目次
序論——問いの所在
日本の大学における第二外国語教育は、誰のために、何のために存在しているのか。
この問いに明確な答えを持つ者は少ない。特に理系学部においては、週に数コマ、わずか一年間の学習で、その言語が実用的な水準に達することはまずない。多くの学生は、英語すら十分に習得できていない段階で、なぜ別の言語を学ばなければならないのかという疑問を抱えたまま、単位取得のためだけに教室に座っている。
本稿は、この状況を打破する提案として、エスペラントを第二外国語の選択肢として導入することを主張する。以下、第二外国語教育の目的と現実を検討した上で、エスペラント導入の正当性を多角的に論証する。
第一章 第二外国語教育の目的と現実
一、公式的な目的——「異文化理解」
多くの大学が第二外国語教育の目的として掲げるのは「異文化理解」である。各大学のシラバスや学生向け案内にも、そのように記載されている。外国語を学ぶことを通じて、異なる文化や価値観に触れ、国際的な視野を養う——これが公式的な理念である。
しかし、この目的は達成されているだろうか。週に数コマ、一年間の学習で、その言語の文化に触れるレベルに達する学生がどれほどいるか。率直に言えば、大多数の学生は、研究に使えるレベルはおろか、異文化理解と呼べるレベルにすら達していない。
二、実態としての意義——「体裁」と「雇用」
では、第二外国語教育の実際の意義は何か。ここには二つの見方がある。
第一の見方は、大学が研究機関である以上、研究者を育てるために一定程度の外国語教育を行うという理念に形式的に適合するため、いわば「体裁」として続けられているというものである。学生に本当に習得させて研究や異文化理解に使わせたいというよりは、大学の理念に合致するという形式を整えることが主眼となっている。
第二の見方は、より現実的なものである。すなわち、第二外国語教育は語学教員の雇用を維持するために存在しているという解釈である。理系学生の視点からすれば、これが最も納得のいく説明かもしれない。もっとも、大学という組織が研究者・教育者の雇用を守ることは、それ自体として否定されるべきものではない。
重要なのは、公式目的であれ実態としての意義であれ、いずれにおいてもエスペラントの導入は正当化されうるという点である。以下、順に検討していく。
第二章 エスペラントの予備教育効果
エスペラント導入を支持する根拠として、まず約100年にわたる研究で蓄積されてきた「予備教育効果」に言及しておきたい。
エスペラントを先に学ぶと、その後の他の外国語の習得が促進されるという効果は、1920年代から複数の国で報告されてきた。特に1970〜80年代にドイツで行われた実験では、英語学習前にエスペラントを学んだ児童は、英語の習得効率が向上しただけでなく、他の科目にも良い影響が出たとされている。2010年代のイギリスでの調査でも、エスペラント学習が言語の仕組みを客観的に見る能力を高めること、特に成績下位の学習者の底上げに有効であることが確認されている。
もちろん、これらの研究には方法論上の課題も指摘されており、エスペラントが「唯一無二の最強ツール」であると断定することはできない。しかし、学習のハードルを下げる効果については、一定の科学的根拠があると言ってよい。
第三章 異文化理解のツールとしての優位性
異文化理解が第二外国語教育の目的であるならば、むしろエスペラントこそが他の言語よりも優れたツールではないか——この逆説的な指摘は、傾聴に値する。
フランス語を学べばフランス語圏の文化に、ドイツ語を学べばドイツ語圏の文化に、限定的にアクセスできる。しかし、一年間の学習でそのレベルに達する学生は稀であるし、仮に達したとしても、それは特定の文化圏への傾斜であって、多様な文化への開かれた視野を養うこととは異なる。
エスペラントは、特定の国家や民族に属さない中立的な言語である。エスペラントの国際的な交流の場では、世界中から多様な背景を持つ人々が集まる。英語を母語とする者が持つ言語的優位性も、特定の文化圏への傾斜も、そこには存在しない。学習者は対等な立場で国際交流に参加できる。
異文化理解が目的であるならば、特定の文化への入口を提供するよりも、多様な文化への窓を開く方が、その目的により適っている。この論理は、一考に値するのではないだろうか。
第四章 研究機関としての「体裁」への応答
大学は研究機関である以上、フランス語やドイツ語のように膨大な学術的蓄積を持つ言語と並んで、エスペラントを教える正当性があるのか——この問いは避けて通れない。
確かに、エスペラントはフランス語やドイツ語と異なり、経済学や自然科学などの分野で存在感が薄い。しかし、ここで二つの点を指摘したい。
第一に、理系分野において、母国語と英語以外で論文を読もうとする学生はほとんど存在しないという現実がある。フランス語やドイツ語で書かれた論文を読むために第二外国語を学んでいる理系学生は、実際にはほぼ皆無である。「研究に資する」という建前は、少なくとも理系学部においては、すでに実質を失っている。
