11月祭の歴史ー序章:NFって何?どうやって生まれたの?

11月祭の歴史ー序章:NFって何?どうやって生まれたの?

こんにちは。気付けば京大に来てから3年目になります、ただのアホと申します。今回、11月祭についての記事を書くことと相成りました。元々は京大の現状を知るための企画というのがあったのですが、気づけばどこへやら……。別にこの記事は上の企画のために書いたという訳では無いのですが、そのシリーズの一つと考えてもらっても大丈夫です。一応、自分なりにもこのシリーズを始めるきっかけや理由みたいなのはあるのですが、少し長くなるので、また別の機会にでも書きます。

今回は11月祭で起こった出来事について触れる前に、11月祭の概要・沿革について軽く触れておきたいと思います。次に、この後、取り上げる予定であるテーマ・出来事について軽く紹介します。そして、最後に協力のお願いをするという形で一度締めようと思います。

今年も全面オンライン開催になりそうな上、NFテーマや公式キャラクター(のべんば)のことで(主にTwitter上で)物議が起こっている今、NFの起源や、それに際して起こった問題に目を向ける良いタイミングではないでしょうか(知らんけど)。まぁ、ゆっくりご覧ください。

1.エヌエフって、なんですか?

1-1.11月祭の規模と日程~コロナ前最後の祭りを基に~

2019年の第61回11月祭パンフレット

ここでは11月祭がいかなるものであったのか、2019年開催のNF(とその時のパンフレット)を引き合いに出して説明しようと思います。それよりも前の11月祭については、残念ながら僕が見ていないというのもあってあまり語ることができません。その点ご了承ください。

1-1-1.前夜祭

11月祭は基本、木曜から日曜にかけての4日間開催されます。木曜と金曜(そして、NF後の月曜日)はアカデミックカレンダーでは既に休日となっており、それは新型コロナでNFが対面で開催されなくても一応は継続されています(今年は11/19(金)と11/22(月)が休日となっている)。

この4日間の間で多くの京大生やその関係者が模擬店や催しを出すのですが、その前日(つまり、水曜日)に前夜祭が開かれます。前夜祭はNF全学実・事務局の開催ではありません。この前夜祭は応援団が主催しております。吉田南のグラウンドに各サークルが模擬店を出し、そこに授業終わりの京大生が集まります。ステージでは応援団をはじめ様々な団体が各自の演技を披露します。こうしてNFは一足早く熱気を帯び始めるのです。

第58回(2016)の11月祭前夜祭

ちなみに、熊野寮生はこの京大生などが大量に集まる日に、熊野寮祭のパンフレットを配布してます。拡声器を使い、時には種々の模擬店にパンフレットを置いてもらうこともあります。NF当日にも配ってはいますが、前夜祭の方がかなりパンフの捌けが良いです。

あと、これは11月祭前によくあることとして一つ。NFが始まる前、前夜祭とかNFで模擬店をやる団体・サークル(一回生クラスやテニサーなど)に所属してる一員からよく「前売り券を買わないか?」と声をかけられます。前売り券とは、祭りが開かれる前に買うことができるもので、これがあれば模擬店の食品と交換してもらえます。値段も当日に買うよりも安くなるのでお得ではあります。よくサークルで「ノルマとして前売り券を○○枚売ること!」ということを言われることもありました。

1-1-2.11月祭(通称:NF)

吉田南構内総人広場での11月祭本祭の様子

4日間にわたり、様々な出店・模擬店・フリーマーケット・演技……etcが、京大生をはじめ、他大生や近隣住民により開かれる&行われます。開催場所は吉田南構内のほぼ全域、吉田本部構内の法経本館や文学部新棟、時計台周辺にまで及びます。めちゃ広いです。

時計台前では様々なパフォーマンスが行われ、特に京大のニコテラ(ニコニコダンステラミック)は圧巻です。時計台のそばでは、教育学部を除く全ての学部の1回生有志が模擬店を出しております。ここで大学で後にも先にもないクラスの思い出を作った人もいるのではないでしょうか(僕のクラスは模擬店やんなかったけど)。NFを盛り上げるのはサークルや部活ばかりではありません。研究室の中にもNFで企画を行う場所もあります。

