国家総合職教養区分合格体験記~ある熊野寮生の「国総教養」珍道中~

国家総合職教養区分合格体験記~ある熊野寮生の「国総教養」珍道中~

 2021年度国家公務員採用総合職試験(大卒程度試験)教養区分に合格しました。この記事はそのときの顛末をまとめたものです。試験対策のお役に立てるかはわかりませんが、こんなやつでも受かるのだということで気が楽になることはあるかもしれません。ご笑覧ください。


そもそも教養区分とは?

 国家公務員総合職(いわゆるキャリア官僚)の採用にはいろいろな試験がありますが、その中でも特色ある試験が教養区分(通称「国総教養」)です。他の試験種別は春に試験が行われますが、教養区分は秋に実施されます。従って受験年齢制限も他の試験種別より緩く、現役入学なら3回生秋から、1浪なら2回生秋から受けられます。内容は「専門科目試験を課さない」ことが特徴で、幅広い知識・知能や課題解決能力、政策立案能力を評価するとされています。雑に例えると「AO入試の官僚採用試験版」と言えるかもしれません。倍率は例年10倍~20倍以上と高いですが、専門科目が問われないため、従来の試験の科目以外の分野を専攻した人や、私のような「法学部に籍を置きながら法律学も政治学も経済学もできない」人にもチャンスをくれる試験であると言えましょう。


1次試験

 1次試験は10月3日に関西大学千里山キャンパスで受けました。科目はマークシート式の基礎能力試験Ⅰ部(知能試験、英文読解)、同Ⅱ部(知識試験)、記述式の総合論文試験(資料を読解し設問に即した論文を書く)でした。

 このとき何より難しかったのは「試験場にたどり着いて着席する」ことでした。というのも試験開始時刻は朝9時(!)、しかも京都から千里まではそれなりの距離です。夜型熊野寮生の私が定刻に間に合うように起きるのは至難でした。さらに、前夜に「津々浦々コンパ」という楽しいイベントが全寮を挙げて開催されており、元来酒好きの私は日本全国の美酒佳肴に舌鼓を打ち、すっかりへべれけになっていたのでした。試験当日の午前4時、酔った頭で「いま寝たらもう独力では起きられない」と悟った私は、受験票と筆記用具を入れた鞄を体にくくりつけ、同じく受験予定だった寮生のTとCにモーニングコールを依頼して倒れ伏しました。ちなみに、私も彼らも前日に至るまで試験内容も試験場もほとんど把握しておらず、受験票に貼り付ける証明写真すらないという体たらくでした。

 2時間後、目を覚ますとそこは車の中でした。どうやら私は酩酊状態で起き上がり、集合場所としてあった車(公共交通機関で行くこともできますが、二日酔いの人間は寝過ごすこと間違いなし)に移動していたようです。周到なことにどこかからか埃まみれの毛布まで拾ってきていました。まもなく他の寮生たちもやってきて、唯一酒が入っていなかったTの運転で出発しました。

 烏丸で寮外生のSを拾い、そのまま京阪国道に入って南下していきます。しかし、いくらも進まぬうちに車に不調が出はじめました。タイヤの空気圧が低下しているようでした。慌ててガソリンスタンドに飛び込み、二日酔い頭痛に耐えながら空気を入れました。車は調子を取り戻しましたが私の頭は一向に治らず、道中で買ったスポーツ飲料とラムネとゼリーをひたすらに摂取しながら二日酔いと戦っていました。

 試験受付が開始される頃、関西大学が見えてきました。まじめな受験者はもう入場を開始していたでしょう。一方我々は、少しでも安い駐車場を探して大学周辺を右往左往していました。Tの恐ろしく下手な運転(このときは右直事故と踏切冒進を起こしかけました)でやたら遠くの駐車場まで行き、来た道を徒歩で戻り、正門をくぐり、丘陵地のキャンパス特有の広大さと高低差に遭難しかけながら試験場へたどり着きました。

