仮面浪人体験記 #千万遍石垣新歓2022

はじめに

わたしは結果として仮面浪人してよかったと思っているが、積極的に仮面浪人を推奨しない。私は現役でそのまま京大に入るよりも一年北大に行けてよかったと思っているが、これにはいくつもの要因がある。はじめは北大で4年間生活しようとしていたこと。そのため部活でよい先輩や同期に出会えたこと。仮面浪人を一緒に頑張る友人が近くにいたこと。コロナの影響で対面授業が少なく時間の融通が利きやすかったこと。

周りの仮面浪人が受かった人ばかりで実感がないが、仮面浪人の合格率は非常に低いという話はよく聞く。そのような中、落ちた第一志望を目指しながら次その第一志望に落ちたときのために一応の身分の保証として適当な大学に入学するというのは自分のためにならない。予備校に行くよりも合格可能性も落ち、次落ちたとき仮面先の大学での身分も中途半端になり、なによりそんな中途半端なスタンスで受験するのでいつまでたっても気持ちよく踏ん切りをつけられないだろう。

私のように第n志望の大学で学部生活を終えるつもりで入学するならともかく、第一志望への諦めがつかない状態で入学するくらいなら予備校に通うなりバイトしながら宅浪するなりした方がマシだと思う。従って、この記事は仮面浪人を考える受験生には、こういうスタンスくらいなら仮面してもいいんじゃない(否、この時期にこのスタンスで仮面しようと思っているようでは駄目なのだ。この時期には純浪か4年間受かった大学に通うかの選択をしなければ不毛な大学生活を送ることになる)、という一例を示すものとして、大学生には一種のエンタメとして消費されることを望む。

なお、具体的な仮面浪人の戦略や注意点といったことは特にこの記事にはまとめていない。北大航空部の同期で一緒に仮面浪人をした友人が京都大学元仮面浪人交流会の会報においてまとめた記事があるのでこちらを参照されたい。

北大入学まで

私は地元の公立男子校に通っており、成績はそこそこ(特に良いというわけではない)だった。現役時代から京大を志望していて前期は受験したが、力及ばず後期受験の北大に入学した。というより自分が京大に入れるほどの学力を持ち合わせていないことは私が一番よく分かっていたので京大については完全に諦めがついたつもりでいた。

学部学科については、環境系を志望していたがこの分野がいろいろな一文字学部の隅っこにあることもあり、前期も後期もその中から入りやすい学部を受験した。この年の北大の後期は北海道における新型コロナの流行の影響でセンター試験の結果のみによる選考に変更になり、受かるまでは少し心配であった。

北大(~9月)

北大を途中でやめるつもりはなく、高校時代から気になっていたグライダーで空を飛ぶ部活である航空部に入部した。夏休み前までにこの部活に入った新入生は私を含め4名だったが、北大はどうやら後期受験で入った人間が多いらしくこの全員が後期入学であった。

北大では入試からずっと新型コロナの流行の影響を受けていて、7月にTOEFLの試験で札幌キャンパスに呼び出されるまでは完全オンライン授業であり、私はずっと地元にいた。部活や新しい人間関係などもなく暇であったので、この間に実家の近くの教習所に通い普通自動車免許を取得した。勿論「普通車はAT車に限る」などと書かれた恥ずかしい免許ではない。また、新しくロードバイクを購入した。私が求める条件のロードバイクを探した結果、丸太町のeirinから購入した。何の因果であろうか、現在私が住む熊野寮から最も近いロードバイクを販売している自転車店であると思われる店だ。

TOEFLで大学に呼び出されたのを機にこの自転車を飛行機輪行して札幌に移り住んだ。すぐに夏休みに入るが、部活で空を飛んだり上記の部活同期と道央の大雪山に登ったりと“普通”な大学生活を謳歌していた。

北大(9月~)

夏休みも終わりに差し掛かった9月某日、部活同期の一人から話があると唐突に呼び出される。彼は現役時東大を受験していたが落ちて北大に進学、そのまま札幌で学生生活を送るつもりで航空部に入部した人であった。しかし現状に疑問を抱き、東大への思いを断ち切るために夏休みを使って日本縦断の旅をしたらしい(ちょっと言ってることがよく分からない)。旅の終わり、屋久島で屋久杉を見たときにやはり自分は東大にもう一度挑むと決心したとの話であった。因みにこの時点で他の同期にも話をしていたようで、前期に東大を受験していたもう一人の同期も再受験を決心していた。彼は今年は京大を受けるとのことだった。

二人の部活同期が仮面浪人をするとのことで私も北大で学生生活を送るという決心が揺らいだ。この時は結局意を決しかねた。しかし、とりあえず大学入試共通テストを受けるためには出身高校から卒業証明書を受け取り、10月8日消印有効で大学入試センターに書類を送る必要がある(この時点で9月29日)。親からも計画的に動けと相当叱られながら卒業証明書を取り寄せてもらい、とりあえず共通テストの出願だけ行った。

