【創作漢文】慶應塾長学費150万円値上げ発言・東京大学学費64万円引き上げ発表を漢文で批評してみた

【創作漢文】慶應塾長学費150万円値上げ発言・東京大学学費64万円引き上げ発表を漢文で批評してみた

【序】

令和6年(2024年)4月中旬、慶應大学塾長・伊藤公平氏の「国公立大学の学費を従来の3倍程度(150万円/年)に引き上げるべき」との提言が話題となった(https://www.mext.go.jp/content/2020327-koutou02-000034778-5.pdf)。更に、一か月後の5月中旬、東京大学が授業料引き上げを検討していることが明らかにされた(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014451281000.html)。さて私は此の報に接し、自らの意見を漢文で記さんと思い立った。

 

【本文】

或塾長曰、國子監之靑衿、須更納脩。加之本朝第一學舎東京大學、宣更徵收。自偃干戈、無富無貧、國黌集徒、盡闡其幽。學術󠄁昌盛、聲價益廣、肇國以來、所未逮󠄁也。雖然輓近󠄁理財蹇滯、無裕勤學、庶汲汲趨利。彼言必終󠄁摧衆󠄁志、學業衰頽、道義式微、國步艱難。詩云、菀彼桑柔、其下侯旬、捋采󠄁其劉、瘼此下民。夫社稷者、古來設庠序而育材、重之而安百姓。敎學是丕基、宗社當扶學者。無蔭庇、安得勵學。長與東黌、庶幾改謨。無寧󠄀輕脯、振起󠄁奎運󠄁、再得盛名、綏理宇内。

 

【書き下し例】

塾長じゅくちょういわく、「国子監こくしかん青衿せいきんすべからくさらしゅうおさむべし。」と。加之しかのみならず本朝ほんちょう第一学舎だいいちがくしゃ東京大学とうきょうだいがくさら徴収ちょうしゅうせんとぶ。干戈かんかんでより、ひんく、国黌こっこうあつめ、ことごとゆうひらかしむ。学術がくじゅつ昌盛しょうせいし、声価せいかますますひろがること、肇国ちょうこく以来いらいいまおよばざるところなり。しかりといえど輓近ばんきん理財りざい蹇滞けんたいし、勤学きんがくゆうく、しょ汲汲きゅうきゅうとしてはしる。げんかならつい衆志しゅうしくじき、学業がくぎょう衰頽すいたいし、道義どうぎ式微しきびし、国歩こくほ艱難かんなんせん。う、「うつたる桑柔そうじゅうもとくらし。りてりゅうたり、下民かみんなやましむ。」と。社稷しゃしょくは、古来こらい庠序しょうじょもうけてざいそだて、れをおもんじて百姓ひゃくせいやすんず。教学きょうがく丕基ひきにして、宗社そうしゃまさ学者がくしゃたすくべし。蔭庇いんぴくして、いずくくんぞがくはげむをんや。ちょう東黌とうこう庶幾こいねがわくはあらためよ。無寧むしろかるくして奎運けいうん振起しんきし、ふたた盛名せいめい宇内うだい綏理すいりせん。

 

【現代語訳】

ある私塾の長が、「国立大学の学生は、より多くの授業料を支払うべきである。」と言った。そればかりでなく、我が国随一の名門大学・東京大学も、学費をさらに増額する予定であると広く伝えた。戦争が終わってから、家の経済状況に関わりなく、国立大学は学ぶ意志のある者を募って、ことごとく彼らの潜在能力を開花させてきた。戦後の国立大学の取り組みによって、我が国の学術は隆盛を極め、世界から賞賛を集めた。このような状況は、神武天皇即位以来、かつてないほどであった。しかし近年は経済が停滞し、勉学にじっくり取り組む余裕が失われ、多くの国民は目先ばかりの金儲けにあくせくとしている始末である。あの発言は必ずや、多くの民の向学心を最終的に挫折させる。その結果として我が国の学術は衰退し、やがて道徳が乱れ、国の命運が傾いてしまうであろう。中国最古の詩集『詩経』には、次のような章句がある。「よく茂った若い桑の木、その木陰は薄暗い。桑の葉がまばらになるほど摘んでしまえば、下にいる者は苦しんでしまう。」そもそも国家というものは、昔から今に至るまで、学校を作って有為な人物を育成し、彼らを重用して万民を安らかにしてきたのである。教育は国家の礎であり、国家は当然、学問に勤しむ者を支援せねばならない。国家による助けなしに、どうして安心して学問に励むことが出来ようか。塾長、そして東京大学よ、どうか考えを改めて頂きたい。むしろ授業料を下げて学問を尊ぶ気運を盛り上げ、再び我が国の名誉を取り戻しつつ、天下を平らかにしようではないか。

