バレンタインに反抗してみる

バレンタインに反抗してみる

2月14日は「バレンタインデー」ですが、あなたはどう過ごす予定ですか?

この記事では「異性愛規範」の観点から、日本のバレンタイン文化について考えます。週末のチョコレート戦争に向けて、ちょっと斜に構えながら反抗を試みますので、どうぞお付き合いください(この記事は5分で読めます)。

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女性が男性にチョコレートを贈る「異性愛規範」

計算する女の子
期待してる男の子
ときめいてる女の子
気にしないふり男の子

バレンタインが近づいて
デパートの地下も揺れる
[中略]
お願い想いが届くといいな
対決の日が来た

Perfume 「チョコレイト・ディスコ」作詞作曲:中田ヤスタカ

誰だってサビを口ずさめるであろう、Perfumeの名曲から歌詞を引用しました。ここでは、女の子が男の子に、ひそやかな恋心と共に、チョコレートを渡すことが暗示されています。多くの人は違和感なく読める歌詞かもしれませんが、圧倒的に「異性愛規範」が現れています。

身近な板チョコの広告にも、この「異性愛規範」は用いられています。某メーカーは、今年の広告塔として吉沢亮・浜辺美波(敬称略)を起用し、両者の間にいかにも恋愛的な雰囲気を演出しています。

上記2つの例から感じられるような「男性と女性が恋愛することが当たり前という風潮」は、「異性愛が規範化されている状態」と言えます。これがこの記事で言う「異性愛規範」の定義としておきましょう。このような風潮は、私たちの日常の至る所で発見することができます。感度の高い読者にとっては、いちいち指摘するまでもないことかもしれません。

この規範はそもそも、バレンタインが日本に普及した時点で存在していたものでもありました。バレンタインという概念が西洋から来日する経緯の中で、既に異性愛の風潮が刷り込まれていたのです。では、過去に遡ってみましょう。(お急ぎの方は、飛ばしてくださって構いません。筆者があなたに一番読んで欲しいのは最後の章です。)

すでに1960年代から組み込まれていた

本来バレンタインデーは、中世キリスト教と関わりを持つものでした。これが脱宗教化したのは16世紀ごろで、宮廷恋愛に持ち込まれ、だんだんと近代資本主義的なイベントとなっていきます。メディアには「愛の日」として取り上げられるようになり、欧米では夫婦など決まったパートナーに贈り物をする日となりました。男女関わらずプレゼントし合うことや、その内容もディナーや花束と多岐に渡っていることは異なりますが、「愛する人にプレゼントを贈る」という部分は現代日本のバレンタインデーにも通底していますね。

日本に広まったのは1960年代からです。その火付け役となったのは、製菓会社とデパートによる広告でした。1932年にモロゾフが「バレンタイン には愛する人にチョコレートを」と銘打って新聞に広報したことを契機に、1960年代には多くの製菓会社やデパートが、バレンタインを商売時と見なすようになりました。製菓会社やデパートの主な顧客層は若い女性。当時女性の社会進出が進み経済的余裕も出来始めていたことも相まって、「バレンタイン=女性が唯一、男性に愛を告白できる日」として、だんだん定着していきました。

まとめましょう。バレンタインデーはそもそも、日本に輸入される前から「愛の日」として馴染まれていました。バレンタイン商売に活用されたのが、「女性が男性に愛を込めて贈り物をする」という変形した異性愛規範であり、広告がそれを後押ししたのです。バレンタインチョコレートというものが日本に定着した際にはすでに、異性愛規範が組み込まれていたと言えます。

バレンタインの異性愛規範に反抗してみる

ここまで、バレンタインには異性愛規範が染み付いていること、その規範は過去から受け継がれるかなり根深いものであることを確認しました。近年、この規範に疑問の声が上がっているのを散見できます。

コスメブランド「LUSH」は2017年、バレンタインキャンペーンのモデルとして同性のカップルを起用しました。社は以前から、LGBTQへの理解や同性婚合法化の支持をオープンに発信しています。

市民運動もあります。レインボーバレンタインというキーワードで検索をかけると、各地の活動について情報を得られます。多様な愛のあり方を提示するために、民間団体からも声があがっているのです。

では、企業でも活動団体でもない私たちに、何ができるのでしょうか?
筆者があなたに提案したいのは「無意識に規範を再生産しないこと」です。

この記事をここまで読んでくれたあなたは、バレンタインが異性愛規範を孕んでいることを知っています。この規範は、異性でない相手を愛する人や恋愛に興味を持たない人に、窮屈な思いをさせるものかもしれません。

「バレンタインの収穫ゼロ、そもそもおかん以外の女と会ってねえ」
「男子部員全員にクッキーつくるってよ、Aさん。まじ女子力」

こんなこと、言ってませんか?呟いてませんか?
異性からプレゼントを貰えて嬉しい気持ち、告白したいからチョコを手作りすること、それは結構です。とっても素敵な営みだと思います。しかし、それを当たり前のこととして他の人に発信するのは控えるべきだと、筆者は感じています。

規範を積極的に批判したり、別の選択肢を考案したりするのは非常に難しいことです。だけど、その規範に無意識に流されることや、それを当たり前とする空気を自ら持ち込むことは、少しの心がけで誰でも防げます。

バレンタインの異性愛規範に、ちょっとだけ反抗してみませんか?


参考文献
山田晴通「「バレンタイン・チョコレート」はどこからきたのか(1)」『東京経済大学人文自然科学論集』第124号、pp.41-56、2007年。(https://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/481/1/jinbun124-05.pdf 2020.01.20最終閲覧)
浜本隆志『バレンタインデーの秘密:愛の宗教文化史』、平凡社新書、2015年。
LUSH HP「Valentine’s Day」(https://jn.lush.com/products/valentines-day 2020.01.25最終閲覧)
北折充隆『社会規範からの逸脱行動に関する心理学的研究』、風間書房、2007年。

かなり固有名を挙げて述べてきましたが、木兎自身はPerfumeもガーナチョコも大好きです。異性愛をモチーフとしている作品や広告をバッシングするという意図は全くありませんことを、末尾にはなりましたが付け加えておきます。なお「Perfumeのチョコレイト・ディスコを誰しも口ずさめる」という規範については、異論を認めません。

 

 

 

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