前日の夜に電話で誘ったらほいほいついてきた休学中のTくんと一緒に金勝アルプスに行ってきました。久々にゆるふわ登山ができてとても楽しかったです。

・車があれば京大起点でかなり手軽に行ける
・コースごとに異なるいろんな景色や植生をしっかり楽しめる
・そんなにしんどくない
・気が変わったらいつでも帰れる
・道中にLAMUがある
などの理由からとても満足感の高くコスパの良い山域だと感じました。
5/26(水)
0730 熊野寮集合。どこにいくか全然決まっていなかったのでとりあえず朝寮食を食べる。もともとは適当に蓬莱駅らへんから武奈ヶ岳を適当に踏んで適当に帰ってくる予定だったが、私ののっぴきならない理由(湖西道路を運転することに飽きてしまっていたのと比良の劣った植生に辟易していた)により急遽金勝アルプスに行くことになった。
0820ごろ 出発。 「人間が3人以上乗って30km以上進むと人権がなくなる」でおなじみの貨物自動車登録されたミラを利用。 行きの車内で流れていた「あさイチ」で「経済学で学ぶ日常生活特集」みたいなことをやっていたが、経済学部のTくんは「機会費用を説明するならその例えはおかしい」「サンクコストはそうじゃない」だのなんだの言っていたので経済学部も大変だなあとなった。
0910 LAMU草津店。翌週辺りにとても重たい荷物を背負ってとてもしんどい登山に行く気がしていたのでとりあえず体力づくりのために水を6L購入。30mザイルや謎の本など、部屋にあった重たそうなものを60Lザックに適当に詰め込んでいったのでたぶん荷重は12kgは超えていたと思う。


1020 一丈野駐車場到着。京都で暇そうにしていたkuresukumo氏に登山ルートを伝えると同時に17時までに下山連絡がなければ心配するように連絡を入れ、トイレ横に設置されていた入山届boxに登山届を投入し、twitterで今日の行程をツーイトして出発。なお今回は入山地点においてあった「近江湖南アルプスハイキングマップ」をYAMAPと併用して参考にした。


1030 出発。途中「たまみずきの道」と呼ばれるユニバーサルデザイン遊歩道を横切った。全線車いすでも通れるほど手入れされているらしい。


我々の通ったルートは沢筋に登山道がついている感じの楽しい登山道である。しばらく降り続いていた雨の影響もあり、水量はそこそこ多いように感じた。途中何回か渡渉する場面があり、ハイカットの登山靴を履いていた私は特に問題なかったのだが、ローカットの軽登山靴を履いていたTくんはびくびくしながら渡っていた。


1059-1127 落ヶ滝。宣材写真よりも水量が多い気がした。落ヶ滝手前から右に謎の道が出ていたので電波を入ることを確認した後に偵察しに行ったら、トラロープ付きのやや急斜面を登った先に歩きやすそうな尾根が続いているのを確認。土壌が劣っているのだろうか、低木しか生えておらず心地よい風と広々とした展望が大変気持ちよかったのだが思いっきりルート外だったので適当に切り上げて帰ってきた。風化した花崗岩らしく、そういや打見山に向かうクロトノハゲ近辺もこんな感じだったなあと思った。Tくんはバイトの面接の日程調整の電話をかけていた。


(「近江湖南アルプスハイキングマップ」においてはO-1からK-1に道が伸びていたので、本来はそのルートを通る予定だったのだが、鶏冠山方面の標識に何も考えずに従い続けたらO-2の標識が見えたのでそのままK-6の方へ向かうことにした。なお、帰ってから確認した地形図にはO-1からK-1に伸びる道は存在していなかった。こういう地図を信用してはいけませんね。
そのままK-6まで進み、鶏冠山までピストン。K-5地点に到着した段階で、K-6~K-5間が激しい急登だったため、それと同じくらいの等高線の間隔を引いてあるK-5~鶏冠山頂上まではさぞかし大変なのだろうとおびえていた。しかしながら、全然高度を上げた感覚のないまま鶏冠山山頂に到着してしまい、拍子抜けする結果となった。こういう地図を信用してはいけませんね。)
1206-1219 鶏冠山。疲れたので北谷林道の方を通って帰ろうという機運が高まっていたがせっかくなので天狗岩の方まで行くことにした。


