「周りに大阪人がいなくなった大阪人」 ゆるふわ公開日記 その6

「周りに大阪人がいなくなった大阪人」 ゆるふわ公開日記 その6

私は大阪生まれ大阪育ちであり、高校卒業まではコミュニケーションはボケとツッコミによってのみ形成されていた(要出典)。大学生になり大阪を飛び出し、周りの大阪人の割合は激減した。オチのない話が飛び交い、ボケたところでツッコミが帰ってこない環境に最初は戸惑いつつも次第に適応してきたつもりである。

大阪のボケとツッコミに分かれて互いにアウフヘーベンしていく会話の形態(?)から離れてはや3年。とはいえ腐っても大阪人。三度の飯より周囲の笑い。爆笑を取ってこそ生きている価値がある。環境は変わっても定期的にボケるしツッコミもそれなりにしてきた(と自分では思っている)。

先日大阪出身のとてもおもしろいNさんとツッコミについての話をしていた最中、ボケの性質が大阪を出る前と出た後で大きく変わっていることに気が付いた。大阪にいる間はボケたら誰かからツッコミが返ってくるわけである。しかし大阪を出た後はボケても周囲からは何も返ってこない。特に意識せず順応してきたと思っていたのだが、自分のボケが「ツッコミありきのボケ」から「ツッコミがないことが前提のボケ」に代わってしまったという結論に達した。

ツッコミがないことが前提のボケ」とはツッコミを必ずとも必要としない言葉遊びのようなボケ(ピン芸人がやりがち)や、勢いや大声に頼ることで笑いが起こるようなボケ(ピン芸人がやりがち)などである。特によく頼るのがネットで流行ったワードを適当にもじるタイプのもの達だ。ネットを毎日見てる人(みてるんちゅ)ならある程度すぐに理解できるためツッコミを必要としない。このようなボケは脳死でできるので最近の自分のボケ筋肉(ボケを思いつくために使われる筋肉のこと)が日に日に減少していると感じる(もともとボケがそこまで得意なわけではなかったが)。ボケ筋肉(そんなものは存在しない)が失われてガリガリになってしまったので、大阪に戻ってもカスみたいなボケしかできないだろう(最初からカスみたいなボケしかしていなかったが)。
また、ツッコミもこれまでは相手のボケにツッコミの人独自の面白い要素を乗っけた上で指摘するものであった。しかし大阪を出てからというもの相手の言い間違いとか勘違いを面白可笑しく正すために使われることがほとんどになった。ツッコミの使われ方が変わってしまったのである。

ここまで読んでも普通の人は「はあ」という感想しか抱かないと思う。しかし、大阪を出た大阪人の多くはこのような現象を体験しているのではないだろうか。たまにツッコミが来ないことを忘れてツッコミありきのボケをしてしまう。大概誰もツッコんでくれないのでつらい。

<筆者が書いたおすすめの記事!>

ねことしゃべりたい

旅で一番大事なこと

「熊野寮と社会の評価軸の違い」 ゆるふわ公開日記 その2