 最初に総合論文試験を受けました。教養区分の数ある試験科目の中で最も高い配点を占めており、試験時間も4時間の長丁場です。しかしこの時の私は論文よりも頭痛の方によっぽど苦しめられており、2時間ほどでとにかく埋めて残り時間で寝ようと決めていました。掌と額からは不快な脂汗がしみ出し続け、だんだん解答用紙がふやけてシャーペンの色が乗らなくなっていきました。実際に2時間で書きなぐり、机に突っ伏して寝ました。同行の3人は別の試験室に居ましたが、彼らも早々に書き終えて退出したようでした。私が退出しなかったのは、出て行った先で寝られる保証がなかったからでした(途中退室したらもう戻って来られません)。試験終了の合図で起こされました。頭痛はかなりましになって、食欲も戻ってきていました。解答回収後に3人と合流し、各々の論旨を評しながら昼食をとりました。私が「リスク社会の行政官に求められる資質」として「学問の自由の擁護」と書いた話をしたらずいぶん笑われました。役人の試験に反権力的な論調で挑むのは無謀ではないかということでした。

 解散後、また試験室に戻って基礎能力試験を受けました。Ⅰ部は頭をひねって条件を読み解き試行錯誤しないと解けない問題が多く、ああでもないこうでもないと考えさせられました。しかもこの科目は制限時間がシビアで、どうしても解けない問題は鉛筆を転がしてマークしました。Ⅱ部はセンター試験を全科目詰め合わせにしたような試験で、得意なところは一発で解けましたが、履修したことのない分野(私の場合、主に理系分野)の問いはまたも鉛筆を転がしました。

 この日の試験はこれで終わりましたが、正直全く手ごたえがありませんでした。落ちてもともとと思っていたので、配られたいろいろな書類は問題用紙以外全て帰路の途上で処分してしまいました。試験場を出た時にはとっぷり日が暮れていて、せっかくの秋晴れの日曜日に何をしていたんだろうと思わずにはいられませんでした。


1次試験~2次試験

 試験から数日たったころ、先に総合職試験を受けていた先輩から予備校のデータリサーチなるものの存在を知らされました。自分の解答を入力すると、正誤判定・得点予想(素点がそのまま採点に用いられるわけではないため)・データ利用者内での順位が分かるというものです。私の解答を入力してみたところ、鉛筆を転がした問題がかなり当たっていました(しかも、そのうちの1問は5肢択一で正答率18%台とありました。つまり鉛筆を転がした方がむしろ当たることになります)。それが奏功してか、どうやら1次突破ラインぎりぎりのところぐらいに居るようでした。

 1次合格発表の朝はまたしても二日酔いで迎えました。後輩のうちでご馳走になり、そのまま爆睡してしまったためでした(情けない!)。後輩たちは人格者なので、私の1次突破を自分のことのように驚き喜んでくれました。もちろん、私はそれを口実に迎え酒を正当化しました。一緒に受けた3人のなかでは、Tが優秀な成績で1次を突破したようでした。ある寮生は、私とTが1次試験をすり抜けてしまったことについて「人事院の落ち度」「試験制度が正しく機能していない」と散々な言いようでした。

そんな……

 数日後、1次試験合格通知書兼2次試験受験票が送られてきました。それによると、試験日までに住民票記載事項証明書を用意する必要があるとのこと、そしてその用紙は「受験心得」に含まれているとのことでした。しかし、当の「心得」なるものは同封されていません。一体どういうことなのか? 思い返してみると、1次試験の時にごちゃごちゃ配られた紙の中にそんな名前があったような気がしてきました。しかしもう後の祭り、とうの昔にコンビニのゴミ箱から運び出されて灰になり、大阪湾の埋め立てに使われていることでしょう。慌てて人事院のサイトを見たところ、「心得」をなくした場合でも用紙のダウンロードができるようにしてくれていました。間一髪助かりました。

