寒すぎんだろフザケんな

寒すぎんだろフザケんな

最近の京都はさすがに寒すぎんだろフザケんな、いいかげんにしてくれ。赤井川のアドカレ記事がとても素敵でなんだか圧倒された。触発されて溢れ出てきた勢いをここに流し込んでおきたい。防寒について、それから「女の子らしさ」について。私のこのイラつきはきっと進歩なのだという話を始めたい。そして人をあたためるのは難しいという話に帰したい。

香川県に生まれ育った。寒さにへっちゃらな子だった。いつも年末には、しもやけで指をパンパンに膨らませて、春には手足を萎びた茄子みたいにさせていた。土地柄、そこまで寒かったはずはないのだが、防寒具が鬱陶しかったのだと思う。マフラーも手ぶくろもカイロも持たなかった。親には愛されていたはずなので、当然に買い与えてくれていただろうと思う。たぶん私が嫌がっていたのだ。たんなるかっこつけなのか、不自由さからの逃走なのか、たぶん嫌がっていたのだ。でも、記憶に正直に述べることが許されるなら、私は寒さをしのぐ術を知らずにいたのだった。耐えるとか体を動かすとか以外に、防寒の方策があるなんて思いもよらなかったのだ。小学校ではスポ少の野球をしていたので、土日は外で走り回ることになる。へっちゃらな顔して、人より1枚薄着で過ごしていたような気がする。他の子の保護者から、あんたはいつも寒そやねえと言われていたのを今になって思い出す。

そういえば当時、女の子のなかで仲間はずれにされていた、そんなような時期があった。こちらの性格にも問題があったのだ、たぶん。でも、ちゃんと見るのはちょっと怖いからまだ蓋をしている。外縁だけ述べておく。私は成績が良かったのでよく褒められていたし、ピアノを習わせてもらっていたので国歌・校歌の伴奏とかしてたし、野球をしてたので男の子たちと仲が良かったし、よく分からないけれど、そういう奴って田舎の公立小学校では目立つのだ。仲良くしてくれる人はたくさんいた。ただ、とある女の子の集団にすこぶる嫌われていたらしい。私も私で、その子らを見下していた節がある。とにかく、そのクラスの女の子らが心底苦手だった。怖かった。頭が悪くて、力が弱くて、そのくせ乱暴なこともできて、いつも群れていて、ずるくって、泣き虫で、嘘つき。当時、自分の身の回りにいる女の子がそう見えた。自分がおんなじ女の子であるのがとても嫌だった。

アニメやドラマに登場する女の子の「女の子らしい」装いに、その嫌な部分が詰まっているように感じていた。スカート、パステルカラー、ネイル、ロングヘアー、アクセサリー、ヒール、媚びるような上目遣い、「かっこいい先輩」の活躍を祈る健気な応援、子供や動物に向ける優しい笑顔、全部、全部、全部。野球で走り回っていた私とは違って色が白くて、目がぱっちりしていて、髪が長くてさらさらで、いつもスカートを履いている女の子たち。どれも妙に憎たらしかった。私はマイメロのペンケースも、メゾピアノのスカートも、手にできなかった。好きではあったのだ、きっと。憧れてはいたのだ、きっと。でもそれを手にすることによって自分が「女の子らしさ」を見に纏うことに、女の子の嫌なところを含めて体現することに耐えられなかったのだと思う。「女の子らしい」ものを身につけると、非力や狡さを己の性質として誇示することになる、そう信じ込んでいたのだと思う。

中学生になっても、アニメやドラマといった視覚的なエンタメがあまり好きではなかった。小説から妄想を膨らませているほうがよっぽど安全だった。人間じゃなく機械の歌う曲の方が、耳に優しく響いた。生身の人間をアイドルとかに仕立て上げて熱狂する人間はばかに違いないと思っていた。イマジナリーなものの方が美しいに決まってる。想像力は無限でしょ。頭の中でなら、いくらだって理想通りの自己像を身に纏える。いくらだって思い通りに他人像を創れる。現実が敵うわけがない。

中学3年のあの道徳の時間、世界が変わった。衝撃を受けた。それはもうすごい衝撃だった。世界が一変した。体育館に学年が集まって、クラスの背の順に並んで、とある映像を見た。私が生まれるより昔に、とあるチャリティーの企画で実現したエンタメ作品だった。たくさんの人間が、歌っていた。その中に、めちゃくちゃに美しい人がいた。画面にその人が映った瞬間、人間の完成形がそこに降り立ったかのような存在感があった。圧倒的に何か格の違いのような者が感じられて、でも私の全てを許してもらえるような包容力と幸福感があった。うまく言えない。とにかく、とんでもない出会いだった。初めて、人間の造形に美しさを感じた。以来、それまで靄がかかっていた周りの人間たちの輪郭や目鼻立ちが急にはっきりして、声が情報ではなく音色として聞こえるようになった。人間の顔や体ってもしかしたら見て楽しいかもしれない。生身の人間の持つ限界も現実味を帯びた愛らしさに思えるようになった。世界が一変する体験だった。

