・昨日のつづき
昨日の続きである。知的活動を「消費」「分析」「再構築」に大別したが、やはり私は「再構築」をしたいと考えている。
「消費」に対して、私は全く興味がない。
ノーコストで得られる満足:「分析」
なぜ「消費」に興味がないかというと、「分析」がいつでもどこでもノーコストでできるからである。ぼんやり世界を見つめているだけで勝手にドーパミンが出る。どうしてお金を払ってまで、人の作ったもので盛り上がらないといけないんですか。
そもそも私が分野を選り好みしないのが全て悪くて、好きなのは仕組みや構造である。どの分野であっても仕組みや構造は必ず存在するから、それを解き明かしているだけで白飯3杯はいける。何に興味がありますかと問われたら仕組みや構造の分析と返しましょう。これテストに出ます。「節操のない」と言われるかもしれないが滅相もない。説法もない時代だし全部 all right(?)
「分析」は、お金のかからないいい趣味である。かかるとしても本代くらいであるが、これも図書館とブックオフ(街の古本屋さんはどこに行ったんですか怒)という作家泣かせのインフラがある以上、かかるお金をゼロに近似することもできる。
いつでもどこでもノーコストで満足を得るための方法論が確立されてしまった。もう人生上がりです。お疲れ様でした。邪魔しないでね。
私は好きにした、君たちも好きにしろ。
真の満足:「再構築」
というわけで、もくもくと「分析」をし続ける人生は十分に幸福だろうという実感がある。ただし、「分析」だけでは真の満足を得られない!
やはり!分析したパーツを組み合わせて仕組みを組み上げてみる過程が一番楽しい!!!知的好奇心をベースに、不確実性に身を投じることで得られる興奮は人生を豊かにしてくれる!
「あれとこれを組み合わせてみたらどうなるんだ!!!やってみないと気が済まない!!!」
悪戯っ子のような笑みを浮かべながらパーツを勝手に組み合わせて世界がどうなるかを観察しているだけなのかもしれない。
でも楽しいじゃん!多分誰も思いつかないようなことを思いついてるんだから実装するしかないじゃんね!どうなるかわからんの楽しいやん!!!その時々に発生する困難をバイブスとアドリブで乗りこなす!!無論設計がちゃんとなされていないと困難は乗り越えられないけど!!ドーパミンどぱどぱ!!
新しいものを産みたいとか、誰もやったことのないことをしたいみたいな世俗的な欲求で駆動しているわけではない。どうなるかわからんのがあまりにも楽しいからやってるだけなのよ。それまでなかったものが誕生するのってウケるじゃん。いやあ仕組み作ってる時が一番興奮する。だって楽しいじゃんね。誰にも止められないと思う。ちょっと!変な目で見ないでください!!あっちいけ!!
私は好きにする!君たちも好きにしていいよ!!
・「再構築」に対する考察
さてこんな感じで、私は「分析」だけで満足できるオタクだと気づいた。同時に「分析」だけじゃ人生に張り合いが生まれないことも察してしまった。できることなら人生で「再構築」をやりまくりたいと考えている。守破離(詳細は昨日)のどの段階でもいい。とにかくなんでもいいから「再構築」をしたい。だって楽しいから。
一つのことを突き詰める←できない
好きなことと得意なことは違うと思っていて、いくら「再構築」が好きとは言っても得意でなければ打ち込みすぎると痛い目にあうような気がしている。
「再構築」にもいくつかパターンがあると思っていて、一つのことを突き詰めるタイプの「再構築」をする人の類例はそこそこ見受けられる。芸術的な作品を作る人は大体そんな感じのイメージがある。しかし私は多分それができない。なぜかと言われるとよくわからない。悪くいうと飽きっぽい、もっと悪くいうと甲斐性がないのだろう。
命や魂を削って作品を作っておられるクリエイターの方々を見ると本当に頭が上がらない。みんながそうなのかはわからないが、少なくとも私が何かを創るにはそれなりに寿命を削る必要がある気がしている。なぜあんなことを日々のルーティンや仕事にできるのかしら。あの人たちの情熱は一体どこから……?(黄色の便座←きたない)まあ当然ノーコストで作品を作れるタイプの人もいるし、もしかしたらそっちの方が多数派なのかもしれない。実際いま書いてるこの文章を吐き出すのはノーコストだし。もしいまここで出しているような文章が社会的に評価されるような代物であった場合はふわふわしながらクリエイターの地位を確固たるものにできるのかしらね。よくわからんから色んな人に聞いてみたいね。
閑話休題(こいついっつも閑話して休題してるな)、一つのことを突き詰められない原因をもうちょっと真面目に考えてみると、やはり思考が拡散していくタイプの脳みそをしていることと、「組み合わせる」とか「Aから抽象的な概念だけを取り出して全然違う分野のBに応用してみる」というところで激しくドーパミンが出るようになっているのだろう。あと、詳しくは後述するが、鍛錬にどっぷり打ち込むだけの動機が現状存在していないというのも大きいと思う。一つのことを突き詰めようと思うと、それなりに腰を据えて打ち込む必要が間違いなくある。多くの場合、私の目にはそれが苦行に映る。私は苦行があまり好きではないので、腰を据えて打ち込むに値するような大きな動機がそこに存在しなければならない。
じゃあなんでこの文章は毎日かけているのかというとこれは好きなことだからだ。結局努力の人は好きでやってる人には勝てない(それはどのような形でもそれに触れ続けられるから)。この文章で何に勝とうとしているのかはよくわからないですが。
結局のところ、私ができる再構築は「一つに打ち込む」ではなく、「適当に組み合わせる」でしかなく、それは再構築という概念で表されるもののうちごく一部に過ぎないんだろうなあと思いました。
鍛錬のモチベがない
非常に情けない話だが、鍛錬だの苦行だのをするモチベーションが私には皆無である。だってそんな苦しいことをやるくらいならノーコストで「分析」をしていた方が楽だもん。なんか最近人に鍛錬を強いていた記憶があるがすみません私はこういう人間です(懺悔)。
というか鍛錬をして得られるものって何?創作物を作れるようになったとして何が嬉しいの?社会的評判とかお金とかもらって嬉しいという気持ちが私には全くわからない。無限の時間とかくれるんだったらやってもいいけど、別に適当にやってても(適当にやることを選択すれば)無限の時間って手に入りますよね。全身の冷笑筋がパンプアップしてきた。頬に小さい冷凍庫飼ってんのかい!