 またしばらくたったころ、民間の英語の試験を受けようと思い立ちました。試験成績如何で優遇される制度があるからです。調べてみたところ、試験日までに結果が分かるのはTOEFLかIELTSしかなく、しかもどちらも受検料が大変高額でした。ひとりでポンと出せる金額ではなかったので、実家に頭を下げて費用を捻出してもらいました。1次試験合格の話はこのときはじめて伝えましたが、両親ともに何の話だかいまいちよく分かっておらず(いわゆる「国1」時代から試験名称が変わっている上に、公務員試験と言えば春にあるものだと思っていたためです)、無計画な金の無心を叱られてしまいました。しかしともかくも現金を手に入れ、いざ申し込みという段になって、決定的なミスに気がつきました。さきほど「試験日までに結果が分かる」と書きましたが、それはあくまでもWebページでスコアを確認できるというだけの話で、加点に必要な「成績証明書の原本」は海外から発送されてくるために、試験日に間に合わないのです。この時点で加点なしのハンデを背負って2次試験に挑むことが確実になってしまいました。しかたがないので、もらった金は1次合格祝いとして全部飲むことにしました。

 本来ならば2次試験までの間にいろいろな対策をしておくべきだったのでしょうが、無精で無計画でなにごとも後手後手に回る性分が災いし、延期になっていた成人式や親戚の来訪などのイベントが重なったこともあって、全くといっていいほど何もできませんでした。いちどだけゼミの先輩に企画提案試験の稽古をつけていただき、これは大変に勉強になりました。しかし私があまりに2次試験の勝手を知らず緊張感もなかったために呆れられ、叱られてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。


2次試験

 そんなこんなで2次試験当日がやってきてしまいました。11月24日と25日の2日間です。スーツを着ていくのですが、実はこのときワイシャツと靴下がありませんでした。成人式のために実家に持ち帰り、そのまま忘れてきていたためでした。気づいたのは前日でしたが、まあなんとかなるやろということでほったらかしてありました。24日の朝、御池通の地下街にある証明書発行コーナーに開店凸して住民票記載事項証明書を取り、コンビニで靴下を買い、はたと気がつきました。

 「ワイシャツって道中のどこで売ってるんだ……?」「漠然と『大阪なら何でもあるやろ』とか思ってたけど、道中に店はあるんか? いや、確か京橋駅はモール併設や、あるかも…… しかし開いとるんかな?」

 考えているうちにも時間は過ぎていきます。ええいままよ、なかったらなかったとき、その時はTシャツで受けたれ、そう腹をくくって京阪に乗りました。

 京橋駅で途中下車し、足早にモールの中を歩きます。果たして紳士服店が見つかりました。店員さんに寸法を取ってもらい、勧められるがままにワイシャツをひとつ買いました。時間が惜しかったのでホームに取って返し、電車を待つ間に着替えました。周囲からはさぞ不審に見えたことでしょう。ネクタイもここで締めましたが、首がつかえてすぐに嫌になりました。こんなものを締めて受験するのは正気の沙汰ではないとさえ思いました。

 中之島の合同庁舎には珍しく余裕を持って到着しました。警備員に受験票を見せ、ロビーに通されました。Twitterで暇をつぶしていると他の受験者たちも次々やって来ました。寮生のI君、同クラスのO君のほかにもどこかで見たような人たちが複数来ており、この試験の京大生率の高さが窺い知れました。昼飯をむしゃむしゃやっていたのですが、食べ終わる前に試験室へ移動させられることになり、おにぎりひとつ分空腹で受けさせられることになってしまいました。移動時刻ぎりぎりになったころ、合同庁舎に向かって歩いてくるふわふわのアフロが見えました。Tでした。いつもと変わらぬ彼のスタイルが、このときばかりは大変ミスマッチで面白かったのを覚えています。

 2次試験の最初の科目は企画提案試験でした。設問に示された行政上の課題について、それを解決するための方策を論文形式で提示します。次に面接室に通され、作成した論文の内容について3人の面接官からツッコミを受け、それに応答していきます。今年の問題は「水害の防止について、ハード面とソフト面の両面から対策を考えよ」でした。私は、ハード面については、激甚な降雨に対し堤防や暗渠の増築では限界があるため、山林の整備を行い土壌保水力を高めるべしと書き、ソフト面については、コロナウイルスの接触通知アプリにヒントを得て、情況と各個人に最適化された避難経路を提示するシステムを構築すべしと書きました。面接では各施策を具体的に掘り下げて質問され、前者については面白い着眼点であると褒められましたが、後者については個人情報保護の観点から実現が難しいのではないかと指摘されました。