第二に、エスペラント自体にも学術的価値がある。エスペラントそのものを研究対象とする学問分野(Esperantologio)は存在するし、エスペラント学習と自然言語学習を比較分析することで、人間の言語習得メカニズムに関する知見を得ることもできる。これは認知科学や教育心理学にとって有益な研究テーマである。エスペラントは130年以上の歴史を持ち、独自の文学や思想的伝統も蓄積されている。
研究機関としての「体裁」を整えるという観点からも、エスペラントには十分な正当性があると言える。
第五章 教員雇用問題への対応
エスペラント導入に対する現実的な懸念として、既存の第二外国語教員の雇用が脅かされるのではないかという点がある。この懸念は真摯に受け止める必要がある。
しかし、エスペラントの特性を考慮すれば、この問題は解決可能である。エスペラントは規則的で例外がない言語であり、言語教育の専門家であれば短期間で習得できる。特に、ロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語など)を専門とする教員は、エスペラントの語彙の大部分がこれらの言語に由来しているため、習得が極めて容易である。
さらに注目すべき点がある。エスペラントは話者の母語の影響を受ける言語であり、フランス語話者のエスペラント、ドイツ語話者のエスペラントには、それぞれ特徴がある。この特性を考えると、多様な言語の専門家がエスペラントを教えることは、教育的にむしろ望ましいと言える。フランス語の専門家がフランス語との比較を通じて、ドイツ語の専門家がドイツ語との対比を通じて教えることで、より豊かな学習環境が生まれる。
既存の第二外国語教員がエスペラント教育も担当できるという点は、雇用問題への有力な解答となる。エスペラントの導入は、教員の雇用を脅かすものではなく、むしろ活躍の場を広げる可能性を持つ。
第六章 学生の動機と教育効果
エスペラントが第二外国語として導入された場合、多くの学生が履修を希望することが予想される。その動機の相当部分は、習得が容易であるがゆえに単位取得が楽であるというものであろう。
この点をどう評価すべきか。一見すると、「楽をしたい」という動機は教育的に望ましくないように思える。しかし、ここで予備教育効果の知見が重要になる。
入口の動機がどうあれ、エスペラントを通じて言語学習の成功体験を得た学生は、「自分にも外国語ができる」という自信を獲得する。そして、その自信は他の言語への挑戦を促す可能性がある。エスペラントは他の言語を排除するものではなく、多言語学習への「踏み台」として機能しうる。
現状、英語以外の外国語を学ぶ意欲を持てない学生が大多数を占めている。その状況で、形骸化した第二外国語教育を続けるよりも、エスペラントという「入りやすい入口」を用意することで、言語学習への積極的な姿勢を引き出せる可能性がある。教育効果という観点からも、エスペラント導入には合理性がある。
第七章 国際連携の可能性
より広い視野から、エスペラント導入の意義を考えてみたい。
日本の大学がエスペラントを第二外国語として導入した場合、同様の取り組みを行う他国の大学との連携が可能になる。例えば、日本と中国の大学が共にエスペラントを導入し、両国の学生がエスペラントを用いて交流するという構想は、検討に値する。
エスペラントの習得は比較的容易であり、一年間の学習期間でも実用的なコミュニケーション能力を身につけることが可能である。日本と中国の学生がエスペラントを介して交流し、議論するという営みは、それ自体が異文化理解の実践であり、また学術的な研究対象にもなりうる。
これは現時点では構想の域を出ないが、第二外国語教育に新たな意義を与える可能性として、頭の片隅に置いておく価値はあるだろう。
結論
本稿では、エスペラントを大学の第二外国語として導入することの正当性を、複数の観点から検討してきた。
第二外国語教育の公式目的が「異文化理解」であるならば、特定の文化圏に限定されないエスペラントは、そのツールとしてむしろ優れている。研究機関としての「体裁」を整えることが実質的な目的であるならば、エスペラントにも学術的正当性は十分にある。教員の雇用確保が背景にあるならば、既存教員がエスペラント教育を担当することで、その雇用は守られる。
学生の動機が「楽に単位を取りたい」というものであっても、それは問題ではない。エスペラントを通じた成功体験は、言語学習への自信と意欲を喚起し、他の言語への挑戦を促す可能性を持つ。
現状の第二外国語教育は、率直に言って形骸化している。その形骸化した制度を、ただ惰性で続けるのか、それとも新たな意義を与える改革を試みるのか。エスペラントの導入は、後者の道筋を示す一つの提案である。
学生の利益にかない、大学の理念にも合致し、教員の雇用も守りうる——エスペラント導入を否定する理由は、検討すればするほど見当たらなくなる。

