中途半端な創作家のしんどさ

中途半端な創作家のしんどさ

概要

世の中にいる創作家気質の人間がクリエイティブワークを仕事にした時に生じる問題について考察する。

はじめに

世の中には創作家気質の人間がいる。

ものをがちゃがちゃと弄り、これまで知らなかったことを知る。何もない所から新しいものを創り出す。既存のプロダクトを複数組み合わせ、今までなかったプロダクトを創造する。一連のクリエイティブワークをしている瞬間こそが至善である。そう感じる人間が一定数いる。

世間では、好きなことを仕事にするのがいいとまことしやかに囁やかれている。一見するとY●uTubeのポジショントークにしか思えない。しかし同じ壁を登る競争をするにあたり、長期的に見ると、辛く厳しい努力を積み重ねる人間は、楽しんでやっている人間に勝てないのも事実である。そう考えると、「好きなことを仕事に」という戦略はあながち間違っていないようにも思える。

そこで、創作家気質の人間がクリエイティブワークを仕事に組み込もうとした時に陥ると想定される現象について考察してみる。

本文

まず大前提として、仕事とは何かから考えていく。一見すると「価値の創造」が表立って目立つが、これは実は本質ではない。大事なのは「信用の蓄積」である。顧客や仕事仲間に「この人に任せばこれくらいの価値を提供してくれる」と思わせ続けることが大事である。ハッタリでも構わない。この信用がブレてしまうと、以降仕事を任せられなくなってしまう。そのため、他者からの信用を損なわないように”様々な動き”をしないといけない。

 

そして、この他者からの信用を損なわないための”様々な動き”は、往々にしてルーティンワークであることが多い。これはすなわちクリエイティブワークとの相性が非常に悪いということだ。真の社不適人間を知っている人は肌感覚でわかるかもしれないが、彼らにルーティンワークを与えれば与えるほどクリエイティブワークの成果が目に見えて逓減していく。本当は放牧しておくのが一番いい。

 

仕事をするためには他者からの信用を損なわないことが必要で、そのためにはいろいろなルーティンワークをやらなければならず、結果として時間と体力と精神力がゴリゴリと削られていく。本当はクリエイティブワークがしたいと願っていたにもかかわらず、いつの間にかルーティンワークの割合が増え、時間的制約が増え、いつの間にか雁字搦めになる。

 

 

ここまでは「信用を蓄積するためにはルーティンワークをいなす必要がありとても大変問題」に言及した。ここからは別の問題点「専門に嵌っていく」について軽く触れる。

クリエイティブワークを仕事をしていると、気が付いたら特定の枠組みでの創作活動しか許されなくなっていく。もっといろいろなものを弄ってみたいと願っていたはずなのに、気づけばある特定の分野の物を弄るだけで一日が終わる。多様な素材を組み合わせた時に生じる化学反応を純真無垢な目で楽しみたかったはずなのに、いつの間にか扱える素材には制約がついてしまう。素材を組み合わせて反応を見てにちゃにちゃする、魔導士タイプの創作家は苦しいのではないだろうか(この喩えは一つの分野に特化して洗練し続ける修行者タイプの創作家の存在を示唆している)。

 

 

 

多くの創作家は「ルーティンワークいなさなければいけない問題」と「専門に嵌ってしまう問題」に折り合いをつけて(あるいは圧倒的創作パワーでごり押して)価値創造の仕事に従事しているのではないだろうかと考える。

 

 

それはそれとして、この世には数多くの社不適クリエイターが蠢いている。社不適クリエイターはここら辺を何とか解決して世に出ているのは紛れもない事実である。そう考えると、この世には、なんとかするための方法論が存在するに違いない(願望)。なんとかなれーッ(無策)

まとめ

創作家が、大好きなクリエイティブワークを仕事にしようとした時にぶち当たる壁について考察した。すなわち仕事をするためには信用の蓄積が大事で、信用の蓄積のためにはルーティンワークがある程度必須である。しかしルーティンワークはクリエイティブワークの天敵であり大変である。加えて、クリエイティブワークを仕事にしてるとどうしても専門に嵌ってしまうという問題も考えられる。これらの問題には、折り合いをつけるか何らかの対策を施す必要があるのではないだろうかと思った。

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