24時間大文字登山してみた

24時間大文字登山してみた

 

寮祭企画「1日1回大文字火床」などという頭の悪い企画がある。この企画は1日1回と銘打っておきながら1日に3回までは大文字火床まで登った回数がカウントされ寮祭期間10日間での上った総回数を競うので、近年は貴重な寮祭期間を大文字登山30回なぞで潰す愚かな人が続出している。

この企画には総回数部門,RTA部門などいくつかの部門が設けられていて、総回数部門ではただの暇人が、RTA部門では鹿なのではないかと疑われているオリエンテーリング走者が毎年優勝しているのだが、その中でも最も愚かな部門が、1日無限大文字部門である。因みに総回数部門の優勝者をただの暇人と呼んでしまったが、寒くて外に出るのが憚られる11月の、しかも魅力的な企画が沢山ある寮祭期間に10日間にわたり大文字に通って登り口から火床まで3往復するなどという奇行は常人には成し得ないものであり、その精神力は高く評価されるべきである。

話を戻して1日無限大文字。1日1回大文字火床は今年で3年目の企画であるが、1年目の優勝者の記録は27回であった。登り口から大文字火床までの標高差は230m、途中下りの区間はないので、単純計算で24時間に6210m登り6210m下ったことになる。因みに一般的な登山と比較してこれがどれだけ異常な登山であるかということを示すと、登り口から山頂までの標高差が大きいことで有名な日本で2番目に高い山であるところの北岳を上り下りすると、だいたい11時間くらいかかって1700mを上り下りすることになる。登山は基本日の登っているうちにしか行動できないので、1日の行動時間はこの11時間くらいが限度である。そのなかで24時間行動して、ほぼ平坦な部分がないために6000m以上の標高を稼ぐことが求められるこの企画は正に異常である。

 

私も寮生である限り、卒業するまでに一度はこの企画に参加しなければならないと思っていた。しかしながら、なかなか他の企画との兼ね合いであったり、それまでに1日に何度も大文字を登っている中で24時間往復する気になれなかったりで2年間は見送っていた。

順当に単位を回収しながら回生を重ねてきて来年の卒業が現実的になってきた今日、来年は卒論なりで忙しいだろうと想像できたのでいよいよ今年参加するしかないだろうということで無限大文字への参加を決意した。

どんなにばてても1時間に1回は登れるだろうから24回は確実であろうと思っており、また歴代の首位記録が27回であることから一旦の目標は27回、できれば30回は超えたいと目標を設定した。

 

靴を買います

大文字は火床までのメインルームは非常によく整備されていて、何ならスニーカーでも全然問題なく登ることができるのだが、山の中の24時間行動など未知の領域すぎるのでくるぶしが保護されるなど安心な登山靴で挑戦することにした。私は高校山岳の出身なので、夏山の登山靴は持っていたのだが、その靴も5年くらい履いて靴底がすり減っていたり縫い目から水が染み込んできたりしていたので、靴を新調する必要があった。極めつけは9月にあった北海道の森林土壌に穴を掘り土壌断面を観察する実習で内側まで靴をドロドロにしてしまい履く気をなくしてしまったことであった。本来ならば1m立方程度の穴を掘ればよい実習なのだが、TAが一番深く掘った班にアイスを奢ると言い出したため、2m越えの、まるで断面の観察には適さない、先生に落とし穴と罵られるほどの細い穴を掘ってしまい、それだけ細いので、掘っていると掘った先から土が落ちてきて靴の中に入ってしまったためである。

私の出身の栃木県では高校山岳で雪山に入ることはなかったので夏用の靴を使っていたが、今後雪山に入る可能性も考えアイゼンを付けられるような靴を選んだ。この靴による問題も発生するので心に留め置かれたい。

 

企画と天気

1日無限大文字を実施する日程を決定するうえで重要なのは他の参加したい企画との兼ね合いと天気である。2年前の優勝者は途中で雨に降られてずぶ濡れになっているようである。我々の中で初の試みで達成した27回という記録は素直に尊敬するべきものであるが、24時間山中で行動すると決めている日の天気を甘く見ていたという点で最初から敗北していると言える。

また今年私が参加するべき企画は、

12月1日:エクストリーム帰寮

12月2日:(前日夜から)エクストリーム帰寮

12月3日:(前日夜)同釜会(で来寮してるOP)

12月4日:ハッピーシュガーライフ

12月5日:時計台占拠

12月6日:アナアキズム学習会

12月7日:

12月8日:エクストリーム帰寮

12月9日:(前日夜から)エクストリーム帰寮

12月10日:

