ハイパーインフレか債務調整か

ハイパーインフレか債務調整か

諸国のコロナ禍における現金給付に端を発するインフレが、ウクライナ危機で更に加速し、その勢いが日本にも迫りつつあります。インフレへの処方箋として各国中銀が利上げやバランスシートの縮小を開始する中、金利差の拡大に伴うと見られるドル高も合わさって海外インフレの国内波及は既に始まっています。日本銀行は依然としてイールドカーブコントロール(長短金利抑制)という国債購入を通じた金融緩和を継続しており、引き締めへと転じる様子は皆目ありません。確かに、足元の物価上昇は海外起因の一過性であり、直ちに金融政策を大きく変更する必要は無いという黒田総裁の見解も、もっともに聞こえます。しかし、今後インフレが更に進行した場合、日銀が適切な金融政策を取り得る余地は、果たして残されているのでしょうか。帰結がいかなるものになるのかを、河村小百合氏と藤巻健史氏の見解から考えます。

 

 

問題の前提は、黒田日銀が2013年から行っている「異次元の金融緩和」の出口戦略を10年近く経った現在に至るまで、黒田総裁を初め「誰も」提示できていないことにあります。驚くべきことに、黒田総裁は国会答弁で出口戦略を問われても毎回「時期尚早」と答えるのみに留め、出口戦略を述べたことはありません。これは、政策を開始する前に出口まで見通し、議会など公の場で議長らが繰り返し説明する米国FRBや英国BOEの姿勢と比較して、最悪の状態と言えるでしょう。(各国中銀の比較は河村氏の文献を参照)

 

そのため、まともな出口(ソフトランディング)は存在しないと考えられています。2022年7月4日放送のBS番組「報道1930」でも、その点においては3人の識者の意見が一致しています。3人の意見の相違は、問題解決のための時間が残されているか否かでしょう。

日銀“異次元”死守のツケ 海外ファンドとの攻防【7月4日(月)#報道1930】 – YouTube

本稿では、出口(ハードランディング)がいかなるものになるのかを検討し、個人が取れる対策についても考察します。

 

問題の本質は、日銀という中央銀行の債務超過が日銀と日本円の信認に与える影響が、どのようなものになるかです。世界的にインフレが加速し、海外中銀による利上げが、日銀に対しても利上げ圧力として働く中、発行済み日本国債の実に50%以上を保有する日銀は、2022年の今、現実的に債務超過のリスクに晒されているからです。金利が上がると国債価格は下落し、10兆円程度の準備資産しか持たない日銀は数%の金利上昇にも耐えることができません。「日銀は中央銀行であって、自らお金を刷れるから問題は起きない」という程度の理解では、問題の本質を理解することはできないでしょう。(詳細は、後ろの※を参照して下さい。)

 

藤巻健史氏によると、中央銀行が債務超過しても問題が起きないとされる条件は3つに纏められます。

1、債務超過が一時的

2、金融システムの堅持のためであり、中央銀行の金融政策はきちんと行われている。

3、国家財政が健全か最低限黒字化に向かっている

保有している外貨準備の自国通貨建ての評価で、中銀が債務超過することは珍しくありません。2015年にフラン高による為替差損を被ったスイス中銀などです。

今回、日本・日銀が接すると目される債務超過はこの3条件全てに反しています。第1に、日銀保有国債の平均残存期間は7〜8年と目されており、そのようなことが可能とは思いませんが仮に今から新規国債購入を一切停止して償還していっても、それだけの期間債務超過であり続けます。なお、日銀は満期保有を前提に国債を保有しており、国債を時価評価していません(これは米国FRBも同様)。そのため債務超過にはならないとの見方は可能ですが、外部の人間が日銀・日本円に対する評価を行う時、日銀自身の評価方法はそれとは無関係ではないでしょうか。中央銀行に対する信認の基礎はひとえに「信用」に尽きるため、大勢の人が日銀は信用を失ったと思えば、日本円を手放し始めるでしょう。それは日本円の価値が無くなっていくことを意味します。

第2に、そもそも日銀が2013年から行なっているのは「非伝統的金融政策」であり、実験です。効果や影響が事前に検証されているものではありません。当初2年で終わるとされていた実験も10年近く続けています。効果も行く末も検証しながら慎重に実験を進めている欧米諸国の中銀とは異なり、出口戦略すら説明されない日銀の金融政策は正しく行われていると評価することはできません。