途中でウグイスの鳴き声が聞こえてきて春だなあとなった。
その数分後、セミの鳴き声が聞こえてきて夏だなあとなった。
K-7以降から明らかに周りの景色が変わり、むき出しのごつごつした岩が辺り一面に広がる、(比良では見られない)花崗岩織りなす異様な光景にとてもテンションが上がった。


1252-1321 天狗岩。鎖マンやトラロープに沿って上に上がるととても眺望の良い開けた場所に到着。先行パーティが複数隊いた。何やらお湯を沸かしたりして美味しそうなものを食べているのを尻目にチュロスをむしゃむしゃした。しれっと新名神が通っているのが見えて岩肌広がる荘厳な景色とのミスマッチさに苦笑いするしかなかった。


1328-1338 耳岩。電波が入り、ルート変更の知らせが可能なのを確認。疲れたので天狗岩線(尾根ルート)を通って帰ることにした。kuresukumo氏とTwitterにルート変更の旨を伝え下山開始。尾根沿いを下っていくがそこそこ急で滑りそうな道が続く。いやらしい。


1434 オランダ堰堤。
金勝アルプスを含む田上地域の森林は元々ヒノキの美林とされてきたが、奈良~平安時代に都で高まる寺社仏閣建築需要に応えるため、あたり一帯のヒノキが伐り出された。また、江戸時代には燃料や灯りとして柴や松の根までが採取され、結果として山は荒れ、「田上の禿」と呼ばれる日本有数の禿げ山と化してしまった。風化の進んだ花崗岩であったことも相まり、降雨の度に土砂流出が発生し、下流の人々に被害を及ぼし続けた。1885年に起きた淀川の大洪水は大阪市内に甚大な被害をもたらした。これに危機感を覚えたのか政府はお雇いオランダ外国人デ・レーケに教えを請い、禿山と化した田上の砂防を推進していくようになったそうだ。オランダ堰堤は彼の指導の下作られた当時最先端の技術が用いられた渾身の堰堤だ。彼らの努力のおかげで現在では森林は回復しており、地域住民のみならずハイカーの憩いの場として親しまれている。


1439下山。



その後は田上郷土史料館に向かったが、事前予約が必要とのことで栗東歴史民俗博物館へと足を運んだ。博物館横には明治元年に創建された農家住宅を移築復元した旧中島家住宅が併設されており、中においてある年季の入ったものものについて、おそらくボランティアのおじちゃんがいろいろ教えてくれた。道具の使い方を聞いたらつぶさにいろいろと教えてくれた。生き字引とはまさにこのことであろう。午前中には地元の小学生が訪れていたらしく、かまどで火をおこす体験をしていたらしい。






歴史民俗博物館本体にもいろいろあったが撮影NGだったのでかいつまんで。
・出土した古墳時代の琴
・変な形の埴輪
・仏像たくさん
・東海道名物目川田楽
・全国に羽ばたく辻村鋳物師
・ヤマノカミのご神体と祭りの様子
・奈良時代後期~平安時代に渡来した新羅の石工職人によって作られた磨崖仏
総じて楽しい山行でした。行動時間4時間くらいがちょうどええねんなっていうのがよくわかりました。すれ違う人誰も60Lザックなんか背負ってなかったのでかなり浮いていたのだけが心残りでしたがいい体力づくりになりました。
参考
・河崎則秋 「後世に伝えるべき治山」60選シリーズ
禿げ山から地域に親しまれる森林に復旧した田上山の治山事業(https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/60/1/60_123/_pdf/-char/ja)2021/6/9最終閲覧
・近畿中国森林管理局 オランダ堰堤(https://www.rinya.maff.go.jp/kinki/siga/mori-enjoy/oranda_.html)2021/6/9最終閲覧
・国土交通省 淀川河川事務所 100年前の大洪水と新しい川の誕生(https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/now_and_then/tanjyou.html)2021/6/9最終閲覧