小説「手」

小説「手」
書いたひと: COLOR pencils

「手」

 原作 ヨシダガンジ/おにもつ/Dali/つばくら 編纂 北野清子

 

 

僕は、人間の選別を始めた。
こいつは、いつも的外れなことを言って、僕の思考を妨害する。無能である。害悪である。蓄積された鬱憤を指先に込めてこいつを押し潰し、ぐしゃぐしゃに丸めて棄ててやった。
次のこいつは、この前多くの人の面前で、僕を議論で打ち負かした。屈辱であった。悪夢であった。忌々しい記憶を抹消するべく、こいつを引き裂き、こなごなにして棄ててやった。
僕はこの世界の超越者である。人間を手のひらに乗せて観察する。人間たちは、二次元に押し込まれた薄っぺらい存在でしかない。三次元の僕の手は、容易にこれをひねり潰すことができる。
次に手に取ったのは見るに醜悪な人間であった。こいつは、常にあらゆる類の欲望に囚われ、自らの意志を持たず、ただ人の顔色を窺って暮らしている。高尚なことを考えているふりをしているが、自発的に思考をしたことがない。卑屈さと陰湿さを、謙虚という仮面で隠している。そんなことを僕は一瞬のうちに悟った。こいつを無造作につまみ上げると、なぜか鈍い痛みを感じた。けれども、苛烈な嫌悪感に比べれば、物の数ではなかった。僕はこいつを引きちぎった。
そこで世界は途切れ、崩壊した。彼は神ではなかった。

おっと、またやってしまった。俺の悪いくせだ。
せっかく、学生さんが話してくれているというのに、俺は何をまたばかなことを考えている。
我に返った東出勝は、急いで真面目そうな顔をした女子学生に相槌を打った。
「そうなんですね」
今年から新卒人事担当になった彼は、今年の採用面接の真っ最中である。

俺はつくづく、自分にこの仕事にむいていない。誰か、俺を引きちぎってくれないかな。
そんなこと、今目の前にいる学生たちに悟られたらおしまいなのだが、ちゃんとやろうと思えば思うほど、思わないではいられなくなる。
会社自体は嫌いではない。学生とのコミュニケーションもどちらかというと好きな方だ。
しかし、一番の問題は、自分で自分を嫌いであるということだ。しかも、大が5つほど付くほどに。
自分に自信がないのに、どうして、人を評価し、選別することができるというのだろう。
彼は、はぁ…とため息をつきそうになるのをぐっとこらえ、真面目そうな女子学生の、どこかで聞いたことありそうな話に戻って行った。

 

私は人事という仕事に誇りを持っている。
たくさんのエントリーシートの中から我が社にふさわしい人材を見つけ出し、その他を容赦なくふるい落とす。それが人事である私の務めである。
昨年採用したのはいかにも真面目そうな若者だった。まっすぐな目で我が社に入社したい理由を語ってくれた。一昨年は実直で自分にプライドを持っている学生であった。今では常に虚ろな目で深夜まで身を粉にして働いているが。精神が擦り潰れきってようやく社会人として一人前になれるのだ。どれだけ新入社員が潰れても我が社のブランドと年収のおかげだろう、入社を希望する学生は後を絶たない。潰れても来年また新しいのを選りすぐって補給すればいいだけだ。簡単な話である。
私は人事という仕事に誇りを持っている。

田畑つくるは、今、目の前でおこっている出来事を見ながら、こんなことを考えていた。
彼の前には、人事担当の一人の男がいる。その男は、何かをつまみあげたような恰好をした自分の右手を、じっと見つめている。彼の横では、真面目そうな女子学生が、どこかできいたことがあるような会社の志望理由を真面目そうに話している。
あいつ、聞いてないな。
正直、つくるは、この会社に入る気なんてさらさらなかった。
なんとなく3年生になると、就活の空気が漂い始め、周りの友達もそれを話題にすることが多くなってくる。
彼もまさしく、その流れにのっただけの人間で、実際、つくるには全く会社で働く気がなかった。
大学にはいってからというものの、一体、オレは何を学んだというのだろう。
周りの空気にあわせ、なんとなくサークルに入り、単位を集め、就活をし、結局、その後もなんとなく周りにあわせて、働いて結婚して…
そんなんで、本当にいいんだろうか?
隣では、まだ、真面目そうな女子学生が、今度はどこかで聞いたことあるような大学で頑張ってきたことについて、真面目そうに話している。先ほどの人事は、今度はちゃんと話を聞いている。
やっぱり、もう一回、考え直そう。
そう思ったつくるは、隣の面接をBGMに、これからの将来について真剣に考え始めた。
ちょっと、帰り百万遍手作り市にでもよって、自分の好きそうなもの見つけてみるか。

