レポート供養塔No.1

レポート供養塔No.1

大学のレポートなどとして書いた文章を折角なので供養していくシリーズ。

7月頭に書いたレポートを一部修正して掲載する。

 ロシア・ウクライナ戦争に対するウクライナとそれに呼応する西側のイデオロギーは、今日、西側諸国の掲げる「普遍的価値」が抱えるダブルスタンダード(二重基準)の問題を白日の下にした。欧米との一体化を志向するウクライナに対する2022年2月のロシアの国際法に違反した侵攻や占領、一方的な領土の併合に対し、欧米をはじめとする西側諸国はいち早くロシアに対する非難を表明し、ロシアに対する全面的な経済制裁や、ウクライナに対する様々な支援を行った。報道においても、ロシアの侵攻に対するウクライナ側のゲリラ活動は占領に対する抵抗として報じられた。しかしながら、この様な西側諸国によるロシアの国際法違反に対する非難と全面的な制裁、及びウクライナに対する支援が行われる一方、同様に1967年の第三次中東戦争からパレスチナで続くイスラエルによる占領と、数多のイスラエルによる国際法違反に対して西側諸国が静観し、あるいはイスラエルに対して支援を行ってきた事実に対する西側諸国の二重基準は既に2022年の段階から指摘されてきた(Slimia 2022)。更にこの西側諸国の二重基準は2023年10月7日のガザ地区におけるイスラエルの封鎖に対する武装蜂起への報復を口実とした、イスラエルによるパレスチナ人の全面的な絶滅戦争の開始以降、誰の目にも疑い様のないものとなった。

 イスラエルによるパレスチナ人に対するジェノサイドの開始以降、世界各地で市民によるイスラエルに対する抗議行動が行われる一方、アメリカやドイツなどの西側諸国の首脳部は、イスラエルの自衛権を支持し、イスラエルに対し、ロシアに行った様な制裁を課すことはしていない。また、パレスチナにおけるイスラエルの占領、すなわち植民地状態からの解放のための武力攻撃は、特に西側諸国のメディアにおいてはイスラム過激派によるテロとして報道され、ウクライナにおける占領への抵抗とは異なる文脈に置かれるのが常である。更に、アメリカやドイツではパレスチナに対し連帯し、イスラエルの国際法違反に抗議する市民運動を反ユダヤ主義として参加者に対する逮捕や機動隊による鎮圧が行われた。この様なイスラエルによるジェノサイドや国際法違反に対する擁護は西側諸国の首脳部だけでなく、ウクライナの世論の中にも見られた(六辻 2024)。この様なウクライナによるイスラエル支持の世論を六辻は「いかにも欧米的」な思考と指摘する。それは、白人の被害を重視してムスリムや有色人種の犠牲を軽視するもの、それを自由や民主主義といった高尚な大義で正当化する思考である。長年のイスラエルによる国際法違反に対する国際社会の指摘を脇に、欧米はイスラエルへの支持を続けてきた。その意味でウクライナ世論のイスラエル支持は「いかにも欧米的」であると六辻は言う(六辻 2024)。

 また、ロシアによる侵攻に直面し、欧米の一部であると見なされることが極めて重要でありながら、未だNATOやEUに加盟していないウクライナは、欧米における傍流として、欧米的であろうとすることに対する渇望が強く、より「いかにも欧米的」な思考をしやすいと六辻は続ける(六辻 2024)。

 では、欧米との一体化を志向し、「いかにも欧米的」な思考へと駆り立てられるウクライナとそれを支援する西側諸国の二重基準から噴出する問題とは何か。それは、冷戦の終結後、欧州統合とアメリカのネオコンサバティズムによる人権や国際法の順守、民主主義などの「普遍的価値」を世界全体へ拡大させるという、ある種の西側諸国の使命感が内包していた、西洋中心主義的、帝国主義的思考である。