第3に、日本の国家財政が火の車であることは周知の事実です。政府だけで1000兆円以上の債務があります。((よく日本のMMT(現代貨幣理論)やリフレ派の人々が言うことですが、政府の借金は日銀が全て引き受けるから問題が無いということはありません。本稿で述べているように、そのことに起因する問題が、大きな問題があります。統合政府で考えても同じです。交付国債も議論に値しないと思います。これは中央銀行の信用の問題です。))日銀が危機に瀕しても日本政府が税収で助けられるなら良いですが、現状はそうではないということです。河村氏の論考にあるように、イングランド銀行はバランスシートの拡大を始める際に、買い入れのための主体(APFと呼ばれる。BOEの「子会社」)を中央銀行本体とは別勘定で作り、出口の際に生じる損失は英国政府が補填することを予め決めた上で、量的緩和に臨んでいます。英国が中央銀行の財務体質にいかに注意を払っているかが分かりますし、また払わなければならないということです。BOEは1694年からある中銀界の老舗です。

 

それでは、このような事態の帰結はいかなるものになるでしょうか。

藤巻健史氏によると、日銀は債務超過によって信認が失われ、日本銀行券に対する信用も失われると言います。つまりハイパーインフレです。為替レートは当初こそ円安に進むでしょうが最終的には恐らく機能せず、紙幣は紙クズになります。第一次大戦後のドイツのように、財務体質が健全な中央銀行を新しく作り、新円を発行することで事態の収拾が図られるとされています。

河村小百合氏によると、終戦後日本のような巨額の、暴力的と言える債務調整が行われるとされています。巨額の債務返済のために大増税がかけられ、国内外の資本移動は規制され、日本企業のグローバルな活動に支障が出ます。国民が銀行から引き出せる預金額も制限されます。実例として、2008年に国内メガバンク3行が連鎖倒産したことに伴う救済により財政が悪化したアイルランドが挙げられています。アイルランドは2008年から2017年までの約9年間、上記のような重税・資本移動規制がかけられており、島国でありながら、人口の3%が国外へ流出したと推計されています。

 

このいずれの事態が実際に起きるか否か、複合的に起きるのか、あるいは全く別の事態が生じるのか生じないのか、私には分かりません。ただし、このような事態が可能性としてアベノミクス開始後の比較的早い段階で予言されていたことは記憶に留めておく価値があると思います。。しかし、まだ決定付けられた訳ではありません。一有権者としての私たちが、政府に健全な財政運営をするように求め(コロナ禍の一律現金給付を無批判に喜んでいてはいけないということです)、税負担を受け入れることで、日銀のバランスシート縮小と政府債務の対GDP比での低下が見込める可能性は残されています…(無理筋かもしれませんが…)。

 

このような事態に接して、個人にできる対策は何でしょうか。

藤巻健史氏は、ハイパーインフレ対策として米ドルや暗号資産を持つことを勧めています。日本円に価値が無くなるので、日本円以外の通貨や資産を持つということでしょう。

しかし、巨額の債務調整を想定すると、その種の対策は有効かどうか分からない部分もあります。いくらドルや暗号資産に変えたからと言って、資産を所有していることには変わりないからです。ハイパーインフレと債務調整が同時に行われる場合には、有効な対策になり得ると思います。注意すべきは資本移動規制です。銀行の外貨預金は銀行倒産時の補償の対象外なので言うに及びませんが、銀行等を利用する公的な送金には規制がかかる可能性があります。ビットコインの送金を禁止するためにはインターネットを規制する必要があるため、銀行送金よりは安全と思いますが、国内の暗号資産交換業者が破産する可能性や、暗号資産を円転した後の銀行引き出しは同様に規制の対象となる可能性があります。今のうちにプライベートウォレットの扱いに慣れておく必要があると思います。

 

ここまではハイパーインフレと債務調整という非連続的な事象の発生を想定してきましたが、最後に連続的な問題解決の可能性について触れておきたいと思います。

日銀が債務超過しないか、あるいは債務超過したとしても日銀に対する信任が失われない場合、連続的な調整の可能性が残されています。ある程度のインフレやある程度の円安を社会が許容しながら、最終的に政府債務の対GDP比がインフレによって減少していくというシナリオです。これをインフレ税と呼びます。実際にそのような名前の税金が課される訳ではありませんが、国民がインフレの負担を負うという意味です。

