4+留年2年の京大生活を振り返る①

4+留年2年の京大生活を振り返る①

大学の学部は4年で卒業するものとされているが、巷には学部5年目や6年目、はたまた10年目のベテランまで存在している。

留年や休学、留学などは個人の判断で自由に行えるものではあるが、しかし「大学の学部は4年で卒業するもの」というレールから逸脱することを決めるのは中々大きな決断だったのではなかろうか。

そういう人達はこれまでどんな大学生活を送り、大学生活を延長するという決断に至ったのだろうか。

 

…と、考えているうちに、なんと自分が実際に留年をすることになってしまった。

びっくりびっくり。

 

筆者は今年の前期に学部の卒業必要単位を取りきり、5年半在籍していた京都大学を卒業したところである。来年4月からの就職を前に、今は半年間のモラトリアムを優雅に過ごしている。

 

本稿では、大学は4年で卒業するものだと思っていたごく普通の(?)大学生が、留年を2年経験し、どんな6年間を過ごしたのかということを振り返って書いていこうと思う。

要は自分語りだ。しかし、過去の私のように、留年大学生がどのような大学生活を送っているのか気になる人も中にはいると思う。そんな酔狂な方は、この先もお付き合い下さい。では昔話を始めよう。

 

【この記事の読了予想時間:5分】

 

1.大学1年目

受験勉強を経て、京大L学部に晴れて入学を決めた私は、新生活への期待に満ちたピカピカの大学1年生だった。

将来コロナウイルスが襲来するなど想像もされていない世の中、キャンパスにはサークル勧誘の人々の列でビラロードができ、5限後のクスノキ前はサークル新歓の待ち合わせをする人で溢れかえっていた。

 

かくいう私も「大学では高校まででは出来なかったことをしたい」という気持ちの元、連日色々なサークルの新歓を訪ね歩いていた。新歓で色々な人と話すのは楽しく、そこまで苦にはならなかったし「どのサークルに入るかが自分の大学生活を大きく左右する、だから妥協したくない」という気持ちが強かった。

だから3月末〜4月末の約30日間、毎日違うサークルの新歓に参加したのである。軽音、演劇、弓道…、生協サークルにも行ったし、テニサーやアメフトの新歓にも興味本位で行ってみた。勉強会をする研究会のような集まりにも参加してみた。

 

ただ、20以上のサークルを訪れても、入るサークルはなかなか決まらなかった。

「楽しそうだなあ」「良い雰囲気だなあ」と思うサークルは多かったが、「ここに入りたい」と確信できるサークルは無かった。

「ここも良さそうなところだなあ」と思っても、「一度しかない大学生活を、このサークルに捧げてしまって良いのか」という疑問が、ふと湧いてしまうのである。

 

そもそも、大学は学問をする場所であるし、留学だったりバイトだったり友達と遊んだり、サークル以外にも大学生活を過ごす上でのコミュニティはあるはずだ。

しかし、中学の吹奏楽部・高校の演劇部と、今までの生活がほとんど部活一色だった私は、「自分の大学生活はサークル選びでほぼ決まる」という直感が強くあった。

 

このままでは、入るサークルを決める前に、新歓の期間が終わってしまう。

危機感を感じた4月下旬の私は、「高校まででは出来なかった、新しいこと」って「具体的に何が出来たら満足なんだろうなあ」と、思案をした。

大学のサークルなんて小さいものも含めれば、高校の部活の50倍くらいの選択肢はあるだろう。約3週間で、体育会系の人数の多い部活から文化系の小さなサークルまで、見れる限り幅広く行ってみた。それで入りたいところが無いのだったら、今度は重点を絞った方が良い。4月中に良いと思うサークルに出会えなければ、どこのサークルにも入れないまま新歓の期間が終わってしまう。

そのために、サークル選びの方向性を明確にする必要があるなと私は思ったのだった。結局、私はどういうサークルに入りたいんだろうか。

 

私が出した答えは「国際系の活動がしたい」だった。

大学では今まで見えていなかった広い世界が見たいと思った時に、「海外」というのは単純に広い世界だよなあと思ったのである。

せっかく受験のために英語の勉強をした訳だし、英語の知識が机の上で終わっては残念、という気持ちもあった。

海外に行ってみたいし、海外の人と喋ってみたい。英語の知識を使えるものにしたい。

 

そうと決まれば、国際系の活動をしているサークルをリストアップするのみ。ビラロードでもらったビラから良さそうなところをピックアップし、ラストスパートをかけた。

 

最終的に、4月の25日くらい、私はその後3年間をほぼ捧げることになる団体に出会う。

 