あまりにも大事な思い出だから、それが誰だったかは内緒にする。とにかくそこから拙いながら検索をかけ、どうにかこうにか行き着いたのが日本の女性アーティスト、Perfumeと椎名林檎だった。経緯も構造もよく分からないままだけれど、「女の子らしさ」を嫌悪していた私が、彼女たちに惚れて救われたことだけは確かだった。女性的な身体の美しさを極めると、こんなにもかっこよく見えるのだ、こんなにも包容力があってこんなにも可愛らしさがあって、しかもそれは弱さに結びつくわけではなく、努力や意志に裏打ちされた強い女性らしさに。こんな美しいものが存在するのかと、どうしようもなく惚れた。ここでやっと、私の拗らせが解体され始めた気がする。女性的な装いそのものと、「女の子らしさ」の名の下で私がまとめていた性質と、人間的に素敵かどうかは、どれも、別々のものであった。とっても女の子らしい、むしろそれを武器にしているほどに女性、なのにかっこいい人間が実在すると知った。高校に上がった頃の話である。このあとさまざまの要因などが絡まって、身体を見て楽しい対象、触って楽しい対象は女の子に寄っていった。触られるのごめんだ、男の体に用はねえ、と過激ぶった時期はまた別の話。とにかく、あまねく女の子を嫌っていたと思っていたのは私の勘違いで、かわいらしい格好をしていてもずるくない人はいるし、スカートを履いてたってかっこよくあれる。「女の子らしさ」に非力や狡さを勝手に付随して切り離せずにいた、自分を恥じた。みんながみんな、嫌な女の子なわけがなかった。

しかし自分に対しては、なかなか難しかった。自分で私服を選ぶ機会が増えてもスカートはなかなか履けなかった。女児の体に興奮する人の存在を私は経験していたし、あるいはおしゃれして許されるほど自分のことを可愛いと思えていなかったし、てか美咲って名前なんなんだよ生まれた瞬間名前負けの出オチじゃねえかって思ってたし、一緒に服を買いに行った親に色気付いていると思われるのが恥ずかしかったし、とにかくいろんな感情が無い混ぜになってスカートは履けなかった。いまだにこの反抗期は続いているかもしれない。

そういえば、女の子らしい服装ができないと同様に、いまだに防寒の仕方も知らなかった。ヒートテックやタイツを中に仕込むとか、セーターの中に何枚か重ねるとか、カイロをポケットに入れているとか、知らなかった。人間の服装として、Tシャツ、ジーンズ、上着、ランジェリーくらいは想像できる。でもそれ以上の見えないものを知らなかった。でも私に見えないだけでみんな、知らないところで暖かい格好をしていたらしい。それどこで教わったの、誰が教えてくれたの。外から見えないじゃん、誰も言わないじゃん。最近になって、防寒方法がたくさんあることに気づいて愕然とした。知らなかった。いやもしかしたら実際は、寒がるのはかっこわるいとか思って、防寒しなかったのかもしれない。でもとにかく、記憶に正直に述べるなら、知らなかった。めっちゃ寒かった。当時は分からなかったけど、私たぶんめっちゃ凍えていた。知らずにいるというのは恐ろしいことだ。

高校生になって、特に浪人期、たくさん本を読んだ。当時から哲学をやりたくて本を読んでいた。この頃やっと「女の子らしさ」という厄介なレッテルを私に植え付けたのってもしかしたら社会だったんじゃないか、とハッとする。え、私のこの憂鬱、もしかして私のせいではないんじゃないか。世間話とか創作物とか制度とかの中に、世の大人たちが作り上げてきた女の子のイメージを、私は内面化して勝手に苦しんでいたんじゃないか。全部、全部、全部、もしかして社会のせいなんじゃないか、と。もちろん私自身にも要因はあると思う。たかだか学校で測られる能力で得意気になって人を見下していたのは、私の性格の悪さだ。嫌悪感を被害者意識に着して説明してしまうのも、きっと浅はかだ。たんにメンズライクな装いが好きなだけなのかもしれないし、それは私の趣味にすぎない。そもそも私が勝手に問題化しているだけで、みんなもっと素直に生きているのであって、私の問題は私がなんとかすることで解決すべきかもしれない。感情が入り乱れて拮抗した。ただ、これって私のせいじゃないかも、と視界が開けた瞬間、ちゃんと怒れるようになったのだ。いいかげんにしてくれ。性別と装いと性格と、世の中いろいろ難しすぎんだろフザケんな、いいかげんにしてくれ。

裏口入学みたいなものでなんとか京都大学というところに滑り込んだ。人に優しくされてあたたかさを知った。比喩ではなく、物理的に温かさを知ったのである。待ち合わせ場所にあったかいココアを持ってきてくれた人がいた。一緒に出かけていて寒くなったからコンビニでカイロでも買おうと言ってくれた人がいた。その気遣い、お前どこで覚えてきたんだと思いながら、防寒の方法ってもしかすると学ぶものなのかもしれない、とかしみじみ思う。そして恐ろしくなる。防寒の方法を知らないと、人をあたためることもできないのだ。それで背筋の凍るような思いになる。今まで、私は、どれだけ、寒さに鈍感でいたのだろうか。私の寒さに、それのみじゃなく周りにいてくれてる人の寒さに。この冬、寮生を夜に連れ出す時には、あったかい格好しておいでと声をかけるようにした。聞かせてもらっていた話が長引いて凍えそうになったら、コンビニで肉まんを言った。でも、まだもっと、もっと、あるのだと思う。私が受け取っていたはずなのに気付いていない優しさが、そもそも私には思いつきもしない、足りない何かが、あるのだと思う。いや待て、そもそもあなたと私とを凍えさせる寒さ、そもそも私たちのせいじゃなくないか。あぶない、湿っぽく終わるところだった、全部、全部、全部、世界が悪いだろ、寒すぎんだろフザケんな。いいかげんにしてくれ。

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私の苦しみを開示したかったわけじゃない。ひとまず世界に怒っておくのも悪くないかもしれないという話、人をあたためるのは難しいという話。自分語りしつつも、禁断の魔法を使ってるわけなのである意味フィクションだ。でも何かしらを感じてるってことは嘘ではない。これにて終わり、文字ばっかり長文、読んでくれてありがとう。画像はpixabayから。