連続的にせよ非連続的にせよ、最終的には国民が何らかの形で政府の負担を負うことに変わりはありません。

しかし、急激な(非連続的な)変化に伴う弊害を考えると、最後に述べた連続的調整の実現を期待しています。

 

「マイルドなインフレ」による「金利生活者の安楽死」

 

そもそも日銀は、何の裏付け資産もなく、日本円を発行できる訳ではありません。発券銀行券や、市中銀行等の日銀当座預金はバランスシート右側の負債として計上されます。そのため、バランスシート左側の資産部門に裏付け資産が必要となります。現代においては主に国債が資産部門に占める主要な項目です。日銀は市中銀行から国債を購入しているので、左側に国債、右側に日銀当座預金となるわけです。

金融緩和からの出口戦略とは、バランスシートを縮小し、金利をインフレを適度に抑制できる水準まで引き上げることを意味します。現在の日銀の政策はイールドカーブコントロール(長短金利抑制)と呼ばれます。短期金利を日銀当座預金のうち政策金利残高に対する付利金利を-0.1%、長期金利を主に10年物国債の買い入れにより0±0.25%(実質的には+0.25%以下)に維持するということです。

量的緩和からの出口戦略には、

1、バランスシートを縮小して長期金利を上昇させる方法(市中での国債売却か、満期保有による償還)と、

2、当座預金に対する付利金利の引き上げ

という2つが存在します。

1の場合。現在市場において日本国債の主要な買い手は日銀しかいません。だからこそ、発行済み国債の50%以上を日銀が保有するという異常な事態となっています。そのため、市中での国債売却は金利の暴騰(国債価格の下落)を意味します。流動性が低すぎるのです。それは、日銀にとっては残りの保有国債の大規模な評価損となるとともに、実際に売却すると損失が確定していきます。政府税収による補填無しには実施できないでしょう。満期保有による償還を目指す場合でも、市場に買い手がいない以上、日銀が購入を停止した時点で長期金利が上昇し、日銀に保有国債の時価評価損が生じます。最終的に国債が全て(現実的には全てではないかもしれませんが)償還されるまでの長期間(現在の日銀の国債の平均残存期間は7〜8年と目されています)、日銀は時価で債務超過であり続けます。

この原因は何でしょうか。それは、日銀が自身の買い入れにより金利が既に0%に近い水準の国債を大量に購入しているためです。それ以上高くなりようが無い資産を大量に買い入れているのです。同じ量的緩和をしていても、外国の中銀の場合は事情は異なります。例えば米国FRBは、ある程度高い利率の財務省債券を市場から買い入れたため、財務状況にある程度の余裕があります。

2の場合。当座預金に対する付利金利とは、市中銀行等が日銀に持っている当座預金残高に対する利子の支払いのことです。現在は、当座預金のうち政策金利残高に-0.1%のマイナス金利が付与されていますが、出口局面においては、この金利を引き上げることになります。当座預金残高は日銀バランスシートの右側で、日銀が大量に購入している日本国債に対するカウンターパートであるため、数百兆円の残高があります。そのため、金利上昇局面においては、数兆円の利払いが毎年発生することになります。日銀の保有資産である外貨準備約8兆円や金準備約0.4兆円を数年で食い潰すため、政府税収による補填が必要となります。

出口から出なければいいという見解もあると思います。河村氏も「確かに今のような低成長・低インフレ状態、そして円の外国為替相場も安定している状態が永遠に続くのであれば」と述べています(『中央銀行の危険な賭け p.114』。)しかし現実の2022年の世界では、世界的なインフレと金利上昇圧力があり、円の為替相場は20円も動いています。国民がツケを払う日は近いかもしれません。

 

参考文献等

書籍

『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(河村小百合、2020、朝陽会)

『中央銀行は持ちこたえられるか -忍び寄る「経済敗戦」の足音』(河村小百合、2016、集英社新書)

『日銀破綻 持つべきはドルと仮想通貨』(藤巻健史、2018、幻冬社)

インターネット

世界経済「インフレ局面」転換で露呈する日銀の“不都合な真実” (DIAMONDonline、2021.12.13、河村小百合)

・河村氏のWeb記事は日本総研のHPから無料で閲覧できます

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日銀“異次元”死守のツケ 海外ファンドとの攻防【7月4日(月)#報道1930】 – YouTube

(BS-TBSのアーカイブ)