こんにちは京都大学東京大学同好会会長です。先日、日本学術会議の任命において京大の教員を含む六人の学者の任命が菅内閣総理大臣によって拒否されました。これについていろんなところで賛成やら反対だの日本学術会議は廃止しろなどといろんな言説が飛び交っています。そこで、今日はもう旬を過ぎましたがこの問題を軸に表題のテーマについて喋っていきたいと思います。
そもそも民主主義とは何かと言ったら難しいのですが、めちゃくちゃ単純に言えば組織の構成員全員に意思決定に参加する権利を与えた意思決定方法です。国政の意思決定を全国民でやることを民主政治、国王とか国家元首一人でやることを専制とか独裁とか言いますね。話を戻します。民主主義は民主主義を制限できるのかってかなり抽象的な話ですが、原理的には可能です。しかし、ほとんどの場合には憲法や法律などによって規制されているため民主主義は制限できません。個別の権利に関して言えば規制などできますが、基本的に意思決定に参加する権利は守られているので、規制することは出来ません。抵抗権のように腐敗した民主主義をぶっ壊すみたいなことはフランスでは認められていたかと思いますが、日本では認められていません。めちゃくちゃ頑張らない限り日本では民主主義を制限することは難しいですね。
本題に戻りますと、ここで重要なのは「それぞれの集団ごとに民主主義がある」ということです。全国民で構成される国家という組織もあれば、一部地域の人のみで構成される自治体という組織もあります。例えば大阪府の人間には京都府の選挙に関わることはできないように、日本学術会議も他の組織に干渉される謂れはないわけです。大阪の人間が京都府に対して私にも選挙権よこせというのは直感的におかしいと感じるでしょう。自分の属さない組織に対して民主主義を盾に自分の権利を行使しようとしても、意思決定に参加する権利が認められていないので、無理なのです。これは法律によって規定されていて、自治を認められた組織はその組織外の人を排除して民主主義をすることができるのです。つまり、日本学術会議の中での民主主義的なプロセスを経た決定に構成員以外が干渉されることは許されないのです。
まとめると、他人の権利を侵害することが法律で禁じられているのと同じように、自分の属さない組織の権利を侵害することも法律で禁じられているということです。法律によって自治を認められた組織の権利は法律によって守られているとも言えるでしょう。つまり、自分のところの組織の民主主義は頑張れば制限できますが、他人の組織の民主主義は基本的に制限できないのです。これが自治権とも呼ばれて京大内でもいろいろと議論されている概念の一つです。また、任命者が内閣だから拒否できると言う意見もありますが、天皇が内閣の任命を拒否しないのと同様に慣例によって任命は拒否しないことになっています。それなら独立を真に担保するために日本学術会議の任命を天皇の国事行為の管轄にしてしまえばいいのですが、流石に難しいので妥協して内閣の管轄にしたのではないのかなと思われます。ちなみに日本では安易に憲法や法令を変えず、解釈の変更によって柔軟に対応するという特徴がありまして、実はこの解釈変更がかなり難しい部分があって、それが権力の暴走を一部防いでいる面があります。
またまた話を戻しますと、ここで主要な論点の一つになっていることですが、税金が使われているのだから文句を言ったっていいじゃないかという主張があります。これは勿論その通りですが、税金の使い道を指摘することと他の組織内の民主主義に文句を言うことは別問題なのです。今回はそれがごっちゃになっているせいで反日本学術会議の主張が罷り通っているように見えますが、今回の問題は本来権限を持っていないはずの組織への介入です。ここは見誤っていけないでしょう。もう一度言いますが、自分の属さない組織の権利を侵害することは法律で禁じられているのです。ちなみにちなみに大阪市で都構想が可決されても同様の理論で勝手に堺市を編入することは出来ません。堺市での民主的な決定を経なければ堺市を含めた都構想は出来ません。
ここまでざっくりと今回の日本学術会議の問題を話してきましたがいかがでしたでしょうか。日本学術会議の問題や民主主義のあり方について興味を持ってくださったら幸いです。自分は政治学の博士号とかを持っているわけではないので、深く突っ込んだ話は出来ませんが、まあ詳しいことは京大法学研究科の高山先生とかに聞けば教えてくれるかと思います。何か間違ったことがあるよって方や議論したいという方がいたらツイッターのDMまで来てください。お待ちしております!(寄稿:京都大学東京大学同好会会長)