 1日目を終えた帰り際に英語試験の点数加算申請書を回収されました。私はスコアがないので「なし」に〇をつけて出しました。ひとりひとり試験官が回って集めに来るのですが、加算申請する人は証明書の本人確認がなされるのでそれと分かります。体感では、私含め2~3割の人は申請していないようでした。

 帰寮したころ、友人から連絡が入りました。鴨川デルタで酒でも飲まないかとのことでした。明日が早いので寝たほうがいいのは分かっていましたが、ゼミ同期と飲める機会もそうそうあるまいと思い、顔を出すことにしました。友人たちに試験のことを伝えると、呆れながらも激励してくれたので、この日もついつい酒が進んでしまいました。

 11月25日は二日酔いもなくスカッと目覚めました。この日は午前の組に入っていたので眠たかったですが気合いで乗り切りました。

 2日目は最初に性格診断がありました。自動車教習所で最初にやらされる運転適性診断のようなものです。これ自体は評価の基準ではなく、あくまで面接の参考にするだけだと言われましたが、「誰かに監視されているように感じる」だの「周囲の人が敵に見える」だのを選んだとしてはじかれないことがあろうか? と思ってしまいました。

 次に列ごとに面接室へ移動し、一人ずつ人物試験を受けました。私は列の先頭だったので最初に受けることになりました。面接官は3人いて、恐らくは真ん中の物腰柔らかな人が上司でした。質問に入る前、受験者に配慮してか「(面接の順番が)トップバッターですけれどもどうですか、昨日はよく眠れましたか」と聞いてきたので、昨夜のできごとを正直に話しました。面接の内容は難しくなく、「あなたが学生時代に頑張ったことや、興味があることは何か、それらが希望の省庁における業務といかに関係するのか」という具合でした。私は第1希望にとりあえず外務省と書いており、頑張ったことと言えば学生自治と登山ぐらいしかなかったので、「学生自治は憲法の保障外にありますし、山で死にかけても法律は助けてくれません、これらは共通の法がない国際政治の世界にも通じると思います」とかなんとか屁理屈を並べて乗り切りました。総合論文試験の時と同じく左派的な内容でしたが、それで減点になるということはなさそうでした。

 全受験者の人物試験が終わるまで待合室で待たされました。この待機時間がとても長く、じっとしていられない性質の私にとって大変苦痛でした。このときに限らず、2次試験の2日間を通して待機時間が多かったです。しかもお役人はキリのいい時間が好きなのか、絶対に5分刻みでないと物事を進めてくれません。そのために、ちょっと移動しては数分待ち、また部屋を変えて数分待ち、というような具合に待機が積みあがっていきました。待機中もトイレと水分補給しか許されず、しかもいちいち挙手しないといけないので面倒です。私は暇をつぶすために、意味もなくトイレに行って顔を洗ってみたり、肘まで丁寧に手を洗ってみたり、ネクタイをほどいては結び方を変え、ディンプルを作ってみたりしていました。そんな中で編み出したおすすめの暇つぶしのひとつが、消毒液の吸入です。新型コロナウイルス対策のためか、庁舎の動線上のあらゆる角、あらゆる出入口に消毒液のボトルがありました。これを手の甲に数滴垂らし、鼻から吸い込むのです。粘膜にアルコールがしみ込み、ガツンと衝撃が来て一気に目が覚めます。しかしやりすぎると鼻がぐずぐずになりますし、そもそも飲用じゃないので自己責任でやってください。閑話休題。

 人物試験後に総合討議試験に移りました。これはいわゆるグループ・ディスカッションの能力を見る試験なのですが、面接室に通される前にレジュメを切る時間が30分ほど与えられます。受験者はこのときに討議課題の内容を初めて知らされ、短い時間の中で資料を読み込んで自分の立場(2つのうちの1つ)を決定することになります。今年のテーマは食品ロスについて。争点は食品事業者への規制を強化すべきか(立場A)否か(立場B)でした。私は立場Aを選びました。私はこのときすっかり集中力を切らしていて、のちの討議で何度か肝を冷やすことになりました。書きたいことがなかなかまとまらず、いざ書き始めても時間の制約で書きたいことの半分も書けず、惨憺たる状態で打ち切られて面接室へ行きました。