と言いつつも受験を決めたのが10月の頭。仮面浪人の成功率が1割未満という話もあり、ほぼほぼ受かる気はなかった。落ちた場合の北大での生活も考え部活も続けたし、単純に楽しかったので部活の先輩に奢られまくる生活を続けた(流石に申し訳ないのでよくお世話になっていた(お世話になっている)先輩には早めに仮面浪人の件を伝えていた)。アドベントカレンダーの記事に書いたようにこの先輩にはよく山岡家に連れて行ってもらったが、写真フォルダーを見返したところ出願から受験まで計10杯の山岡家をおごってもらっていた。出願した直後であったが18日には紅葉を見に行くドライブにも行った。また、父親がバイクを譲ってくれるとの話であったが住んでいるアパートにはバイク置き場がなかったので、落ちた場合を考えて札幌市内で住み替える物件探しを行っていた。

ここで他に部内で仮面浪人していた上述の二名の名誉のために記しておくと、彼らは真面目に受験勉強して、秋から受験勉強を再開したにも関わらず、二名とも11月の冠模試で冊子掲載されるほどの実績を残していた。私はというと秋から教科書レベルの数学からこのやる気のなさでやり直して結果が出るわけもなく、当然のE判定だった。

受験期の最も楽しかった思い出は元日にかけての初日の出ドライブである。北海道には本土最東端の納沙布岬がある。厳密には冬は南の方ほど日の出が早いので日本で一番に初日の出が見られる場所は千葉県の犬吠埼であるといわれているが、厳密にどこが一番早く日が上がったと比較することはないのだから私としては本土最東端での日の出の方が気分が上がる。北大航空部ではクリスマス周辺に行う「再誕祭」とこの初日の出ドライブが毎年の恒例行事となっている。札幌から納沙布岬までは往復700㎞程度のドライブとなる。すぐそこですね。大晦日の17時くらいにハイエース2台で札幌を出発し、道中適当な日本料理レストランに入り年越しそばを食べ、初日の出ぎりぎりに岬に着いた。同じような考えの人は多いようで、岬はかなりの人でごった返していた。日の出を見て名物のカニを使った味噌汁を飲み、帰路で釧路名物のスパかつを食べ、夕食に南富良野で山岡家の辛味噌ネギラーメンを食べ、1月2日になった頃に札幌に帰着した。これが共通テストを2週間後に控えた人間の行動である。

かくして迎えた共通テストであるが、てっきり会場は徒歩5分の北海道大学かと思いきや、家から乗り換えが必要なうえに最寄り駅から雪道を1㎞歩く必要がある北海道教育大学札幌校に飛ばされてしまった。1日目の夕食は完全栄養食であるところの二郎系を食べて次の日に備えた。2日目の夕食は例の先輩の家に呼ばれていたのでここに向かった。ここで初冬頃からこの先輩と計画していた北海道サイコロキャラメルの旅の詳細を詰めた。また、なぜかケーキが用意されていたので有難くいただいた。

共通テストの結果は得点調整が入って799/900点、駿台の共通テストの自己採点分析には志望校として京大農学部と北大農学部,理学部を記入して提出。北大農学部がB判定で他はA判定だった。思ったよりも結果がよかった。因みに志望校に北大農学部と理学部が含まれているが、北大の再受験も考えていた。農学部については、入学した工学部環境社会工学科では自分のやりたい環境系の問題を取り扱えないと考えたためである。理学部については南極観測隊に入りたいと思ったためである。受験期に見始めたアニメ「宇宙よりも遠い場所」にハマって南極で越冬したくなったのだ。

共通テストの結果は良かったものの二次試験で要求されるものは共通テストのそれとは違うことは理解していたのでやはり受かるような気はせず、次年度以降の北大での生活を考え、もし京大に受かったとしても単位持ち込みにも使えそうにない留学支援の講義を取ったり先輩にご飯を奢られに行って時間を溶かしたりしていた。南極関連でも、ちょうど前年の南極観測隊の隊長が北大の先生だったので、実際に研究室を訪れ、南極観測隊に入るにはどうすればいいかなど伺った。北大はやはり環境の整った非常に良い大学である。その先生のところには総合理系入学で2年に上がるときの進振りで悩んでいる1年生のような顔をしてお話を伺いに行ったので、そのまま北大を中退して騙したような形になってしまい申し訳なく思っている。

2月に入り北大が春休みに入ると、流石にこのままではまずいと思い地元に帰って受験勉強に勤しんだ。と、言いつつ、写真フォルダには実家の軽スポーツカーを運転したり久しぶりの地元のラーメンを食べ歩いたりして遊んでいる写真が残っている。2月の私の勉強時間は180時間と浪人中では断トツであったが、現役時代の部活引退直後7月の勉強時間にすら及んでいないし、一般的な浪人生の足元にも及ばないだろう。

