妛彁

妛彁

年末だ。部屋を掃除していると、昔読んだ小説が出てきた。ぼんやりとストーリーは覚えているし、心を動かされたことは覚えている。しかし当時何を感じて心がどう動いたのか、その仔細な機微の感覚はすっかり忘れてしまっていた。

小説を読んだ後の、浮足立った生々しいあの感覚。色んな思いが駆け巡って胸がじーんとする感覚。世界が何百倍にも膨れ上がったかと錯覚してしまうような感覚。居ても立っても居られなくなって誰でもいいから感想を伝えないと落ち着かなくなるあの感覚。忘れないうちにその場で文字に起こすべきだと思った。あとで振り返ったときにウケるから。

初読のときの新鮮で、それでいてちょっぴり痛々しいあの感覚は、時間がたてばいとも容易く忘れさられてしまう。掬い上げた砂が指の間から零れ落ちるように。

読み終えた直後の、その瞬間の感情こそが、大事なものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

旅で感じた鮮やかな経験は、時間が経つにつれて恣意的に切り取られ、要点だけを残し、額縁に入れられる。そこに確かにあったはずのどろりとした感情や、パッとしない出来事たちは無意識のうちに全て捨象されてしまう。

来客の際に、「昔あんなことがあってな…」と心の底に仕舞っていた額縁を取り出し、ホコリを掃いながら披露する。額縁の中には、どこかで聞いたことがある筋書き、大衆が咀嚼しやすいようにかみ砕かれた論理性、寓話顔負けの教訓などがわかりやすく描かれている。しかし、確かに存在したはずの感情や、本題とは何ら関わりがないように思える出来事は捨象されている。ディレクターによる「この物語はこういう結論を出すんだ」という結論ありきの作為的な切り取り。本来あったはずの輝きを無視していることに無自覚のまま、これが全てだと額縁の中身をエピソードトークとして嬉々として話す。それでいいのだろうか。

その時感じた、生のデータを残さなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

大事な人のことを憎むべき対象だと自分に言い聞かせて距離を取ったり、機械的に相手をシャットアウトして視界の外に出せば即物的に楽になれるだろう。 でもな、「大事だったはずの人を憎んだり、はじめから無かったことにする」ってのはなによりも辛いんだ

「忘れたほうがいい。」「あいつは最初からああいう奴だったんだ。」「縁がなかっただけ。」

月並みな甘言を巧みに繰り出し自分を騙し、ほんとうに大事だったはずの人のことを一生憎みながら生きている人にしかわからない、心を貫く棘の感覚

棘を抜こうと足掻き、例え血を垂れ流し心や体がボロボロになったとしても、自分を騙し、確かに存在したはずの感情をなかったことにする苦しみに比べれば屁でもない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

私は元来口語でのコミュニケーションが得意ではない。頭で何かを思いついても、それを「体系的に整理する能力」、「言語化してほかの人間に伝える能力」がなかった。会話の途中で訳がわからなくなった挙句、笑みを浮かべて回りに合わせるほかない場面は日常茶飯事だった。

しかしながらここ三年くらいで状況が大きく変わった。時々千万遍に載せるための文章を書くことで、ゆっくりではあるが確実に、自分の思考を体系的に整理することができるようになった。
また言論偏重の環境にしばらく置かれ、環境に適応したことで口が達者になった。つまり「会話内」という極めて即座的なレスポンスが求められる場面において、短い時間で自分の思考を(聞く耳を持とうと思える最低限度の水準で)言語化することができるようになった。

つまり、ここ三年間くらいで思考を体系化する能力を得ると同時に言語化のスピードが爆増し、会話らしき体裁のものができるようになったのだ。

しかし、元来得意ではないことをしているためだろうか。人と会話することは実はとても疲れるという事実にはうすうす気づいていた。また、会話ではさほど大したものが得られないことにも勘づいていた。

そして最近、自分の思考をまとめるには他人と会話するよりも、文をしたためる方が効率的であるという結論にたどり着いた。文章だと「時間を遡れる」という要因が大きいだろう。会話と違い、いつでもどこでも自分の過去の思考を参照することができるというのは、思考を練り上げていくうえで非常に効果的である。


これらが私が会話を放棄した理由であり、主戦場を文章に移す決断を下した原動力である。
私にすべてを与えてくれたみんなには本当に感謝しかない。ありがとう。

他にももっと理由はあるだろ!!泥臭くて、自分本位で、我儘だったのを忘れたのか?

俺たちを捨てて美談に仕立てあげるな!額縁たたき割るぞクソアマが

 

 

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2022 その2の23日目の記事です。