本部構内(時計台周辺)の模擬店の様子

このNFには様々な人々が来ます。信州大の人はリンゴを持ってきてNFに馳せ参じていました。大きな鯉を背負う黒髪の女性は京大の色んな所で目撃されました。そして、コタツを囲んで鍋をつつく集団もおりました。他にも仮装したり、京大職員のマネをして立て看板を撤去する学生もおりました。また、著名人による講演やライブもNFの特色の一つです。一昨年は、ロボット・アンドロイド開発で有名な石黒浩(阪大教授)が講演を行ったり、井上苑子がライブを行ったりしておりました。あと、前原誠司も来てたっけな、定かでは無いけど……

当日には、NF事務局の人が学外者向けに京大キャンパスツアーを行ったり、フリーマーケットや古本市などを一般人がやったりと、京大生以外の活動も非常に盛んであるのも、11月祭の特徴と言えるでしょう。

1-1-3.北部祭典

本部構内を離れ、今出川通りを挟んで北部構内に行くと、そこでは別のお祭りが開かれております。北部祭典です。そこでも多くの模擬店や企画が催されておりました。特に、京大の学生や教員が現在の京都大学に少し批判的に見る企画「ここがダメだよ京都大学」はかなりリベラルな企画でした(NFが対面で開かれなかった去年もオンラインで開催)。

あと、一昨年のNFは全面禁酒となっており、吉田南・本部構内ではアルコールの摂取・販売は行われていませんでした。しかし、ここだけはNFとは異なる組織が運営しているため、アルコールを口にすることができました。

1-1-4.教育学部祭

同じ本部構内でも教育学部の周りだけは少し違います。教育学部生は同じ期間に教育学部棟の周りで1・2回生が模擬店を開いたり、ステージで色々な演技をしたりしてます。これが先ほど、時計台の周りにて1回生が模擬店を出す学部の中で、教育学部だけが除かれた理由です。

この教育学部祭のおかげ、だけではないとは思いますが、教育学部生の間で割と友好関係が深い(ド主観)のは、こうしたイベントがあるからのように思えます。

1-1-5.フィナーレ

第54回(2012)11月祭フィナーレ

日が沈み始め、いよいよNF最終日も終わりが近づくと、フィナーレが近づきます。しかし、ここでも祭りの火は燃え盛っています。フィナーレは吉田南のグラウンドで行われます。相も変わらず模擬店が軒を連ね、最後のひと踏ん張りをします。ステージではNF事務局よりお声が掛かった選りすぐりのパフォーマーがNFの有終の美を飾ります。そして、最後にグラウンド中央でキャンプファイアーが焚かれ、祭りは本当の終わりを告げます。

1-1-6.後片付け日

NF最終日の翌日、つまり月曜日もお休みであることは先ほど述べました。その理由は、この日に各模擬店やステージの解体・片付けが行われるからです。こうしてNFで熱狂し盛り上がった人々の痕跡は全て消え去り、京大構内は日常に戻ります。そして、また来年……。

何も企画や模擬店をしてない人から見ればただのお休みなので、暇人の私はその日、奈良に寺社仏閣巡りの旅行へ行っておりました。

1-2.11月祭の開催経緯~いかにしてNFは始まったか~

ここでは少し語調を変えること、ご了承・ご容赦ください。

1-2-1.戦前・戦後直後の京大イベント(~1947)

戦前から京大生(当時は三高生も)によるイベントは開かれていた。1899年からは教員・学生の有志により運動会(1909年に中断、1920年に復活)が、1924年からは学友会(今で言うと、教員・学生による全学自治会)により創立記念祝日の園遊会が開催された。特に、後者については、飲酒問題で学内が二分され1929・30年は開催できていなかったが、1931年に3年ぶりに開催された。酒について問題となるのは、90年以上前も変わらないことを感じる。

6月の創立記念式には講演会や演奏会などの行事が開かれた。この一連の行事は「6月祭」と呼称され、1937年に公式に「6月祭」という名称は用いられているが、それ以前にも「6月祭」という呼び名は使われていたようだ。また、「6月祭」が公式に用いられた1937年には、第1回の京都学生祭が開かれた。これは、京大というよりは京都の大学生による祭りである。第2回の京都学生祭は戦後(1946年5月)になるまで開かれなかったが、戦前の学生によるイベントとしては、見ておく価値はあるだろう。