二次試験、その後

かくして迎えた二次試験であるが、ここでは流石に一年前の反省を踏まえた。現役時はご飯代が親から出ていたこともあり試験一日目の晩御飯に王将で豪遊してしまったのだ。炒飯,回鍋肉,餃子,ライスとご飯ものについてくるスープ2杯を食べ、油ものに弱い私は完全にダウンしてしまった。この反省から、今回は向かうご飯屋を551蓬莱に変更し、豚まんと炒飯と豚の角煮のセットを食べた。真面目な話をすると、諦念があったのもあり休み時間毎に最後の詰め込みもそこそこに新鮮な空気を吸いに外に出たのは逆に効果があったのではないかと考えている。それでも京大の入試は手強く、二日目の試験の手ごたえも悪かった私は、京大に来るのもこれで最後か、と思いながら北部構内を後にした。

さて、一年前の試験と今回の試験の大きな違いはこの後にある。二次試験を終えた私であったが、気持ちは晴れやかになることはなかった。この時の私は次の日に航空無線通信士の国家試験を控えていたのである。航空無線通信士の資格は航空部で活動するにあたり必要になってくるもので、大学入試などという落ちたところでマイナスになることはない試験よりも重要な試験であった。とはいっても、望ましくはないが今回絶対に受かる必要もなかったのでこの日まで一つも手を付けていなかった。しかし、前日に少し問題を見ただけで受かる試験でもない。二次試験が終わった日に徹夜で勉強した受験生も私くらいだろう。この受験勉強にも例の先輩が寝ずに付き合ってくれた。感謝しかない。因みにこの試験には落ちた。

結局北大理学部にも出願していたので、地元に帰った後後期試験に間に合うように札幌に帰ったが、京大受験に比べればモチベがかなりなかったので、その前に地元栃木で軽い登山をしたり高校同期とラーメンに行ったりしていた。

合格発表、その後

後期試験を受ける可能性があったので札幌の自宅で合格発表を受けた。なぜか例の先輩が冷やかしに来ていた。先輩が持ってきたペヤングの獄激辛やきそばを食べながらそわそわと合格発表を待つ。と言いたいところだが焼きそばのせいでパソコンと冷蔵庫の牛乳を無限に往復しておりそれどころではなかった。合格発表で自分の受験番号を見つけて一番驚いたのは私だ。部活の片手間に大学生活を楽しみながら受験した人間が京大に受かるはずがないことは本人が一番よく分かっていた。因みに、部内で仮面浪人していた他の二名も志望校に合格していた。全員が仮面浪人に成功するという非常に気持ちの良い結果となった。自分の合格を確認した後は、先輩が私の不合格を確信して購入してきた三点セットであるところの「本日の主役」タスキをかけておめでとうチョコプレートの乗っているホールケーキを囲みクラッカーを割りまくった。

ここからの私の動きはかなり忙しかった。まず合格発表の2日後に本州に移動してからは24日の引っ越しの荷物出しまでろくに荷物を整理する時間がなかったので、必死こいて荷造りをした。一度高校への挨拶に栃木に寄ってから熊野寮の入寮面接と落ちたとき用の下宿探しのために京都に赴き、2泊で用事と軽い観光を済ませた後に北海道に帰った。その翌日からは8日間の“北海道サイコロキャラメルの旅”に出てこの間に二外登録などの事務手続きを行った。旅が終わったのは引っ越しの前日だったので、旅から帰って間もなく片付いていない部屋の荷物を半日でまとめ、次の日に引っ越し業者の対応をし、寝床がなくなったので例の先輩の家に転がり込んだ。京都に一旦入寮オリエンテーションを受けに行き、寮の勝手が分からなかったのと荷物が多かったことから引っ越しの荷物はすべて神戸の親戚の家に送ってあったのでこれを受け取りに行った。さらには引っ越しの荷物を少しでも減らすため入寮面接のときに本州に渡ったタイミングで実家に置いてきた荷物を引き取りに栃木に帰り、遊びに行った東京で少しごたごたがあり、そしてようやく京都で入学式に臨んだ。当然ながら退居に間に合わず業者にいくらかぼったくられたため、このあと親に叱られた。

 

冒頭にも記したが、私は仮面浪人を推奨しない。やるにしても入った大学で大学生活を全うする片手間に記念受験するくらいしか狙ってはいけない。

第一志望に合格した人,第一志望を諦め他の大学で学生生活を送る人,もう一年第一志望を目指す人、すべての受験生にコロナとかいうカスに邪魔されない充実した大学生活のあらんことを