でも好きな人とか尊敬する人に褒められると多分嬉しいかも。確かにそれはそうだ。ちょっと前に #創作物を作ることで創作物を作っている人と繋がりたい というtwitterのハッシュタグみたいなことを言ってた気がする。まあそういう発想はわかる。しかし、そんな不確実で輪郭の定まりきっていない動機で苦行に突入できるかというと相当怪しい(現状できていない以上まあできないんだろう)。
鍛錬のモチベがある
早速矛盾しているが、これは少し意味合いが違くて、私は人生において3回程度、「人の3倍の量努力する3年間」という期間を設けるべきだと思っている。今でこそ頭に29個のホットドッグを乗せるサンズみたいな人生観をやっているが、かつては努力は全てを凌駕するという比較的脳筋思想を持っていたり持っていなかったりした。(まあサンズの設定もそんな感じだったし学習的無力感に陥らないようにしようねという話なのだが。閑話:私はGルートをプレイできていません(休題)
うーん次の打ち込みはどこでやろうかなあなどと言っていたら時間だけが過ぎていってしまった。打ち込むべき対象を見つけられていない。やる気だけはそれなりにあるんだけど注ぐべき対象が特に見つかっていないんですよね。打ち込むと何が嬉しいのかを明示してくれないと困る。嬉しさがないんだったら私は勝手に「分析」をやってますよ。その方が楽なので。最近私によく似た人間がこんなことを言っていて、私に似ているなあと感じた。
社会との接続
社会との接続をした方がいい場合としなくてもいい場合がある。どっちでもいいんだけど、一旦社会と接続し続ける前提で考えてみる。「分析」をやり続けたいと思うなら、そのような能力が活きる仕事に携わればいい。全然やる気は出ないが、多分人より多少は向いているはずだからなんとかはなるだろう(本当?)。本当にやりたくないが、まあそれはそれで人生なのかもしれない。本当にやりたくないが。
でも「再構築」をやりたいならそうもいかない。なんとかして商売か創作をやるしかないと感じている。
そして最近、「再構築」をやりたいという欲求があまりにも強すぎて困るという結論に達した。困っているうちは結論ではないのかもしれないが。困っている人を見たいな〜ってお客さんがいたらいくらでも見せてあげますよ(太っ腹)
「再構築」を維持するモチベがない(驚愕の事実)
散々「再構築」をやりたいやりたいと述べているが、「再構築」したものを維持するモチベが全く存在しないんですよね。なんなんだこいつは。つまみ出せ。
というのも「再構築」をしたがっている理由は、不確実性に対する知的好奇心一本でしかない。状況が進んで不確実性が取り除かれてきたら知的好奇心は枯れ、全てが予定調和になり、もうどうでもいいやという気持ちになる。そうなると別の「分析」をやったり、新たな「再構築」について考えている方が楽しいのだ。社会的成功とかに興味を持てれば良かったのにねと、つくづく思う。
人生で「再構築」をしたいなどと喚いているが、それを続けていくモチベーションがない以上、果たしてそれは社会接続と言えるのだろうかという当然の疑問が湧いてくる。う〜ん、負けそうじゃ(山札の上から3枚を見て、デュエルに敗北する)。
鍛錬に対して特にやる気が出ないのも、鍛錬して何らかができるようになったからといってそのあとそれを続けていくビジョンが存在しないから。だってさあ〜〜〜(泣)うえ〜〜ん(泣)
人生の張り合い
張り合いのある人生案がなんか出てきた。無理やり設計すればなんとかなるような気がする。設計案に対してそれなりの張り合いがありそうだなあと感じている。というのは、鍛錬や打ち込みのモチベを人為的に作ってしまえば意外と舞えるのじゃないか??という仮説に基づいている。
人為的なモチベとして思いつくのは2通りある。
①身の回り(共同体)の人間の生活が、少し上向く
②師匠筋の人間の想いを受け継ぐ
この二つがあれば意外とモチベーションが湧いたり湧かなかったりするんじゃないかなどという天啓が降ってきた。今日は調子が乗って4500字とか書いちゃったのでもう眠いよ!明日ここからかくね!
・没
不確実性に身を投じたいと述べているのは、世界の全てが予定調和のように思えてしまうからかという仮説を思いついた。大体全ての結論が見えてしまうのが悪い。その辺の人たちにとって不確実に思えるような領域であっても、私は数日考え込んだら大体の構造が見えてしまう(ほんとう???)(←これかなり怪しいこと言ってるよ)。うーん全然知らん世界ありすぎるし毎日びっくりすることだらけから多分これ嘘。さようなら。