戦時中には運動会や園遊会は中止されるも、創立記念祝日には行事が行われ、学内では細々とイベントが開かれた。

戦後となり、1946年には京大の全学自治会である同学会が発足した。その翌年(1947年)には50周年記念祭が秋季(10月)に開かれ、これを機に京大内での学生の祭りが復活する兆しが見られた(この50周年記念祭を11月祭のルーツとすることもある)。同時に、同学会による学生主導の祭りを計画しようとする動きが出てきた。

1-2-2.京大生の祭りの始まりー同学会と「11月祭」(1948~58)

1948年に「京大学生祭」または「10月祭」が10日間(10/25~11/3)にわたり開催された。これは同学会により主催され、実質的に学生の祭の復活と言えるものであった。1949年には秋に加えて春にも学生の祭りが開かれ、このように春と秋の2回文化祭が開かれる形態が数年間続いた。翌年には、学園祭は11月祭に近い企画・運営の形態で行われるようになった。

一方で、1950年には春に平和文化祭が、1951年には学外で春の文化祭の一環として「綜合原爆展」が開催された。このように同学会が文化祭を通じて社会運動を起こすこともあった。しかし、同学会は同年11月に京大天皇事件によって解散させられることになる。

同学会が解散した翌年、1952年にも学生による祭りは文化祭準備委員会を中心に行われた。1953年には、負担軽減のために春と秋の文化祭を秋に一本化する案と共に、文化祭の名称を「11月祭」とする案について学生と大学の間で話し合いがなされた。しかし、大学は「11月祭」への名称変更を認めず、「秋季文化祭」を用いるように主張したため、この年は「京都大学秋季文化祭11月祭」という折衷案で決着したが、「11月祭」は愛称として用いられることになった。

「11月祭」という名称が出てきた1953年、同学会が再建され、翌1954年の文化祭に本格的に関与した。また、同学会は昨年と同様に、大学に対して文化祭の一本化と「11月祭」の解消を大学に求めるも了承を得ることはできなかった。また、同年の文化祭ではフォークダンスに伴う学外者入場や前夜祭の強行開催など、大学に禁じられていた行為がなされ、同学会はさらに大学と対立していく。

1955年にも同学会と大学との間で、11月祭と創立記念祭(春の文化祭の代替行事)の実施方法などについて協議が持たれた。しかし、ここで話し合いは決裂、協議終了後に同学会は滝川幸辰総長(当時)を監禁した、いわゆる「第二次滝川事件」だ。警官約250名が導入され、2名の学生が逮捕・起訴された。事件の2日後に同学会は再度解散させられ、1956年にが創立記念祭は禁止された。これ以降、4年にわたる大学と同学会の緊張状態が続く。

同学会が解散したのち、文化祭は新しく結成された京大文化祭準備会が主催した。準備会は文化祭が一部の学生による祭りであったことの反省から、学生の参加を増やすためにアンケート調査を行った。これ以降、京大文化祭準備委員会等が中心となり秋の文化祭が開かれた。そして、1958年、大学は「11月祭」への名称変更、学外講師の招聘による講演、フォークダンスの開催を認めたー名実ともに「11月祭」が成立したのだ。

1-2-3.11月祭の発展ー全学実と事務局の成立(1959~)

第1回の11月祭は1959年開催の文化祭とされている(2021年は第63回)。しかし、この回の文化祭を第1回とする根拠は、当時の史料では見当たらない。特に理由も無いが、この年の文化祭が第1回となっているのだ。また、この年には同学会が再建されており、京大11月祭準備委員会(京大文化祭準備委員会の後身)と共に11月祭に関わっている事実も見逃せない。また、同年には11月祭のテーマが制定されるようになった。

第2回11月祭(1960)には、応援団が前夜祭を主催するようになる。

第7回11月祭(1965)には運営体制が変更され、準備委員長の名前が実行委員長、事務局長という名称に変わった。

第8回11月祭(1966)になり、大学は正式に名称を「京大文化祭」から「京大11月祭」に変更することを認めた。

第10回11月祭(1968)では、11月祭に関連した団体が2つ登場した。日共(日本共産党)系の11月祭全学実行委員会と反日共系の11月祭準備委員会である。これ以降も政治的意見を異にする参加団体との衝突があり、特に1972年(第14回)から1974年(第16回)にかけては既存の同学会と民青系の同学会が並立しており、11月祭の主催を巡り争った。この対立は、民青系同学会が文化サークル連合(文連)となって参加することで解決された。これ以降、決定機関(全学実)と実務(事務局)が分かれている学生祭の運営がなされることとなった。

