20250903日記 #3 好きなこと(仕組みの理解)で生きていく

20250903日記 #3 好きなこと(仕組みの理解)で生きていく

・仕組みの理解で食っていく

仕組みを作りてえなあ〜〜〜と思っているが、経済的基盤の確立を達成目標に加えた途端、やり方がよくわからなくなるということを昨日書いた。袋小路に迷い込んだ感覚があるので、もう少しマイルドな生き方について考えてみたいと思う。つまり、「仕組みの理解で食っていく」という生き方だ。

 

「仕組みを作る」と「世の中の仕組みを読み解く」というのは似て非なるものだと感じる。世の中は誰かが作った仕組みか自然科学的な仕組みの組み合わせでできている。それらの仕組みを読み解く技術は必ずどこかで役に立つだろうという発想に基づいている。

 

仕組みを解き明かす能力は一体どこで役に立つのかというのを小一時間考えた結果、仕組みを維持しなければならない人にとっては仕組みを解き明かす能力を持った人間は必須だよな〜などと思った。企業という仕組みの維持・管理を担う役員、国家体制という仕組みの維持・管理を担う官僚、(自分でものを考えられない役員が思考を外注するでお馴染み)コンサル、良い仕組みを見極めて金をぶん投げる投資・金融界隈、プログラムという仕組みを作ったり保守管理したりするIT界隈、統計学に基づいてより良い仕組みを提案するデータサイエンティスト、そして(「国が抱える食客」でお馴染み)研究者である。

どれも興味がなさすぎてウケる。一同大爆笑。

 

仕組みの改善者であるところの政治家も、本来は仕組みを解き明かす能力が必須のように思うが話が長くなりそうなので割愛。

 

ともかく、仕組みを維持する側の界隈の人間にとっては仕組みを理解する能力が必要になるのだろうと思う。でもわたし仕組みを維持したいと思ったことはこれまでの人生で一度もないんだけど……。

 

「仕組みを維持するとかいう何の興味もない仕事をしてあげてもいいよ」と「やっぱめんどくさいのでやだ」の間を反復横跳びしている。ぴょんぴょん。

 

 

 

・好奇心の奴隷は仕組みを作りたい

「霞(知的好奇心)を食って生きていきたい」という原始的な欲求に素直に従うと、どうしても「仕組みを作りたい」に収束していく。

 

というのも、世の中の仕組みは、たかだか有限個数の本質の組み合わせを手を替え品を替えやってるだけなので(ここ本質)、何度も仕組みを読み解いていると大体パターンが見えてくる。世界を包む未知のベールは時間経過によってどんどん外れ、興奮の総量が逓減していくことが見込まれる。それに物足りなさを感じるのは間違いない。

 

何が言いたかったかというと、「世の中の仕組みを読み解く」という作業を続けているとどこかで本質を掴んでしまうため、興奮の総量は低下していく一方である。つまりそのうち飽きると同時に別の分野に興味が持っていかれる。本質の部分を何となくパターン化できたからとしても、枝葉の部分は無限にあるから世界の全てに興味が尽きることはないのが救いだ。世界には196カ国もあって嬉しいね。枝葉の部分を吸いまくるだけで人生を終わらせることは容易だ。

 

とすると、仕組みを作ってそれを維持し続けた方がいつまでも興奮し続けられるのではないか。必然的に身も蓋もないところに帰結するわけである。仕組みを作ることは不安定に身を置くことと同じであり、安定を生贄に興奮を召喚する奔流のような人生が見込まれる。それはそれでいいんじゃないかという意見もある。もし仮に本質を全て掌握したと感じた時のプランBとしては、ぬるっと基礎物理学の分野に足を突っ込むことで、一生かかっても解き明かせないであろう本質の解明に一生を注ぐことができるんだろうと思う。それはそれでアリかもという意見もある。

 

なんにせよ、「仕組みを解き明かす」という行為は将来的に興奮の総量が逓減することが見込まれる。仕方がないので、とっとと本質を全部理解してそこから逆算して新しい仕組みを作るか、あるいは一生かかっても解き明かせない本質にぶつかり続ける方が興奮の総量が大きいように思う。

 

自分が霞(知的好奇心)でしか満足できないドーパミン回路がおしまいの人間だという文脈を踏まえると、「仕組みを解き明かす」より「仕組みを作る」あるいは「一生かかっても解き明かせない仕組みにぶつかる」の方にどうしても惹かれてしまう。ハードモード突入決定おめでとうございます。

・とはいえ仕組みを解き明かす方が楽

何をどう考えても仕組みを解き明かしてる方が気が楽。真に簡単なわけでも、興味があるわけでもないけど。

 

仕組みを解き明かす方が楽というよりも、仕組みを作ることが難しすぎる。以下理由

 

①リスクを張ると安定が遠のく

仕組みを作るのは採算を取ることとセットなのだが、採算を取るということはすなわちリスクプレミアムを掻っ攫うということで、リスクプレミアムを掻っ攫うためにはリスクを冒さないといけない。リスクを冒すということは安定を一旦無視するということになる。資本・信用の低下という純粋なリスクだけにとどまらず、安定をかなぐり捨てるというリスクまで背負い込まないといけないわけであって、これらまで合わせると採算を取るために必要なリスクの総量はとんでもない量になる。

元来安定を求めていないはずだが、安定が遠のきますよと言われると反射的にウッとなる。元来安定とは程遠い性質を持っているはずにも関わらず、気づいたら安定を求めるように調教されてしまった。学校教育許すまじ。

 

②期待値が低い

これはこの国の構造的欠陥の一つだと思うんだけど、適当に大企業に入ることで得られる総リターンの期待値が、自分で仕組みを作るぞと決めて得られるであろう総リターンの期待値を大幅に上回っている。

昔のひげもじゃのおじさんは資本家が労働力を搾取していると述べたが、資本家は労働者を雇うというリスクを張っている以上、リスクを張らない労働者が市場原理から抜け出せないのは仕方のないことであろう。むしろ労働法というリスクに対するリターンとしては、資本家の取り分は少なすぎるまである(ほんま?)。

しかし労働者市場の中でも、高強度の知的労働をしてくれる商品(労働者)はそれなりに希少らしく、需給バランスの問題で高い値札がつく。

 

高強度の知的活動が可能な個体は、自分で仕組みを作ればいいと思う。だが、自分で仕組みを作るよりも高強度の知的労働をする商品として自分を売り込んだ方が、得られるリターンの期待値が高くなる。安定に重み付けされた評価基準がいつの間にか植え付けられているのも、この構造の追い風となっている。一般的な評価基準に対して唾を吐き捨てない限り、この構造から抜け出すことはできない。あるいは博打が好きな異常者か。

 

博打が好きな異常者に対する朗報としては、自分で仕組みを作る道を選んだ時に得られるリターンの分布はロングテールを描く。要は青天井ということだ。ざわ…ざわ…

さあ君も無限のリターンを手にしてこの世の全てから解放されよう!人生は宝くじや!

 

まとめ

 

「つまんね〜wめんどくせ〜w」と言いながら仕組みを解き明かすか、

「安定はどこ…?ここ…?」と言いながら先にあたりくじがあると思い込んで仕組みを作るか

 

のカスの二択。いかがでしたか?

後者を選んで当たりくじを引けたら、仕組みが好きな人と仲良くなれるというおまけがついてくるかもね!

 

まあ同時並行でやればええやんかという気持ちもあるのでそうします〜^^

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