京都の文化が死ぬ日

京都の文化が死ぬ日

 こんにちは京都大学東京大学同好会の会長です。最近、ペンは剣よりも強しという言葉の由来を知って驚きました。あれは直接的な暴力よりも、権力者が書類上でサインするだけで暴力を鎮圧できる的な意味らしいですね。今までこの同好会は言論によって京都大学や文科省の政策を批判して世論を動かそうというつもりで来たのですが、やっぱり権力には勝てないのかもしれませんね。とは言え、国民主権が保証されている民主主義社会においては社会に物申す権利というのが平等に存在します。様々な運動(最近だと検察庁とか入試改革とか)が政府の一方的な政策を変えてきたように、批評活動というのはある程度報われることもあります。つまり諦めたらそこで終わりってことですね。ということでここからしばらく何本か投稿していきます。

 さて今回のテーマですが、題名通り京都の文化が死ぬ日です。もうご存知の方は多いと思いますが、京都市いきいき市民活動センターという一時間100円で部屋を借りられる京都市のサービスが来年から600円になります。議決されたかどうかは裏が取れていないのですが、多数派が提起した議案なので、恐らく京都市議会の会期末に通ったのではないでしょうか(確認出来次第追記します)。このいきいきセンターというのは、誰でも借りられる部屋です。借りる人の多くは劇団や合唱やダンスなど、文化芸術活動に関わる人たちで、大人や子供、学生や社会人など多くの人が利用しています。言わば京都の文化の根底を担っている施設と言えるわけです。また、地域のコミュニティの拠点であり、交流の活性化に寄与するなど京都を形作る上で重要な役割を果しています。

 ではそもそもなぜ値上げするのかと言いますと、単純に京都市の財政状況が厳しいからです。赤字と借金だらけです。これをどうにかするための京都市は様々な事業の見直しをしていて、いきいきセンターもその対象となったのです。撤去された自転車の返還費用も値上げするという話という話も最近ありましたがこれとも関連しています。ここまで追い詰められている京都市ですが、この赤字というのは実は全国の自治体でも同じ悩みを抱えているのです。最近の原因はもちろん新型コロナウイルスによる影響ですが、今より30年ほど前の日米構造協議というのが自治体の赤字を作った直接の原因です。この日米構造協議というのは、酷い言い方をしますと日本との貿易が赤字続きだったアメリカが、外交的な圧力をかけて日本の社会構造を変えてアメリカが儲けやすくして、日本に無駄金を使わせようという何とも暴力的なお話し合いでした。この協議の結果、日本は公共事業に600兆円を使うということになり、何に使うと決められたわけでもなく600兆円を使うことのみが決められました。これを計画中の新幹線の建設などに費やしていればまた日本経済も変わったかもしれませんが、日本政府はなんとこれの使い道を各自治体に任せました。政府の公共事業なら国債発行などでやるのですが、自治体の場合は地方債の発行でやることになります。そしてこの地方債の利息は地方交付税交付金で賄うということになりました。そして各自治体は公共事業を始めるわけですが、誰が使うかわからない第三セクターの施設など、利用者が見込めない・地域の活性化に使われるわけでもない・利益は当然上がらないというそんなものばかりが出来上がりました。ここで小泉政権期に地方交付税交付金の減額という追い討ちがかかり、各自治体は不良債権と化した公共事業の成れの果ての処理に追われ、巨額の赤字を抱えながら減った地方交付税交付金で賄えない利息をどうにか返してきました。こうして地方自治体は疲弊していき、今のような赤字体質がどこでも出来上がったのです。極端な話、アメリカとの文化絶滅戦争ですね。

 話をいきいきセンターに戻します。ここは料金を6倍にして、収益が改善するような施設ではありません。利用する人たちは決してお金の潤沢な人たちばかりではなく、そう言った人たちは利用しなくなるでしょう。利用客がおらず余計に収益が悪くなったいきいきセンターは2、3年で廃止となり、文化芸術活動や地域交流も衰退し、京都を支える人たちはみないなくなってしまうなんて未来は想像に難くありません。実際十年以上前に他の公共施設を値上げしたら利用者が激減して、演劇関係者がごっそり減ったという話があります。単純な収益の話をするならば、利用率を上げるために広報活動を盛んにし、拠点になることを内外に広く知らしめることである程度は改善するでしょう。ですが、文化芸術活動や地域交流というのは果たして単純な市の収益の為にやるものでしょうか。収益化できない活動を排除していって後に何が残るのでしょうか。公共施設を格安で利用できるようにするというサービスは市民の文化活動を支えるという重要な役割を担っているのです。市議会議員の方々にはもう一度よく考えてもらいたいものです。

 今すぐにでも国は地方自治体の福祉の維持のために地方交付税の増額などの措置を講じなければ、全国的に文化の担い手が減っていくのは間違い無いでしょう。この問題は京都市だけの話ではなく、政府の政策とも関わってくる全国的な問題です。我々はこの事態を引き起こしたと言える日米構造協議やその後の日本のあり方などについても深く考える必要があるのではないでしょうか。目先の利益に囚われて長期的な利益について、もっと言うと公益について考えなけらば今後日本の文化はどんどん衰退していくばかりではないでしょうか。今回はここで終わりです。読んでいただきありがとうございました。