモソーシャルな場への反省は全くない。「女性」という社会的属性・ジェンダーに対する不当で不利な意味付けの再生産実践という問題化のされ方もしておらず、不快に思った人への謝罪に終始している。投稿を見た人の主観的な感じ方だけが問題とされ、不当性、侵害、善悪といった客観的次元はまるで脱落している。差別やハラスメントを単に被害者が不快に思うからいけないのだとするのは問題の矮小化である。「相手が不快に思うことはしてはいけない」というのは明らかに普遍化可能な原則ではない。そうではなく、差別やハラスメントというのは何らかの意味で道徳的ないし倫理的な悪であるからいけないはずである。吉田寮自治会による問題の指摘と提起に対する応答としては、熊野寮自治会の声明文は全くといっていいほど噛み合っていないのだ。

  • 「ハラスメント加害者にならないために」について

熊野寮の入寮パンフレットに2020年度から掲載されている、「ハラスメント加害者にならないために」という文章がある。この文章は2026年度まで毎年掲載されている。何をしてはいけないかを端的に提示し、それぞれに対して簡潔な説明を付した、とても読みやすい文章である。「人の体にさわらない」「公共スペースでは下ネタ・猥談はしない」といったことが挙げられており、なるほど、これのおかげで防ぐことのできたハラスメントもたくさんあるだろう。そういう意味では、啓蒙、啓発の第一段階としての意義はおおいにある。しかし、なぜそれらの行為をしてはいけないのかという点では、「「同性同士のボディタッチは友情の証」, 「異性へのさりげないボディタッチはモテるコツ」などと思っていませんか?その行為は人を不快にさせるには十分です」「下ネタ・猥談は不快になる人がいます」という記述に見られるように、相手の主観性に依拠した説明にとどまる点で、2016年の声明文から進歩がない。

  • 「熊野寮的・女性解放へ」について

2024年度入寮パンフレットには、寮生の声として一寮生からの寄稿で「熊野寮的・女性解放へ」と題した文章が掲載された。この文章の中で展開されるのは、マルクス主義的な女性差別観である。端的に言えば、あらゆる女性差別の根底にあるのは家父長制と一体になった資本主義の問題である、という認識である。女性差別に反対することは資本主義と戦うことなのである。したがって、この文章の執筆者は「資本主義に抗する反戦・反権力の闘いと一体で熊野寮的・女性解放闘争に立ち上がろう」と提起するのである。

この差別観は、個々の差別を人間解放のための権力闘争に従属させる。差別=団結破壊論である。差別は、それ自体が不正で不当な悪であるからいけないのではなく、対権力闘争のために必要とされる団結を破壊するからいけないのである。この文章では具体的問題の一つとしてホモソーシャルが扱われているが、それもまた団結との関係において問題とされる。ホモソーシャルは女性を排除することで団結を阻害するからいけないのである。

このような捉え方が差別をそれ自体として問題化することに失敗していることは明らかである。この立場においては、差別は倫理や権利、正義といった普遍的で規範的な理念に基づいて批判されるのではない。徹頭徹尾運動体としての論理に基づいて実利的に否定されるのである。

  • 熊野寮の「反差別」の正体

ここまでで明らかになったことをまとめよう。まず第一に、おそらく熊野寮内の反差別言説において、ジェンダーとは何かということがそもそも理解されていない。ジェンダーとは社会的に構築された性のことであるわけだが、それは法や明文化された制度といった公的な領域にとどまらず、私的な領域を統制するような制度、それも日々の実践によって絶えず再確認され再生産されるような制度にまで及んでいる。そしてそれは経済的、物質的基盤によって決定されるような実体的なものではなく、我々の実践によって演じられるものである。しかし、そのようなことは多分あまりわかっていないであろう。

第二に、熊野寮においては不快感や不安、恐怖心といった主観的要素によって差別やハラスメントを特徴付けているということである。

第三に、熊野寮は、ハラスメントが許されないのは普遍的理念に照らした判断ではなく、運動体の論理によるものである。

このような特徴を持つ組織の「反差別」「反ハラスメント」がおおいに問題のあるものであることは明らかであろう。特に、差別を認めない、差別を許さないなどと言いながら、差別は不当である、差別の存在は不正義であるとは決して言うことのできない組織というものがあるとしたら、うすら寒いものを感じずにはいられない。

もちろん、ここで扱ったのは熊野寮が公的に発信している文書のみである。熊野寮内部での議論には触れることができないという限界はある。しかし、外から見て熊野寮がどのような場所であり、熊野寮自治会がどのような組織として見えるかについて考えるのであれば、むしろその制約は必要なものだろう。発端であるストーム問題について言えば、吉田寮自治会側の問題提起は今に至るまで熊野寮側にはほとんど伝わっていないと見られても仕方あるまい。いくら対外的に反差別、ハラスメント対策に取り組んでいるとアピールしていても、客観的に見て熊野寮の反差別、反ハラスメントの理論水準が向上しているとみなせる証拠はほとんどないのである。

ここで白状すれば、私は熊野寮生である。内側から見て、ここまでに挙げた問題点について現在に至るまでに何の改善もないといえば嘘になる。しかし、依然として問題ありの差別観に基づいて反差別、ハラスメント対策にあたっているということは事実としてあると思う。そして、外部から見て、吉田寮の問題提起に対する満足のいく応答を与えられると思えるような理論的進歩が見られないことはやはり問題であると思う。熊野寮内の議論の深まりによってこれらの問題が克服される日は来ないか、訪れるとしてもずっと先のことだろう。寮生である以上私もまたそのような議論を形作る主体でなければならない。しかし、これまでに積み重ねられた誤った認識は簡単にはなくならない。私が入寮するよりも前に起こったストーム事件から10年。熊野寮の今後の展望について私はあまり楽観的にはなれない。

  • 参照した文献

吉田寮自治会「2016年4月28日発出 2015年熊野寮祭企画ストームにおけるセクシュアル・ハラスメントに対する声明文」https://www.yoshidaryo.org/archives/seimei/412/https://www.yoshidaryo.org/archives/seimei/412/

熊野寮自治会「2015 年熊野寮祭企画「ストーム」に関するツイートについて」https://kumano-ryo.jimdofree.com/%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87/2015%E5%B9%B4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6/https://kumano-ryo.jimdofree.com/%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87/2015%E5%B9%B4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6/

熊野寮2021年度入寮パンフレット「ハラスメント加害者にならないために」https://kumanoryo-pamphlet-2021.netlify.app/chapters/sections/harassmenthttps://kumanoryo-pamphlet-2021.netlify.app/chapters/sections/harassment

熊野寮2024年度入寮パンフレット「熊野寮的・女性解放へ」https://kumanoryo-pamphlet-2024.netlify.app/chapters/sections/joseikaihohttps://kumanoryo-pamphlet-2024.netlify.app/chapters/sections/joseikaiho

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