 まさにロシアによる侵略や国際法違反に直面するウクライナが、パレスチナにおけるイスラエルの植民地主義的な暴力やジェノサイド、国際法違反に対して支持を表明するのは、西側諸国のイスラエルを「中東における唯一の民主主義国」と見做し、同じ価値観を共有する欧米の一部として、その犠牲を有色人種やムスリムといった「非欧米的」な人々の犠牲よりも重視する西洋中心主義的、植民地主義的価値観の内面化であると言えるのではないか。当然ロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナを自国の意のままに出来る存在として見做そうとするロシアの植民地主義の露骨な発露である。しかしながら、西側諸国やウクライナのイスラエルへの支持も、「価値観を共有」する「先進的」なイスラエルには自衛権が認められ、イスラエルによる長年の植民地支配の暴力に対するパレスチナ人による抵抗を、「野蛮なテロリズムによる暴力」と見做し、イスラエルによる植民地主義的暴力の遂行に沈黙する様は、「文明」による「野蛮」の「啓蒙」を正当化し、非欧米の世界各地を植民地化していった20世紀前半までの植民地主義そのものである。

基本的人権や国際法といった西側諸国が標榜してきた「普遍的価値」さえも、かつて列強諸国が世界各地を植民地化する際に使った「文明化の使命」というフレーズの焼き直しのように映る。それは第二次世界大戦後、植民地の独立と冷戦によって列強諸国が失った覇権を、冷戦後、西側諸国が取り戻し、「普遍的価値」を共有する西欧諸国が世界におけるヘゲモニーを再び握るための、プラグマティックなスローガンに過ぎないかの様である。そこではウクライナや中東欧の様な新興の民主主義国家は、EUとして新たに結集した列強の、すなわち「ヨーロッパ帝国」の周縁部にあたる。これら中東欧の国々は、ロシア帝国やソ連をかつての「宗主国」として、その勢力圏から逃れ、ヨーロッパへと加わることを脱植民地化と捉えてきた。しかしながら、従来の西側諸国を「普遍的価値」を用いて、非欧米へのヘゲモニーを取り戻そうとする帝国と見るならば、これらの中東欧諸国もまた、非欧米への勢力圏の回復を求める「ヨーロッパ帝国」の最前線であると言えよう。そこでは「普遍的価値」を共有する欧米への一体化を志向するウクライナの様な「ヨーロッパ」の国に対する国際法違反の侵攻は許されないが、「欧米」に含まれるイスラエルによる「非欧米」のパレスチナに対する途方もない植民地主義の暴力に対しては沈黙あるいは支持するという、人権や主権、国際法といった普遍的価値に対する露骨な二重基準が展開されている。

こうした二重基準は、ロシアによる国際法違反への非難に対する信頼を内側から突き崩していくものに他ならない。欧米だけが正しく、欧米だけが主権国家であり、欧米の人々にのみ人権が存在するかのような前時代的な振る舞いをやめなければ、また、その様な「欧米」グループに加わり、その他の非西欧の上に立つことがウクライナや中東欧の「脱植民地化」であるかの様な、西洋中心主義的な脱植民地化に対する見方を変えなければ、台頭するグローバルサウスにとって、西側諸国が掲げる普遍的価値など空虚なものにしか映らず、ロシアが行う様な力による現状変更が横行するような世界へと進んでいくであろう。ロシアによる侵攻に直面するウクライナは、しかしながら、パレスチナにおけるイスラエルによるジェノサイドに際して「いかにも欧米的」な思考からの脱却、すなわち19世紀的なヨーロッパの帝国主義的、植民地主義的な思考様式との決別を果たし、第二次世界大戦後独立を果たした、アジアやアフリカの諸国と共にいかなる形態の植民地主義も拒絶するという選択を取らなければ正当性を保つことはできない。それは「欧米」の一部として、植民地主義の暴力を振るい、パレスチナ人を絶滅せんとするイスラエルとそれを支援する西側諸国の道義的責任を追及することである。

参考文献

六辻彰二(2024)「世界一の親イスラエル国」ウクライナ――(1)「欧米的でありたい」渇望と「見捨てられる」焦燥 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ff18bd5b55b50a59784dbb971678913aea4045bb

(2025年7月2日最終アクセス)

Awad Slima (2022) “The double standards of Western Countries toward Ukraine and Palestine “Western Hypocrisy” Central European Management Journal vol.30 no.4 2022

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