5.奪われた大学生活
編集 たつきぃ
2020年、新型コロナウイルスが全世界に蔓延し、我々大学生も外出自粛を余儀なくされることとなった。特に2020年度に入学した学生にとっては、本来春から行われるはずだった対面授業も全面的にオンライン授業に移行し、思い描いていた大学生活とはかけ離れたものになってしまった。もちろん、このような状況下で令和2年度の大学1回生が失ってしまったものは決して少なくない。
入学式の中止、対面授業・サークル活動の制限
2020年春、京都大学の合格発表と同時に、京都大学の令和2年度の入学式の中止が発表された。各人が合格の喜びに浸る中で入学式中止が発表され、複雑な感情を覚えつつも、当時は「仕方ない」という声が多かったようである。
入学式中止はなんとなくそうなるとは思ってたけどちょっと残念
— Tais (@rum_pirates_ku) March 10, 2020
しかし、中止になったイベントは入学式だけではない。新入生が最初に友人を作る機会となる対面での新入生歓迎会も軒並み自粛することになった。その代わりにオンラインによる新入生歓迎会が行われたが、対面による歓迎会よりも参加するハードルは上がってしまったようである。
先輩と交流したいし新歓にはいきたいけれども、オンライン新歓は絶対にいきたくない
— かずき (@zaijingda_kzk) September 16, 2020
新入生歓迎会中止に加えて、京都大学ではコロナウイルスの蔓延を防ぐべく、ほとんどの授業がオンライン授業に移行した。対面授業やサークル活動は、学生が会話などを通じて友人と交流を深める機会の1つだ。もちろん、オンライン授業中の交流が完全に無かったというわけではない。ブレイクアウトルームという機能によって短時間の交流が設けられた授業もあった。しかし、授業時間外でこのような交流の時間をとることは簡単ではなく、例年よりも友人を作ることが難しくなっている。
また、対面授業は本来の大学生の日常の一部であり、その大学の教授と関わる場の一つでもある。もちろんオンライン授業にはオンライン授業ならではの魅力があるが、やはり対面授業では教授の話を直接聞くことができ、教授の伝えたいことや研究に対する熱意などがより伝わりやすくなるなどの大きなメリットがある。SNS上でも、オンライン授業が中心であった前期は、対面授業の再開を望む声が見られた。
前期最後の授業でちょっと時間に余裕ができたから教授が自身の専門分野についての話をしてくれた
そういう話を聞けたのはやはり面白く大学の講義の醍醐味って感じがしたし、何より専門分野について語る教授がとても楽しそうだったのが画面越しに伝わってきて
せめて後期は対面授業を受けれたらと思った— “タカシ” (@Taco_Taco15) July 30, 2020
一方で、先ほど言及したようにサークルの活動・勧誘が制限され、今年1年間サークルに入らなかったという人もいるようである。3章でも言及したことではあるが、先日、Twitter上でサークル活動に関するアンケートをとった。
1回生をつなげる会
@2020tunagerukai ·2021年3月3日 【コロナ禍での京大1回生の記録】 @京大1回生 2021年3月時点で、あなたはサークルに所属していますか? ・所属している(62.7%) ・所属していない(37.3%) 計 394票 |
1回生をつなげる会
@2020tunagerukai ·2021年3月3日 【コロナ禍での京大1回生の記録】 @サークルに所属している京大1回生 サークルにどの程度参加していますか? ・ほぼ毎回参加している(33.2%) ・数回に一回は参加している(20.6%) ・大事な会合には顔を出すようにしている(8.5%) ・籍だけ置いている(37.7%) 計 199票 |
1回生をつなげる会
@2020tunagerukai ·2021年3月3日 【コロナ禍での京大1回生の記録】 @サークルに所属していない京大1回生 サークルに入らない理由を教えてください ・新歓で雰囲気を確かめられなかったから(41%) ・コロナ禍で活動がないから(20.1%) ・その他(27.8%) ・そもそも入る気がない(11.1%) 計 144票 |
先に述べたように、サークルに所属している1回生の割合は62.7%であり、「新歓のオンライン化」がハードルになっていたことを鑑みると、今年の1回生が積極的にサークルや部活動に参加し、つながりを求めていたことがわかる。しかしあえて見方を変えると、令和2年度1回生のうち、サークル活動に数回に1回以上は参加しているのは全体の33.7%となっていることが分かる。実際、オンライン授業になったことで実家に留まる学生も多く、サークル活動への積極的な参加が困難になっている学生も少なくない。また、参加しない理由についても「新歓で雰囲気を確かめられなかったから」「コロナ禍で活動がないから」といった理由が合わせて6割を占めており、コロナ禍が少なからずサークルの加入率に影響を与えていることがわかる。