 討議は5人1組で行われるのですが、私の組には同じクラスのO君と同じゼミのK君が入っており、ほとんど身内のようだったのでリラックスして受けられました。余りにリラックスしすぎたために、討議中は本来ならば番号で呼び合わなければいけないところをついO君の名前を呼びそうになってしまいました。

 5人分のレジュメの写しを配られて着席しました。最初にレジュメを読む時間がありました。なんと、私以外の4人全員が立場Bを採っており、しかも一様に「規制強化に代わる施策」なる項目が末尾に設けられていました。慌てて設問を見返すと、設問文の最後に「Aを採るときは規制強化により生じうるリスクを、Bを採るときは規制強化に代わる施策を論ぜよ」とありました。ヒヤリポイントその1でした。続く各人の内容説明の時間に慌てて補足する羽目になりました。このとき、規制を行うべき理由について「資料の何番をご覧ください、それによりますと……」といった流れで説明を進めていたのですが、食品事業者と家庭での食品ロスの発生量について、グラフを真逆に読み違えていたことに気がつきました。誰も指摘してくれるなと念じながら、何でもない風を装って説明しました。ヒヤリポイントその2でした。

 本格的な討議の時間に移ってから、私は早々に自分の立場をひっこめてBに鞍替えしました。しかし完全にオリてしまっては試験官に印象を残せないと思い、折衷案として「もっとも家庭に近い食料供給事業者である小売店での食品ロス対策を進めると効果が高いのではないか」などと述べて何とか食らいついてみました。終了間際、それっぽい結論らしきものを全体に対して述べ、もっともらしく他の4人の顔を見回し、さも議論の中心に居たかのようなふりをしてどうにか点数を稼ごうとしました。本当に稼げたかは分かりません。

 すべての試験が終わったのは昼過ぎでした。せっかくだから大阪の旨いものでも食べて帰ろうということで、I君、O君、K君と一緒に梅田まで歩いて行き、地下街で散々迷って遭難しかけたあげく、よくわからない場所で見つけたお好み焼き屋に入りました。みんなで試験を振り返りながら卓を囲み、ワイシャツの袖をまくってジョッキで乾杯すると、なんだかいっぱしのサラリーマンにでもなったような気がしました。このときI君に、自分の格好が就活生らしからぬことを指摘されました。確かに、京橋で買ったシャツはよくよく見れば模様が入っていて、締めてきたお気に入りのネクタイは黄色地に紺の市松でしたが、まさかそれが理由で落とされることはあるまいと返すと、彼は呆れたような微妙な顔をしていました。試験終わりの解放感で細かいことなどどうでもよくなっていたので、気持ちよくビールを流し込み、気がつけば帰りの電車賃まで使い込んでいました(のちにATMを発見して事なきを得ました)。一応3人に出来を聞いてみましたが、一体何が評価されたか分からないし手ごたえもないとのことでした。同感でした。

キンキンに冷えてやがる

合格発表

 最終合格発表の日、私の番号はありました。のちに送られてきた合格通知書に席次も書いてありました。意外なことに半分より上でした。英語試験の成績を提出していればもっと伸びたので、もったいないことをしたのかもしれません。受験した寮生のうち、I君は私より上位で合格していましたが、Tは落とされていました。私より彼の方が優秀なのは間違いないので、きっとアフロを理由に蹴られたのでしょう。

 感想ですが、試験全体を通して熊野寮生向けだと感じました。総合論文試験は議案作成のノウハウが生きますし、企画提案試験は寮祭やコンパの企画力に直結します。総合討議試験なんて「徹底討論の原則」そのものです。合格発表の時期もちょうど熊野寮祭に近いですし、来年以降「寮祭企画『エクストリーム官僚』」として恒例行事化してもいいかもしれません。熊野寮官僚団が結成されるならちょっと見てみたいですし。