少子化は何故問題か? 世界の少子化と人口問題についての所感

少子化は何故問題か? 世界の少子化と人口問題についての所感

少子化と言われ始めて久しく、社会課題として良く対応策が議論されてもいる。しかし如何なる観点から少子化は「問題」だとされているのか?

 

経済への影響

 

・労働力不足と経済成長の鈍化:

生産年齢人口の減少は、労働力不足を招き、経済成長を鈍化させる恐れがある

 

・内需の低下:

人口減少により、食料、住宅、医療サービスなどの需要が減少し、内需が縮小する

 

・企業の投資意欲の低下:

国内市場の縮小に伴い、企業が国内への投資を控え、雇用が減少する可能性がある

 

社会保障への影響

 

・社会保障制度の維持困難:

年金、医療、介護などの社会保障制度は現役世代の負担で成り立っているが、少子化により支える側の人口が減るため、制度の維持が困難になる

 

・現役世代の負担増加:

高齢者を支える現役世代の負担が、相対的に増加する

 

 

他にも細かな指摘はある様だがマスメディアで少子化が問題となる根拠として言及されるものとしては上記二点、「経済への影響」と「社会保障への影響」が主たるものだと言って良い。要するに「貧乏になりまっせ、それは駄目やし嫌やんね」と言う事でありつまり国家財政上「損」になるから少子化は社会問題であり対策が必要だね、と言うこの様な話なのである。

そしてこの国家財政上「損」になるから、と言うロジックは日本に限らずどこの国についても適用できるつまり世論の一致する所であり、それ故に他の多くの同じく少子化に直面している国でもそれは「国政上の課題として認識され取り沙汰される」事になるのだろうしそうなっている。

 

 

少子化を巡る各国単位での議論から離れて、人類社会全体にとって少子化の持つ意味を考えてみよう。

世界人口は現在約80億人とされており国連の推計によると今後更に100億人前後まで増加(少子化しているのはいわゆる先進国でアフリカ等ではまだ増えている為)した後ピークアウトして減少に転じる、と予測されている。世界的にはまだ少子化はしておらず人口は増えている訳だ。

で、私は気候変動問題に関心を持っているが、地球環境保護の観点から言えば「環境に負荷を掛け気候変動等を引き起こしているのは人間であり、人間の数を真っ先に減らすべきである」みたいな過激な議論があったり、「先進国で生活する人間はその一生涯に排出する温室効果ガスの量が極めて多い、なので気候変動問題を考えれば特に先進国の若い世代は子供を余り作らない方が良い」みたいな気候科学者により書かれた論文が10年程前に国際的に話題になっていたりする。

気候変動は現在国際社会にとって喫緊の社会課題の一つである訳だが、その観点から言うと地球人口に関しては「ちょっと多過ぎるよね、もうあまり増えない方が良いかな」と言う話が良く聞かれる、と言う訳である。

逆に「人類社会全体にとって人口は更に増えた方が良い」と言う類いの議論はあるか?ほぼ無いだろう。「人口を増やせ」と言う議論はあってもそれらは人類社会全体に係るものではなく上述した様な「自国の社会経済にとって……」と言うものや「優れた能力や遺伝子を持った人間を増やすことで云々……」と言った、あくまである特定の範囲やカテゴリーの人間に係るものである。

つまり、少子化を「人類にとって」と言う視点から考える場合には、それが問題であると捉える論拠は中々見当たらず、寧ろ望ましいと捉える議論の方が優勢なのではないか、と言う事である。損得計算上必ずしも「損」にはならんよね、と言う話であり、ここに「各国単位で見れば損であると合意されるが人類社会全体からすれば寧ろ……」と言う、現代の少子化を巡る議論の二律背反的状況があるのである。

 

こう考えて来ると、今少子化と言う事態を考える際に私達は単なる損得計算以前に先ず「大義」について議論した方が良いだろう。少子化は何故問題か?各国単位で見れば問題かも知れない、しかしそもそもそれを各国単位で考える事にどんな大義を設定できるだろうか?自国の少子化は問題だ、自らの社会は安定した豊かで幸せな社会であって欲しいからだ、それが大義である、人類社会全体にとって云々はどうでも良いとまでは言わずとも二の次である………、と言うのでは中々難しいだろう、各国で右傾化が生じている一方で人々の帰属意識が国民国家へのものから世界市民的な方向に本音ベースではシフトして来ているのも昨今の事情だからである。

だとすれば少子化・人口問題を考える際にも、人類社会にとってそれは問題か?問題であるとすればそれはどんな大義からか?問題でないとする大義は何か?と言うところから議論しないと、自国にとってと言う前提自体が余り芯を食っていないので皆あまり興味を持てない。

 

少子化についての議論を、それが社会課題であるかどうかはさて置き単純に話題として今人々の心を捉える様な哲学的にも「面白い」ものにしたいのなら、人類社会にとってと言う切り口から論じるべきだし、現在各国単位で問題化されている少子化が人類全体にとっての課題だと今後捉えられる事があればそれは各国政府を超えた国連の様な政治体において議題化されるだろうしそうすべきだろう。そうなるまでの間は、少子化を巡る議論は上述の理由から「各国単位では政治課題化するが人々がその問題性を本音のレベルで感じる事は殆ど無くまた生殖と言う事象に国が介入する事の倫理的な難しさとも相まって実効的な対策が打たれる事は無いまま上滑りし続ける」と言う微妙な状態が続くだろう。

 

そして、その様な現状において先進国間で今生じているのは「自国民に「子供を作ろう」と感じさせられたり他国からの移住者を惹き付けられる様な社会としての総合的な力や魅力を持った国家は少子化・人口減を避けるか少なくとも緩和しそうでない国家は人口減を避けられずゆっくりと国力を衰退させて行く国家間の静かな生存競争」である、と言うのがここ数年来の私の認識である。

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