海外インターンの運営という活動をしているサークルだった。サークルというより学生団体というのがより正確である。海外の学生が日本の企業で働くインターンや、日本の学生が海外の団体で短期間働くインターンのプログラムを作っていた。(ここまで書くと「あそこか」と思われる方がいると思うが、名前は伏せたまま書く。)

まさに自分がやりたかったような国際系の活動が出来ると思ったわけだ。しかも、この団体は貧困や環境問題といった社会課題に対しても関心を向けていた。

 

どうせ何か活動をするなら人のためになるような活動をしたいと思っていたし、一朝一夕では解決できない社会課題に対して、学生の立場でもアプローチしたいという一種、暑苦しいとも言える方向性が私には割と心地よかった。

中学でも高校でも、ストイックに上を目指したい自分と、楽しめれば良いという周りとの間で温度差を感じていた私は、良いと思ったことをそのまま実行できる環境に身を置きたいと思っていた。その点、この団体は「こういう努力もできるのでは?」という真面目な思いに対して「そんなの無理だろ」と笑い飛ばしたりしない、個々人の思いを尊重してくれる雰囲気があった。

 

一度の新歓で、「ここに入りたい」と確信できた。入会締切も残り数日に迫っていた。ここなら伸び伸びと、今までやったことのないことを経験できそうだと、その日の内にここにしようと決心した。

 

そうして、長かった私のサークル選びが終わったのだった。

 

かなりの吟味を経てサークルを決めた訳だが、実際この選択は自分にとって正解だったと思う。

今まで全く見てこなかった「海外」という世界が目に入ってくるようになったし、インターンのプログラムを企画する経験は創造的で面白かった。先輩や同期も良い人達で接しやすかったし、それぞれ個性が光る者達ばかりで面白かった。

とはいえ、1年目は先輩達が進めていくのについていくことが大半で、自分で考えて主導することが少なかったので不完全燃焼の感もあった、というのが大学1年目の総括。

 

あと、サークルの人とたくさん遊んで、大学生っぽいことは一通りやった1年目だった。旅行に行ったり祇園祭に行ったりユニバに行ったり浴衣着て花火したりホームパーティーしたり。授業もたまに手を抜きつつ般教の単位をほぼ全て取り切っていたので、学業もちゃんとやっていたと言えよう。

 

そんなこんなで大学1年目は終わり。

 

 

2.大学2年目

学部の専門科目が始まり、少し学業が難しくなったなと思ったり、1年の秋から始めた小料理屋でのバイトが本格的に忙しくなったりと変化はありつつ、

1番大きな変化は、サークルを主導する学年になったこと、そして後輩が入ってきたことだった。

 

同じ活動でも、先輩が決めた方針の通りに進めるのと、自分達で方向性を決めて進めるのとでは、面白さが断然違った。自分で決めるのって大変だけど、だからこそ面白い。

 

そして後輩が入ってきて、教える立場になったこと。自分が先輩になってみると、後輩にどう伝えれば分かってもらえるのかも難しいし、後輩とどう仲良くなるかも難しい。

 

今まで「後輩」だった時には考えなかったようなことを考えさせられた。親の気持ちは自分も親にならないと分からないってよく聞くけど、まさにその通りなんだろうなと思った。話には聞いてても経験してみないと分からん。

 

結局、自分達で主導したチームは、活動実績としてはまずまずの結果で終わった。とは言え、最初に立てた活動目標は2~3割しか達成できなかったので、全然駄目だったと評価が適当かもしれない。

ただ、2~3割の結果でさえ出すのが大変だった。「実行し成功させるのは想像の何倍も大変」という当たり前のことが身に沁みた。1時間のイベントを開催するのには100時間の準備が必要、くらいが現実なんだなということが分かった。

 

他に良い面に目を向ければ、同期後輩共に、腹を割って話せるくらい打ち解けて、良いチームを作れたというくらいだと思う。悩む後輩の話を聞いて、結果、決断する背中を押したりもできたので、人間関係は進歩があったと思う。

というのが大学2年目。

 

 

ここまではまあ普通なのだが、3年目辺りから波乱が起こってくる。

…と、これからの展開に期待を持たせたところで今回は終わり。

 

これは筆者が1週間の執筆期間を置いたにもかかわらず、締切前日に2年目までしか書けなかったからではなく、長くなりそうなので記事を3分割した方が読みやすいと思ったからだよ! 自分の都合ではなく読者の方の都合を考えてのことだよ!次回がたのしみだね!

 

…ふう。

 

では、ここまでお読みいただき有難う。次回作をお楽しみに。