一部の大学生の孤立が進行していたし、そうでなくとも、今年度はSNSによる、「実体のないつながり」が多くみられた。特に、「同回生だし、インターネット上でも関わったことがあるけど実際には会ったことが無い」という特殊な関係性が散見された。
#大学生の日常も大事だ
2020年4月上旬、緊急事態宣言が発令され、大学生のみならず日本中の人々が外出を自粛するようになった。その後緊急事態宣言が解除され、社会が元通りの日常を取り戻しつつあったのだが、大学だけは対面授業を再開しなかった。このような現状に耐えかねて、「#大学生の日常も大事だ」というハッシュタグが用いられるようになった。私たちの大学でもそれは例外ではなく、自分たちの現状の改善を訴える声もあった。
(匿名希望)
消化するだけのオンライン授業と終わらない課題に追われ、友達もできないし遊びにも行けないし大学にも行けずサークルも入れない。家族には家におるんやから楽やろと思われてちょっとは外に出たらどうやとか言われる。好きで家にこもってるわけじゃないのに… #大学生の日常も大事だ |
元通りの学生生活を取り戻したいと願うのはもちろんのこと、私たちが決して楽な状況でないということを訴える投稿も見られた。事実、世間の大学生に対する認識と現実とは幾分かの差異がある。大学生にとっての日常を取り戻すことにおいて、私たち大学生の具体的な状況がより認識される必要があるように思われた。
#コロナが無かったらこれをしたかった
続いて、「#コロナが無かったらこれをしたかった」というハッシュタグを取り上げる。大学生1回生には多かれ少なかれ、入学前に想像していた、「大学生になったらやりたかったこと」があると思われる。しかし、コロナ渦によって数多くの学生がこれを実現する機会を奪われることとなった。このハッシュタグでは、そんな大学生たちの「やりたかったこと」を募集したものである。
#コロナが無かったらこれがしたかった
サークル、読書会、自主ゼミ、旅行、徹マン、大学生らしいことをなんでもやりたかった。— あづま (@azma_haiku) February 10, 2021
この投稿者のように「大学生にとっての当たり前の日常を送ること」を願う人もいれば、他にも「自分が独自にやりたかったこと」を綴る人もいた。
私たちが各々のやりたかったことを実現できなかったのはとても悲しいことではあるが、コロナ渦を終息させるためには仕方のないことで、誰も責めることはできない。しかし、各々には元々「大学でやりたかったこと」があって、それを叶えることができなかった人々も少なからずいるということは、2020年度1回生を語る上で軽視することはできないのである。
「京大文化」の断絶
コロナ渦で授業やサークル活動がオンライン中心になったことにより、学生が大学に足を踏み入れる機会が激減することになった。これに関して、上回生も危機感を抱いているようである。
#上回生・1回生に期待するもの
京大ではふんわりと受け継がれてきた文化や学風みたいなものがあると思う。大学側のことを「当局」と呼ぶ事やILASの事を「KKK」と呼んでいるの何かも毎年自然発生しているわけではなく、学部やサークルみたいにいろいろなところで受け継がれてきた文化やと思う。— かといつ (@katoishu) December 30, 2020
こうした些細な京大生言葉みたいなものも含めて学生で受け継がれている雰囲気みたいなものを次の世代にも残してほしいなと思う。今年の上回がもっと意識的に受け継がなければいけなかったのだけれど。
— かといつ (@katoishu) December 30, 2020
確かに私たち1回生は、個性的な学生が活動する京都大学の空気を肌で感じることができず、1回生と上回生との交流が少なくなった。結果として、私たち1回生の多くが連綿と受け継がれてきた文化を知らないまま、2回生になろうとしている。日本の伝統文化と同様に大学にも、独自の「守りたい文化」がある。京都大学の文化を絶やさないためにも、我々1回生どうし、および上回生とのより積極的な交流が求められる。
「コロナ禍」を生きた私たちの世代
2021年、京都大学は令和3年度新入生に対して入学式を挙行するだけでなく、私たち令和2年度入学者に対しても入学式を実施することを発表した。さらに、対面授業も昨年度よりも増加することが発表された。コロナ渦が収束に向かい、大学生も元通りの日常を取り戻しつつあり、これに関してはとても喜ばしいことである。
しかし、これにより「大学1回生としての1年間」を失ったのは私たちの世代だけとなってしまった。他のどの学年・世代とも「失われた大学1回生としての1年」の話題を共有することができず、孤立した世代となった。自分たち「令和2年度1回生」のコロナ禍での生活は、決して「寂しかった、つらかった」といった単純な言葉ではまとめることはできない。私たちがコロナ禍を生きた中での各々の事実が風化することなく、多くの人々に理解して頂けることを切に願うばかりである。