であったので必然的に12月7日か10日の2択になっていた。1日無限大文字は開始時間が0時と決められているので、夜に企画の多い熊野寮祭においては前日夜の企画との兼ね合いもよく考えなければならないのが問題である。

今回は7日も10日も天気は良く、折角なら最終日にやった方が楽しいだろうと思い10日に行うことに決めた。

 

持ち物と基本的な登り方

エグい獲得標高になることは分かっていたし、足が重くなってきたとして往復40分程で途中の水場を使えば給水も問題ないしどこかに荷物を置いておけばカロリー補給も問題ないので、何も背負わずに登ることを基本に荷物を作った。置くこと前提なので逆に荷物は必要以上のものを持っていき、

・食パン6斤

・塩分チャージ

・モバイルバッテリー×2

・トレランシューズみたいなスニーカー(登山靴に疲れたとき用)

・ダウンジャケット×2

・雨具

を火床に置いて上り下りした。

何も持たずに上り下りしたので着用・携行していたのは

・山用の長ズボン

・化繊半袖Tシャツ

・長袖ジャージ(脱いだり着たり)

・寮生から借りた骨伝導イヤホン

・スマホ

・ティッシュペーパー

程度であった。

先述のように歴代の首位記録である27回は見据えていたので、それだけの回数を同じルートで登るということは考えられず、複数のルートを使うことは当初から想定してた。同時に時間のかかるようなルート,無駄に上り下りするルートは使えないので

・メインルート

・橋を渡らずに真っ直ぐ登っていく谷沿いのルート

・橋の手前で右に折れる、千人塚の南をかすめて大文字の左の払いから登るルート

の3つのルートを使うことを決めていた。24時間行動する極限の状態では極力危険は排除するべきであるので、日が昇っていない時間帯はメインルートのみを使用することにした。

ちゃんとした登山では私は基本1時間に10分休むくらいのペースで休みを入れるようにしているので2往復したら一度休憩を入れて4枚切りの食パンを1枚食べるようにした(書きながら思ったけど意味わからん。私は大文字2往復1時間でやってない気がするが??)。

 

いよいよ登ります

12月9日、翌日0時から24時間活動すると決めているので寝溜めしなければならない。9日の前日はエクストリーム帰寮の運営の手伝いをしていたので就寝したのは5時とかであった。ちゃんと起きたのがたぶん14時頃でそれから荷造りなどして17時頃からは寝ようとしても寝られず22時になった。寝溜めするにしても自分が何時間くらい寝ることができるのか把握して適切な時間から寝始める必要があるという教訓を得た。

あるあるだが全然24時間大文字登りたくないな~と思いながら、2年前にやったような感じでルールの隙を突いて楽するか、などと思ったが今回は歴代の記録への挑戦だからな、と思いなおし日付が変わるまでに火床まで辿りつき登る態勢を整えた。1日1回大文字火床はその日に火床にいる回数をカウントされるので日付が変わるまでに先に火床に登っておいた方が少々得なのである。

 

2~10回目

日付が変わってから6時までに9往復(+1カウント)を達成した。まあ普通のペースといったところか。脚をできるだけ使わないために普段使わない杖を使ったが、このときはまだ普段使っていないということから杖がないほうが登りやすかった。

3時頃に火床で休憩していたら登ってくる人のヘッドライトが見えて早起きな人がいるものだなあと思っていたらただのよく寮に出入りしている神戸大生だった。めっちゃ夜更かしだった。3往復ほど視界に入る距離で行動していたが、別に一緒に登るわけではなくそれぞれが自分のペースで登っていてこの距離感が許されるから寮界隈は居心地がいいよなと思うなどした。

新しい靴が、雪山にも対応するということもあり足元がかっちりしていてあまり余裕がなく、扁平気味な足の私には土踏まずあたりが靴底に当たり痛く、このダメージがじわじわと蓄積してきていたがまだ全然余裕があった。

想定していなかった問題としては、食パンがパサパサすぎて一枚食べるのに10分ぐらいかかって食べる以外に全然休憩できず全く気が休まらないことくらいであった。持ってきた食パンは全て前々日のエクストリーム帰寮で余った業務スーパーブランドの「朝の輝き」を運営の手伝いの報酬としてもらったものであったが、この一日で嫌いになった。エクストリーム帰寮運営としてはこのパンと共に朝を迎えてほしいということでこのパンをわざわざ選んでいるということで、私も運営と一緒に5店舗も業務スーパーをまわったが、私は朝を迎える前にパンのパサパサさに絶望していた。業スーのネガキャンをしたい訳ではないので断っておくと、焼けば美味しい。焼かんで食うもんではない。たぶん。