【語釈】

●国子監(こくしかん):旧中国・朝鮮・ベトナムにおける最高学府。 ●青衿(せいきん):昔の学生は衿(えり)の青い服を着用したことから、学生の意。出典は『詩経』鄭風・子衿「青青子衿、悠悠我心。」 ●脩(しゅう):「束脩(そくしゅう)」の略。「束ねた脩(ほしにく)」の意で、古代中国では入門の際に師匠に対する贈り物として持参した。転じて、入学料。「授業料」に相当する語を寡聞にして知らず、その代用とした。出典は『論語』述而第七「子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。」 ●加之(しかのみならず):そればかりではなく。それに加えて。 宣(のぶ):あまねく言い広げる。 ●偃(やんで):やめる。やむ。  ●干戈(かんか):干(たて)と戈(ほこ)から武器、武力。転じて、戦争。 ●国黌(こっこう):黌は学校の意。国立大学を指す語として筆者(阿貮房主人)が造語したもの。 ●闡其幽(そのゆうをひらかしむ):闡幽(せんゆう)は、閉ざされていたものを明らかにする意。出典は『易経』繋辞下伝「夫易、彰往而察来、而顕微闡幽。」 ●昌盛(しょうせい):盛んである。栄える。 ●声価(せいか):世間での良い評判。 ●益(ますます):ますます。なおいっそう。 ●肇国(ちょうこく):肇は、始める意。新しく国家を建てること。 ●逮(およぶ):及ぶ、届く。 ●輓近(ばんきん):近頃、最近。輓は「晩」に同じく、おそい、近い意。 ●理財(りざい):財産をうまく運用する。出典は『易経』繋辞下伝「理財正辞、禁民為非曰義。」なお、慶應義塾は明治23(1890)年に大學部理財科を設置し、のちの慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科の前身となった(https://www.econ.keio.ac.jp/about/history)。 ●蹇滞(けんたい):とどこおる。蹇は足が自由に動かないこと。 ●汲汲(きゅうきゅう):心がとらわれてあくせくとするさま。 ●趨(はしる):足早に行く。さっとある方向に進む。 ●摧(くだき):くじく。くだく。 ●衰頽(すいたい):「衰退」に同じ。 ●式微(しきび):非常に衰えること。出典は『詩経』邶風・式微「式微式微、 胡不帰。」 ●国歩(こくほ):国の勢い。国の運命。出典は『詩経』大雅・桑柔「於乎有哀、国歩斯頻。」 ●艱難(かんなん):困難にあって苦しむこと。 ●菀(うつたる):草木が生い茂っているさま。 ●桑柔(そうじゅう):萌え出たばかりの柔らかい桑の葉。「柔桑」に同じ。韻を踏む関係で字の順序が逆転している。 ●侯(これ):「こーレ」と訓ずる語助詞。 ●旬(くらし):草木が繁茂して薄暗いさま。 ●捋采󠄁(とりとりて):いずれも取る意。 ●劉(りゅうたり):桑の葉がまばらなさま。 ●瘼(なやましむ):病気になる、苦しみ衰える。 ●夫(それ):そもそも。いったい。 ●社稷(しゃしょく):社(土地の神)と稷(五穀の神)。転じて、国家。 ●庠序(しょうじょ):学校。出典は『孟子』梁恵王上「謹庠序之教申之以孝悌之義、白者不負戴於道路矣。」 ●安百姓(ひゃくせいをやすんず):すべての民を安らかにする。出典は『論語』憲問第十四「曰、脩己以安百姓。」 ●丕基(ひき):大いなる基礎。君主が国家を統治するための基礎。 ●宗社(そうしゃ):宗廟と社稷。転じて、国家。 ●扶(たすく):手を貸す。たすける。 ●学者(がくしゃ):学んでいる人。出典は『論語』憲問第十四「子曰古之学者為己今之学者為人。」  ●蔭庇(いんぴ):おかげ。蔭はおかげ、庇はかばう意。 ●東黌(とうこう):東京大学のこと。筆者(阿貮房主人)が造語したもの。 ●庶幾(こいねがわくは):どうか~してください。 ●謨(ぼ):はかりごと。もくろみ。 ●無寧(むしろ):むしろ。それよりも。 ●脯(ほ):「脩」に同じ。 ●奎運(けいうん):学問・文化の気運。 ●盛名(せいめい):立派な名声。 ●綏理(すいり):安らかに治める。 ●宇内(うだい):世界。天下。

 

【跋】

まとまった量の漢作文は初めての経験であり、したがって表現の不備、断章取義に堕した部分は多々あろうかと思う。浅学不堪に藉口して執筆を諦めることも出来た筈だが、しかし己が考えを形にせんとする意思は固かった。才深き諸子の許しを請いつつ、吾人は拙稿を此処に残し、是非を世に問う。

 

【参考文献】

石川忠久(1997).『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』. 明治書院.
石川忠久(2000).『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』. 明治書院.
今井宇三郎・堀池信夫・間嶋潤一(2008).『新釈漢文大系 第63巻 易経 下』. 明治書院.
内野熊一郎(1962).『新釈漢文大系 第4巻 孟子』. 明治書院.
小川環樹・西田太一郎・赤塚忠・阿辻哲次・釜谷武志・木津祐子編(2017).『角川 新字源 改訂新版』. KADOKAWA.
白川静(1996).『字通』. 平凡社.
藤堂明保・松本昭和・竹田晃・加納喜光編(2016).『漢字源 改定第五版』. 学研プラス.
吉田賢抗(1960).『新釈漢文大系 第一巻 論語』. 明治書院.
NHK 社会(2024).「東京大学が授業料引き上げを検討 最大で10万円余の増額も 国立 私立の授業料の推移は | NHK | 教育」. 日本放送協会. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014451281000.html , (参照 2024-5-18).
慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科.「沿革 – 慶應経済について – 慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科」. 慶應義塾大学. https://www.econ.keio.ac.jp/about/history , (参照 2024-5-15).
中央教育審議会・高等教育の在り方に関する特別部会(2024).「【資料2-1】大学教育の多様化に向けて(伊藤委員提出資料)」. 文部科学省. https://www.mext.go.jp/content/2020327-koutou02-000034778-5.pdf , (参照 2024-5-15).