「内輪ことばと定義の曖昧なことば」 ゆるふわ公開日記 その5

「内輪ことばと定義の曖昧なことば」 ゆるふわ公開日記 その5

新年あけまして。今年の抱負は「資本主義からのゆるやかな脱却」とします。頑張ります。

熊野寮では寮内でしか使われていないいわゆる寮用語というものが存在する。60年代に勢力的に活動していた左翼団体でよく用いられたことば達が主体であるらしい。一般では使われる機会が失われていったことば達だが熊野寮では脈々と受け継がれ、今となっても生きた化石として用い続けられているのだ。「貫徹」、「総括」、「だ↑んけつ」、「連帯」、「アジテーション」などが最たる例であろう。寮内だけで使われるなら何も問題ないのだが、どうも寮外の一般公開されている場所でこの内輪のことばを使っている場面をよく見かける。

大衆的ではないいわゆる「内輪ことば」は確かに内輪の集団の連帯を強めるのに効果的なのであろう。確かに自分だけでしか使わない仲間内の秘密の暗号みたいでかっこいいし、わくわくする。しかしながら、「内輪ことば」を公開の場所で軽率に用いてしまうことは避けた方がいい。例えば寮生が、寮生ではない普通のノンポリ京大生に大学の不当弾圧についてアジテーションの演説を行う場面において大衆的でない「内輪ことば」を多用してしまうと外から見ると「内輪でやってんな~」感が拭えなくなってしまう。文脈や定義の知らない単語を使われてしまうと疎外感を感じてしまうのではないだろうか。

また、先日twitterの議論で定義が人それぞれ異なることばが原因で議論が紛糾している場面を観測した。●●という単語を「A」という意味で捉えている人間と●●という単語を「B」という意味で捉えている人間同士の認識の齟齬により本来発生するはずのない衝突が生じてしまっていたのだ。

定義が曖昧であり人によって違う捉え方がされることばを使用する際には他人と自分の言葉に対する認識が異なっていないか気を付けなければならない。

わかりやすいかどうかわからない例を挙げると「フェミニズム」を男女間の差異を減らそうとする動きだと捉えているまともなフェミニストとTwitterの声のでかい自称フェミニスト(笑)を見て「フェミニズム」を男女平等を盾にした女性が男性に一方的に行為の規制を押し付ける動きだと捉えてしまった人との齟齬である。また叩かれそう。

要するに定義が共有されていないことばや新しく生み出されたことばといった大衆的ではないことばを使う際には相手がどの程度文脈と定義を共有しているかに十分気を付けながら齟齬がなくなるように気をつけて使おうという話である。

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