「熊野寮と社会の評価軸の違い」 ゆるふわ公開日記 その2 

「熊野寮と社会の評価軸の違い」 ゆるふわ公開日記 その2 

私は熊野寮に住んでいる。一般的な日本の社会ではおそらく輝けないであろう人材がどうも熊野寮では大活躍をしている姿をよく見かける。一般的な日本の社会と熊野寮では評価軸が違うのではないかと考えられる。

一般的な日本の社会では、身だしなみに気を使い、時間をきっちり守り上下関係をしっかり弁えている人間が評価される傾向にある。

しかしながら熊野寮ではドレスコードは「服を着ている」だし、大体のイベントは30分以上遅れて始まるし、時間を守ることをそれほど重要視しない傾向にある。一応寮でも先輩後輩の概念はあるが、そこまで厳格なものではない。先輩後輩関係をおろそかにしたところでこれを糾弾する雰囲気はどこからも感じられない。

熊野寮で評価されるにはいろいろな方法があると思うが一番わかりやすいのは自治への参加であると感じる。運営方針を決めたり部会委員会の長を務めたり積極的に会議に出席したり事務作業をこなしたりといった要素だ。twitterかどこかで「熊野寮の有力者は実務能力者ではなく滞在時間である」みたいな文言を見かけたことがある気がするがそれももしかしたら一つの熊野寮独特の評価軸なのではないだろうか。

当然これ以外にも気軽にいろんな人を巻き込めるだとかいろいろな面白いことをやってのけるとかどでかいコンパを開いたり新入寮生を孤立させないようにするなど評価軸はかなりあると思う。まあ要するに何が言いたいかというと一般的な日本の社会での評価軸に合わない人間でも熊野寮には多様な評価軸が転がっているので大概受け入れてくれるということである。

今の日本の社会は向く人にとっては別に何も問題ないと思うのだが向かない人にとってはかなり苦痛であると強く感じている。それを気にして精神がつらくなって最悪極端な選択を選んでしまう人も少なからずいる。しかし待ってほしい。あなたは今の日本社会の評価軸では評価されないだけであってほかの社会では評価されうる可能性を秘めているかもしれない。社会なんて海外に行けばいくつでもあるし、実は日本の中でも一般的な社会とは違った共同体は結構いろんなところにたくさんある。「山奥ニート」とか「サイハテ」とかで調べてみることをお勧めする。

社会なんてこの世にいくつあると思ってるの?(ブルゾンちえみ)少なくとも各国によって一つとしてもざっと200はあるだろう。同じ国でもいろんな評価軸で評価される共同体はたくさんあるはずだ。

なのに今の日本の社会に合わないってだけで極端な選択をせざるを得なくなるというのは非常にもったいないと感じる。あなたの力をほかの社会全部で試し終わってからやってみればいいんじゃないなあ。

来年私は一年間休学して今の日本の社会とは違う社会の構築に取り組もうと思う。またこの話はそのうちしたいと思っている。今回はここまで。

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