ぽわぽわした創作

久しぶりに何か書きたくなったので書いてみる。時間は今から15分。よーいどん。

 

何を書こうかなあと思いながら白紙のページに向かう時間が一番ワクワクするよね。自由に与えられたエディターになにを書いてもいいわけで。

私はなにからも束縛を受けてないんだ、という感じがする。もちろん表現方法として基本的には横書きの文字しか認められておらず、その規範の中で表現をしないといけないんだけど。

一方社会はどうだろうか。、と書いてみたが、こういう論調はもう結末が見えきってるからやめにしよう。

 

自分の頭に思いつく事項、そもそもめちゃくちゃ。だからアウトプットも、本来はもっと自由でいいはずなんだ。突拍子がなくていいはず。ぶっ飛んでてもいいはずなんだ。

結局それが赦される場所は創作しか残っていないのかもしれない。「表現技法」でいい感じにコーティングさえすれば、ぶっ飛んだ思考をそのまま垂れ流しても何も言われない。

おっさんが選挙カーの上で喋る内容については様々な人がケチをつけるが、美術館にあるよくわかんない絵に対してケチをつける人間はそう多くはない。

皆が分かるものに対しては様々なケチがつくが、いまいちよくわかんないものに対してはケチがつかない。ケチをつけようと思っても、物の良し悪しが分からない対象に対しては人間はケチのつけようがないのだ。

 

大衆受けを狙うか、自分(を含めたニッチな人々)の満足を狙うかという問いは創作者がそのうちぶち当たる壁だろう。

もちろん、大衆受けするものをどんどん生産するような市場があってもいいと思う。

でも、創作の場は、大衆の目を気にしない人々にこそ広く開放されるべきだと思う。

内に秘めた思案の流れ・エネルギーをどこで発散してるのか、私にはとんと見当がつかない。

だから、結局創作という形を用いて、誰からもなにも言われない場所で、自分の波動を出力して、整える。

そうするほかないのではないか、などと思う。

そろそろまとめに入ろう。後2分だ。

 

「大衆受けを狙うための創作」とか「少数でもいいから誰かのためになることを願った創作」のほかに、「自分のエネルギーを出して整える場所としての創作」があってもいいなあと思った。(15分経過)