先日、京都大学総長である湊 長博氏がコロナ感染防止策をまとめた「学生諸君への緊急メッセージ」を発表しました。
このメッセージは学生の間でかなり評判が悪かったのですが、最近このメッセージを賞賛するツイートがそこそこRTされており、世間とのギャップにびっくりしました。
学生と世間でどうしてここまで評価が分かれたのでしょうか。自分なりに説明してみたいと思います。
不遇の一年
ほとんどの学生にとって昨年はたくさんの不満を抱えながらもなんとか生き延びた一年でした。その不満の具体例をいくつか挙げます。
・前期(4-7月)はオンライン授業でほかの学生といろいろ話す機会が無いに等しい状況であった。後期も一部対面授業が再開されたとはいえ、それでもほとんどの授業がオンラインのままで前期と状況はあまり変わらなかった。新しい友達がほとんどできないまま一年を終えようとしている人も多い。
・そもそも前期は授業が始まる一週間前になって突然オンライン授業化が決定して、下宿を借りていた人はかなり振り回されてしまった。
・サークル活動や部活動も大幅な制限を受けており、まともに活動ができない。それでもなんとか活動しようとしても飲み会の禁止や多人数の飲食の禁止など日常生活が大きく制限される。
・海外旅行や留学に行けない。国内でも移動が制限された。
などなどここに挙げたもののは氷山の一角に過ぎません。この他にも様々な不満要素がありました。
確かに社会情勢上このような制限が課されてしまうのは致し方ないことかもしれません。それでも多くの学生は歯を食いしばってなんとか一年生き延びてきたのです。昨年はずっとそんな状況に置かれており、不満が溜まっています。
学生が本当に必要だったもの
そんな状況において、せめて大学からは労いのようなものが欲しいのではないでしょうか。本当に学生が大学に求めていたものは「一緒にこの困難を乗り越えていこう」というメッセージと困難の克服を達成しようとする姿勢といえると思います。
学生がかなり抑圧されており、不安も溜まっていたという背景を知っているかどうかでこのメッセージの評価は二分されます。
「わかりやすいコロナ感染防止策を述べた総長メッセージ」と捉えるか「昨年一年学生が我慢してきたという背景がありながら、労いの一つもせずに淡々とわかりやすいコロナ感染防止策を述べただけの総長メッセージ」と捉えるかで大きく評価は変わります。
メッセージを発信するときに大事なこと
何かを伝えたいと思ったときにはそのメッセージを受け取る相手のことをどれだけ考えているかが大事だと思います。そのためには相手の読解力、共有している背景や文脈などをあらかじめ想定しておくことが肝心です。
この総長メッセージは受け取る相手である京都大学の学生について思いを馳せていなかった文章といえるでしょう。その点でこのメッセージはほとんどの学生からは支持されないものであるといえるのです。