ここで一度、11月祭の沿革については止めておこう、これ以降の話題は、別の時に述べることとしよう。

なお、事務局がいつ成立したかは残念ながら不明であった。1970年には本部事務局が1970年に「11月祭ニュース」を発行したことはわかっているが、これが現在の11月祭と直接的に関係があるかは不明である。

1-3.11月祭の運営

11月祭については、先ほども述べましたが、決定機関と実務機関が分離しています。この運営形態は全国の大学でも珍しいものです。京都大学新聞の記事にわかりやすい説明があったので、引用しよう。

現在、11月祭の主催は11月祭全学実行委員会。この委員会は各学部中間実行委員会、同学会中間実行委員会などからなる、全学一致を原則とした組織である。実行委員会のもとで実際の事務を担当しているのが11月祭事務局である。11月祭事務局は11月祭開催のためだけに存在するサークルで、その性格上、独立と不偏不党を謳っている。(今振り返る11月祭の歴史 50周年特別企画(2008.11.16)(2021年9月18日閲覧))

全学実は各学部・同学会中間実のほか、一般の京大生でも参加可能です。ここでは基本匿名(所属を明かす場合あり)で京大生が意見をし、11月祭に関する議題について話し合います。議題は11月債事務局が提起するものが多いですが、事前に提出すれば事務局外の京大生も議題や資料を出すことができます。全学実においては採決は全会一致(時に拍手採決)が原則です。私が参加した全学実では多数決で採決するために全会一致で採決することをしたこともあります(何か面倒だなと思った)。全学実は5月~11月末/12月初めにかけて2週間~1カ月くらいのペースで開かれます。

実働するのは事務局です。事務局はそれぞれの部門に分かれ、11月祭の無事達成に向けて実務活動を行っています。具体的な業務については事務局のパンフレットをご参照ください。

2.この記事で取り上げる予定の題目

NFに関わる問題と一口で言っても、様々な問題があります。以下に今のところ扱うものの一覧を掲げておきますが、後に変更もしくは削除の可能性がありますので、ご留意ください。

・日程短縮&飲酒規制問題

・2007年NFテーマ問題

・ミスコン開催問題

・原理研問題

他にもありましたら、ぜひ教えていただきたいです。

3.共同執筆者および情報提供者の募集について

今回、私がNFの歴史という題目でこの記事シリーズを書くことになりましたが、正直私だけではいつまでかかるかわかりません。また、NFで私が当事者として接していたのは若干1年に過ぎません。そこで、当時のことに詳しい京大生もしくは京大生OPの皆さんに是非、当時の様子というのも交えて記事を書いていただきたいです。私が下調べをして情報をある程度まとめてから、当時の様子ということでコメントを添えるという形でも構いません。

また、共同執筆者だけではなく、情報提供者も募集します。私も極力適切なソースに当たって記事を書くつもりではありますが、いかんせん資料があまり(公開された形で)残っておりません。そこで、皆さんからいただいた情報も基にしてこのシリーズを書き進めていこうかと考えております。どんなに小さい情報であっても、どんなにおぼろげな情報でも、NFに関係していれば何でも構いません。体験談でも大丈夫です!
皆さん、是非、共同執筆・情報提供のご協力よろしくお願いします!!

連絡先はTwitter:ただのアホ(@Brother111217)

参考文献・サイト一覧

・『第61回京都大学11月祭公式パンフレット』(2019)第61回京都大学11月祭全学実行委員会
・京都大学百年史編集委員会『京都大学百年史:総説編』(1998)京都大学後援会
・松田陽一『京都大学における「学生の祭」の歴史に関する調査報告書~陸上運動大会・園遊会・文化祭・11月祭を中心にして~』(2012)(私家版)
・京都大学新聞「今振り返る11月祭の歴史 50周年特別企画」(http://www.kyoto-up.org/archives/557,2020年9月18日閲覧)(2008)