ブータン自動車横断旅行 (2) ティンプーの日本人

ブータン自動車横断旅行 (2) ティンプーの日本人
書いたひと: ヨシダガンジ

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出発

さあ、いよいよ出発だ。3台のインド車ボレロにわかれてのりこむ。おおきな荷物をはこぶためのピックアップ・トラック1台、それに保健省の日産パトロールもついてくる。

パロ空港をあとにして、ティンプーへむかう。道路は、ひろい谷にそうて、ゆるやかなカーブをえがく。谷底をパロ・チュ(川)がながれる。谷あいの平地には水田がひろがる。まだ稲穂はあおい。民家は、川からはなれた山すそに点在している。どれもブータン式の建築だ。わたしは、すっかりうれしくなる。

みんな元気のようだ。助手席にのった堀本君は、しきりに運転手のワンチュック・ドルジさんにはなしかける。いまみえた建物はなんというのかときいたり、ゾンカ語(ブータンの国語)のいいまわしをたずねたりする。

いまひとつみなれないのは、自動車道路のうえをウシやウマ、イヌが闊歩していることである。闊歩しているのならいいけれど、なかには道路のまんまかにすわりこんでいるのもいる。ことにイヌが路上で昼寝をしているのをよくみかける。まったく無防備なものであるが、ドライバーは、ねそべった犬をよけてとおる。

すれちがう車はそこそこの数がある。ダンプカーはたいてい()()にかざりたてられている。極彩色の装飾にくわえて、ボンネットにはふたつの目がえがかれている。

みちぞいに、ぽつぽつと露店がある。屋根のついた停留所みたいなのもあれば、ただ品物をひろげただけの場所もある。たいていは、なんにんかのおばさんたちが野菜とくだものをうっている。

パロ・チュとティンプー・チュの合流地点にさしかかる。ワンチュックさんは「チュゾム!」とおしえてくれる。川の合流地点には、3基の仏塔がたっている。

だんだん街にちかづいてきた。交通量がおおくなる。ティンプーは、ティンプー・チュの谷にそうた南北にほそながい街である。

ティンプーの市街地は、どんどん南に拡大しているという。街は建設ラッシュのさなかにある。4–5階だての建物がたちならぶ。ビル自体は鉄筋コンクリートづくりだが、屋根や窓の装飾はブータン風のデザインである。建設現場では、竹でうまいぐあいに足場をくんでいる。はたらいているのは、はだのあさぐろいひとたちだ。たぶんインド系だろう。

街をみおろす高台に巨大な仏像がある。金ぴかの仏さまである。シンガポールと香港の億万長者が寄進したものだという。

パロからティンプーへ

ティンプーの日本人

はじめに、わたしたちはブータン王立大学の本部にむかう。副学長を表敬訪問するということだ。大学についてみると、しかし、いまはいそがしくて面会できない、という。

つづいてJICAの事務所をおとずれる。所長の渡部晃三氏におあいする。渡部さんは、ことしの3月からブータンで仕事をしている。そのまえは、ベトナムとカンボジアに3年ずついたそうだ。わたしたちは、JICAの活動について、渡部さんから説明をきく。

話のあとで、わたしたちはさまざまに質問する。ブータンでは田畑の区画整理はされているのか。ブータンに地籍図はあるのか。ブータンの教育はなにをめざしているのか。ブータン人は国王のことをどうおもっているのか。そんなにかんたんにはこたえられない質問がおおい。渡部さんには、ごめいわくをかけたかもしれない。

午後、わたしたちはかいものにでかける。まずは、ゴとキラをかいにゆく。ゴは男ものの、キラは女ものの衣装である。ホテルのちかくの呉服屋にゆく。赤、だいだい色、茶色、黄色、青、むらさきにそめられた糸の束が店だなの一角をうめる。できあいのゴとキラもたくさんある。わたしたちは、そのなかから気にいった柄のをえらぶ。

わたしははじめ、伝統的なスタイルのゴがほしいといった。店のおばちゃんがえらんでくれたのは、だいだい色と金色の糸で織られたものだった。ドライバーに着つけをてつだってもらった。これはちょっとちがう。やはり()()すぎる。まわりは口ぐちに、チベットのえらい坊さんみたいだとかいうけれど、けっきょく、もっと地味な、赤茶のチェック柄のゴをえらんだ。

かったばかりのゴとキラをきて、とおりをあるく。このあたりはティンプーの目ぬきどおりである。ジェネラル・ショップや飲食店・衣料品店・みやげもの屋が軒をあらそう。市内にたぶん1カ所しかない「信号」もここにある。交差点の中央にあずまやふうのボックスがあって、警察官が手信号で交通整理をしている。ひとどおりはおおい。ひと目でブータン人とわかるひとのほかに、インド人らしい顔だちのひともけっこういる。西洋人と中国人もみかけた。

わたしたちのゴ・キラの着こなしは、こなれない。わたしは、ブータン人にどうみられているのか気になる。その土地のひとびとからすれば、なじみぶかい文化を異質的な人間が身にまとっているわけである。日本にきた外国人が、にわか仕たての着ものすがたで、四条河原町あたりをあるいているようなものだろうか。

呉服屋の棚に色とりどりのゴ・キラがつまれている
目ぬきどおりの交差点

ひとりたりない

みやげもの屋によったあと、モバイル・ショップでSIMカードを購入して、ホテルにかえった。連絡がつきしだい、もう一ど王立大学にゆくという。それまで部屋で待機する。

とはいっても、手もちぶさただから、ちょっとそこまでひとりででかけることにした。これがまちがいだった。しばらくあたりを散歩してかえってきてみると、だれもいなくなっていた。

だいぶたってから、みんながかえってきた。わたしが外出していたちょっとのあいだに、王立大学にむかってホテルを出発していたという。大学についたとき、ひとりたりないことに気づいた。12人もいれば、ひとりくらいいなくたってわからないものだ。

じつをいうと、わたしはけっこうショックをうけている。そんなかんたんにわすれられていたのか。でかけるまえに、だれかにひとこと、つたえておくべきだった。しかし、ひとり部屋だから、つたえる相手もいない。それとも、でかけること自体がまちがいだったのか。

わたしは、夕食にすこしおくれてゆく。お客さんがふたりきている。安藤さんが紹介する。ふたりは、タシガン県の元知事と元保健局長である。かれらは、安藤さんの友人であり、日本の宮津にきたこともある。元知事は、ダショーに叙されている。ダショーは、ブータンの爵位である。

ダショーがあいさつをする。

「わたしは、県知事をつとめたあと、地方行政の官僚になった。数年まえにその役職をやめて、選挙に立候補した。ところが落選した」

これが、かれの自己紹介である。そして、いまは引退生活をおくっている、という。

ダショーは、ブータンの保健制度について説明をはじめる。元保健局長の話もあいだにはいる。ブータンでは、医療費はすべてただである。調子がわるくなれば、まず村ごとの診療所にゆく。ちいさな診療所で手におえなければ地方の病院へ、それでだめならおおきな拠点病院、それからティンプー、そしてタイのバンコクやインドの都市の病院におくられる。これはすべて無料である。質問がでる。ブータンと日本の保健制度を比較して、あなたはどうかんがえるか。ブータンの財政は、国際的な援助なしでなりたつのか。ダショーは、ふたたびながい演説をはじめる。

あとで安藤さんにきいたところでは、今夜のダショーの話はくりかえしがおおかったらしい。ほんとのところ、わたしはながい話の3割くらいしか理解していなかった。

(第3回につづく)

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