 

むかしむかし、ある村に、アダムという少年が住んでおりました。アダムは代々続く鍛冶屋の跡取り息子で、鋏、閂、蝶番、鎖帷子、その他さまざまなものをつくっていました。アダムの父親は事故で両手を失い、母親も結核で、アダム一家は高額の医療費と住民税に苦しんでいましたが、それでも幸せに暮らしていました。
ある日のこと、アダムが鍛冶場で働いていると、道端からふとこんな会話が聞こえてきました。
「今月でもう10人目だってよ」
「不景気だからな。まったく見えざる手ってやつは」
アダムは不思議に思い、あとで父親に聞いてみました。
「ねぇねぇ、見えざる手ってなに?」
「景気が悪くなるとな、山奥に入ったっきり帰ってこなくなる村人が出てくるのさ。伝説ではあの山のどこかに大きな手が生えていて、村人をすりつぶしてしまうらしい。だけど誰もその姿を見たものはないから、見えざる手と呼ばれているんだよ」
それを聞いたアダムは、さっそく隣の家に住んでいたマルクスおじさんのところに行き、こう聞きました。
「ねぇねぇマルクスおじさん、あの山には見えざる手が生えてるって本当?」
「うむ、確かにあの山には見えざる手が生えておる。貧しい者は夢の中であの手においでおいでをされ、ふらふらとついていったら最後、決して戻ってはこれないのだ」
「じゃあどうすればいいの?」
「そうだな、村人全員で武器を取り、あの見えざる手に立ち向かうとよいだろう」
なるほどと思ったアダムは、さらに隣の家に住んでいたケインズおじさんのところに行き、こう聞きました。
「ねぇケインズおじさん、見えざる手を武器で倒せるって本当?」
「いや、武器といってもこの村には鎌や鎚しかない。それよりもっといい方法があるぞ。それは鍬だ。鍬で山を削れば、見えざる手だって倒せるはずだ」
これももっともな意見だと思ったアダムは、村長に会い、2人の考えを伝えました。すると村長も納得し、次のような命令を出しました。
「村人が見えざる手に苦しんでいる。全員で右手に武器を、左手に鍬を持ち、山に行け」
実際に村人が山に入ると、どこにも手は見あたりませんでした。しかしそこらじゅうの地面を削り、道を作り、ダムを作り、丸太を伐り出していると、なんということでしょう、村人たちは急に元気になったのでした。
「わーい、これで解決だ」
村人たちはみんな大喜びです。せっかくなので村長も多額の借金をして、村人に給料を払い、盛大な宴を開きました。
それからのち、10年もすると再び村人がおいでおいでをされるようになりましたが、その度に村人全員で山に出かけ、地面を平らにするのでした。
「はっはっは、これでもう村は安泰だ」
村長はそう言って、さらに2倍、3倍の借金をしていくのでした。
めでたし、めでたし。

「あ、たばたつくるの新作が出てるよ!」
「ほんとだ、俺、結構たばたつくる好きなんだよね、なんか子供向けそうだけど、風刺がきいてるっていうか。」
「わかる、ちょっと星新一的な感じだよね。わたしは、33匹の子ぶたが一番好きだった」

 

展示解説《手》
シュルレアリスムの画家 J. Yamsky(1874 –1937)の晩年の作品。
1937 年夏のジュネーヴ滞在中の 2 ヵ月間で制作されたとも、その前年にパリで開かれた個展の昼休みの 2 時間で描かれたとも、死去する前日にアトリエ近くの喫茶店のコースターの裏に20秒で走り描きしたともされる。
(なお Yamsky の死は、1937 年夏のジュネーヴ滞在中に深酒を習慣とするようになったからとも、その前年にパリで開かれた個展が〈物理的に〉炎上した騒動の憂鬱からとも、死去する前日にアトリエ近くの喫茶店で信奉者と名乗る男に銃撃されたからともされる。)
明快な描線、そして意味がありげながら意味がなさげである主題といった特徴を顕著に示す Yamsky 晩期の代表作とよびうる作品である。
近年までその存在は知られておらず、彼の書き残した構想ノートとともに百万遍手づくり市で売りに出されていたところを発見された。そもそも Yamsky という画家は、この作品が彼の書き残した構想ノートとともに百万遍手づくり市で売りに出されるまで、その存在を誰にも知られていなかった。
一般公開は今回が初。

 

おしまい


 

この作品は以下の企画から発想を得てつくられたものです。

過程が気になる人はぜひ、読んでみてくださいね。

https://senmanben.com/20210209/1988/

https://senmanben.com/20210117/1164/

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