 

11~16回目

日が昇ってきたのでメインルート以外も使い気を紛らわしながら回数を重ねる。

朝大文字に登るのは初めてだったので実際に朝大文字のおじさま・おばさま方を目にするのは初めてであった。何回もすれ違う私が不審だったので、二条の駅の方でお菓子問屋をやっているというおじさまのお付きの方が声をかけてくれて、一日で何回火床を往復できるのか挑戦しているという話をするとおじさまがパインアメを一袋くれた。如何せん持ってきている口にできるものが食パンと塩分チャージだけだったのでかなり助かった。

左払いを登るルートは16回目にして初めて使ったが、左払いの急登がかなり脚(というよりは足の裏)にきて我慢ならなかったので20回を待たずして大休止を挟んだ。もう二度と使うか、という気持ちになり実際二度と使うことはなかった。

日が差していて気持ちよかったし足もそこそこ限界だったのでとりあえず寝ることにした。人目を気にしているような余裕はなかったので人々がよく腰かけているような広い空間で寝た。1時間ほど寝て目を覚ましてようやく「こんなところで寝てる人いるよ~」という声が耳に入るようになった。

起きると12時前であり、これからペースが落ちてくること,日付が変わってから往復した回数は未だ15回であることを考えると目標として据えていた30回は絶望的かと思われた。

 

17~22回目

脚は回復したとはいえ足の裏が限界だったので予備で持参したトレランシューズっぽいスニーカーを2往復分使ったらめちゃくちゃ楽だった。この限界の足でくるぶしのない靴で大文字を往復して足を捻るのが怖かったので使用は2度に控えたが、足の束縛がないだけでこれだけ楽なものかと思い、登山靴に戻す際にくるぶしより下の紐を少し緩めにしたら途端に格段に楽になった。靴が合わないのかと思い中敷きも変えたのに、ただの靴紐の締めすぎだった。良い子のみんなは慣れない靴では変な動きをしないようにしよう。

この頃から木の杖なしでは登ることができなくなってきた。段差を登るのに踏み込むにも全体重を杖にのせて腕力で登るような形であった。まあ既に12時間以上登山しているのだから無理もない。

22往復する頃には17時になっており、その後はメインルートを使うことにした。というより、杖に体重を乗せて登れるような整備されたメインルートした登れなくなっていたという方が正しいだろう。

 

23~30回目

22往復を終え、7時間を8で割ると52分。なんか30往復いける気がした。足は終わってるけどそんな疲れてないし。あとは足の問題ではなく精神力の問題であった。ほんとうに、別に回数は登ってるけど3本足歩行になってること以外特に問題もなかったし、3本足歩行になったからといってなぜかそんなにペースも落ちなかったし、これといって書くことがない。

ほとんどペースがおちない

29回登ったときに23時前くらいだったのだが、ただただ銭湯に行きたくて、でも私は銭湯に行って1時間で追い出されたくはないのでそこらへんの銭湯に行こうとするとちょうどタイムリミットくらいだったので30回登らずして帰るかどうするかというのを真剣に迷った。もう単独歴代一位だし、20時間以上山登ってるし、許してほしかった。許してくれなかった(私が)のでもう一度登りましたが。

17回目くらいから登りはずっと杖がないとどうしようもなくなっていたが、下りの歩き方やペースは結局最初から最後まで変わらなかった。

 

24時間登山を終えて

なんか、意外となんともなかった。今回、今年無限大文字しなきゃいけないなという意識はあったけどそんなに体力づくりに勤しむこともできず、寮祭期間はほとんど大文字に登ってなかったし、その前も週に二度大文字を登ってるか登ってないかくらいのものであった。今年はデカい夏山に登ることもなかったので夏にもそれに向けた体力づくりもなかったし、その程度の体力・脚力で全然挑戦できる記録であった。

24時間山に登り続けるという純粋に自分と闘う機会は滅多にないし、寮祭に参加できる人は参加できるうちに無限大文字やってみるといいと思います。意外と人って24時間身体動かせるんだなって感想以外特に得るものはないですが。

嘘だな、回数登れば「大文字の王」と讃えらえて3000円の焼き肉を奢られ、全然寮祭企画「1日1回大文字火床」の運営には関係していない寮の同期から大文字蒸留所と銘打たれた松井酒造のクラフトジンをもらいました。

他にも「朝の輝き」に絶望した私からのヘルプに応えてinゼリーを持ってきてくれた人々も、ありがとうございました。