【要旨】
若手枠や女性枠等の枠は社会の理不尽を変えるための鉄砲玉産生システムであり、鉄砲玉には利益を与えなければならない。選抜時の平等さで枠の是非を語るのは間違いであり、対象とする社会全体(例:アカデミアやOO社、OO県、OO国)の理不尽や不平等全体が平準化されるまで鉄砲玉は供給されるべきである。仮に枠を否定したいのであれば「自分の方がよりよい鉄砲玉になれる」というべきであり、選抜時の評価や特定世代の感覚のみによって枠設置の有無を決めてはならない。
【本文】
人が何か選抜を受けるときに、一切の資格がいらない場合もあれば、特定の属性(若手・性別・国籍等)による優遇措置が取られる場合がある。本稿ではこれらを枠(例:日本人枠・女性枠・若手枠・経済枠等)とよび、その是非について議論する。
まず第一に、枠というのは優遇措置ではない。ここを勘違いしている人が多くいて、枠を設置する側も優遇措置と誤解して設置して(そして上手くいかないと嘆く)いる場合がかなりあるる。枠というのは対象とする社会全体を正すための鉄砲玉を採用・半強制的に供給するためのシステムであり、それ自体が特定の対象をトータルで見て優遇するものではない。むしろ鉄砲玉本人にはデメリットが大きすぎるので、それを緩和するために枠が設置されているのである。
そもそも論として、マイノリティがマジョリティの中に入れてもらって、居心地よく感じたり誇りに思うだけというのは、ファンタジーである。当然プラスに感じることもあるとおもうのだが、それ以上に日々の生活でなんとなく感じる居心地の悪さ、会話の輪の中からハブられる感覚、理不尽な敵意や過度な賞賛、制度が想定していない自分の性質による苦しみ、信用の偏り、「こっちにあわせればいいじゃん」と無邪気にアイデンティティを捨てろと言われる割にサポートのない環境、それらすべてに対応しても金銭的メリットや他人への指揮命令権が全く降りてこない理不尽さ等、マイノリティ側のみが感じる負荷は大きい。
そうであればマイノリティ側がマイノリティである空間に「存在するだけ」で、何かしらの見返り(リワード)があった方がいいだろう。実際マジョリティ側はマイノリティがいることで「多様なアイデアや気付きを得ることによる組織存続性の担保」「単純にアクセスできる人数が増えることによる人材獲得における有利さ」といったメリットを享受することができる。こうした見返りはマイノリティ側の成果によらず与えられるべきである。先述の通り、自らがマイノリティになることへのリワードがなければ、一般に組織は新人を獲得できない。一部の例外を除き新人は常にマイノリティだからだ。もちろん枠が鉄砲玉である以上、当然世間に対してインパクトのある方法で設置される方がよいだろう。人数は多いほどよく、同じ人数であれば世間に与えるインパクトが大きい方がよい。
具体的な例として、研究者の研究費(外部資金)申請における「若手枠」を見てみよう。軽く説明すると、多くの(特に大学の)研究者は、自分の研究に使える経費を組織外から調達する必要がある。こうしたお金のことを外部資金と呼ぶ。多くの場合財団・企業・大学執行部等の外部組織が研究計画を募集しており、研究者は研究計画を書いて応募する。見事研究計画が採択されると、外部組織から研究者のいる組織に学部資金がもたらされる(当然これは「仕事の経費」なので、研究者の私用や申請者本人の給料には一切使用できないのが通例である)。こうした外部資金の中には「博士号取得後O年以内のみ対象」のように、若手枠が明文化されている場合がある。
こうした若手枠の是非について書いてみよう。まず前提として、資金調達においては、圧倒的にシニアの研究者が有利である。シニアの研究者は論文数も多く、加えて研究費は委託を受けたシニア研究者が審査をする場合が大半であるため、審査員との間に人間関係ができている場合も多い。もちろん師弟関係等の利害関係者は審査から除外されるのが通例であるが、「学会で何度も何度も発表しているので、関係者全員がその人の研究についてなんとなく知っている」「あの研究の続きであれば手堅い研究だと信用される」可能性は相当大きく、この点でも業界経験年数の多いシニア研究者は圧倒的に有利である。
こうした不平等をそのままにしておくと、「新規参入者はシニア研究者の手伝いをしなければ自分の研究のチャンスがない」「新しいが信用のないアイデアが無視され、検証すらされない」といった不公正が生じ、長期的には不利である。研究にも賞味期限があり、ある程度は全く新しい研究が行われないと研究業界自体が地盤沈下したり、時代遅れになるからである(大学の主要な仕事である、研究を通じた学生育成にも支障がでる)。そのため「若手枠」で若手研究者を鉄砲玉にして、不公正を是正しているのである。鉄砲玉になる若手は全く有利ではない環境でシニア研究者相手に立ち回らなければならないが、これに対して枠というリワードを与え、鉄砲玉になってもらっている。枠がなければ、強いシニア研究者に媚を売る人間が圧倒的に増え業界が不健全になるだろう。つまり、枠にはかなり強い正当性がある(注)。
ここで注意してほしいことが2点ある。第一に、枠自体に正当性があるかどうかと、その枠がうまく設置されているかどうかは全く話が異なる。例えば外部資金を100%若手枠にしてしまうのはまずそうだし(シニアだって新しいアイデアを思いつくことはある)、金額の設定も上手くやらないといけないだろう(例えば新アイデアの検証に必要な金額については、他の研究費に比べて少額でいい分野と、機械などを全て新しく作らないといけないので逆に金がかかる分野がある)。理念的に枠を設置すべきかどうかと、その枠がうまく設置されているかは全くの別問題であり、分けて議論すべきである。第二に、選抜自体の参加権ではなく、あくまで対象とする社会全体の不公正や不利益や理不尽を変える手段の一つとして、枠は設定されていることである。例えば自分が応募すらできない研究費があると一般に研究者は憤慨するが、ほかの条件に不平等があって参加権や評価のみが平等だと、それはもともとの不平等を温存することになる。例えば枠無しで研究費を配った方が利益や研究成果が上がるといった理由で不平等が是正されない例が多くあったと思うが、短期的には成果が上がっても長期的には人的資源や新規参入者が枯渇するので、よくないであろう。もちろんこの観点からすると、不平等や不公正を是正しない枠については、制限とみなして積極的に廃止すべきである。例えば研究機関に雇用されていないと申請できないという制限が多くの外部資金にはあるが、これは制限とみなしてある程度廃止すべきであると考える。
もちろん枠は万能ではないし、枠を設置しただけでなくなる不公正は限られている。しかし積極的にマイノリティになることを奨励し、人間の存在によって社会全体を変えていく手段としての枠は優れた仕組みだと思う。そして鉄砲玉には敬意が払われるべきである。もちろん「枠を設置しない方が不公正が下がる」「私の方がよい鉄砲玉になれる」という場合も数多くあると思うし、その場合は議論した上で制度を改めるべきである。本稿が枠という概念を広め、設置方法等や設置場所についての議論を深める一助になれば幸いである。
注:当然であるが、若手枠で研究費等に採用されたのであれば、若手の鉄砲玉として業界に対して振る舞ってほしいし、そうすべきだと思う。

