見えないものを見ようとして -コロナウイルスの擬人化-

見えないものを見ようとして -コロナウイルスの擬人化-

こんにちは、アストナージさんです。

まずはこちらをご覧ください。

 

こちらタカラトミー社のWIXOSSというカードゲームの『羅菌 コロナウ』というカードです。

察しの良い方は気づいているかもしれませんがこのカード、コロナウイルスをモチーフにしたカードです。

(このカードの登場は2016年のディサイテッドセレクターなので、COVID-19ではなく、SARSやMERSをイメージしたものだと考えられる。)

今回はこうしたウイルスや細菌をモチーフにしたカードをご紹介しつつ、それらを「楽しむ」ということを書きたいと思います。

 

ではまずWIXOSSというカードゲームの簡単な説明から。

彼女はWIXOSSというタカラトミー社のカードゲームに登場する「ナナシ」というキャラクターです。

このWIXOSSの特徴は、自分の相棒となる「ルリグ」をもとにそれにそったカードテーマを選択してデッキ構築を行うことです。デッキのテーマは特定のモチーフをもったカードたちで構成されており、例えば植物・動物・天体・乗り物をそれぞれモチーフにしたカードでデッキを組むわけですね。これは「ルリグ」、つまり相棒として選択するキャラクターごとにある程度割り当てられていて、それごとに多様な戦略や特殊効果があります。(つい先日スタートした新フォーマットのディーヴァシリーズによって若干のルール変更があります。)

 

ナナシがメインで扱うカードテーマは「微菌」、ウイルスや細菌をモチーフにしたカードで構成されます。そしてこのデッキの戦略は、「ウイルス」というカードを相手にくっつけて「感染」させることで自らにプラス、相手にマイナスの効果をもたらすことができるというものです。

 

とまあ、このご時世でウイルス?とんでもない!という方もいるかもしれませんが

ぼく自身はウイルスや細菌を擬人化しているナナシのカードテーマは面白いものだと思います。

 

ではナナシのデッキ、「微菌」で行われているウイルス・細菌の擬人化を見ていきましょうか。例外もありますが、有名なものほどカードとしては強い傾向があります(ウイルス・細菌としては悪名ですが…)。

 

『羅菌 ナット―』

 

納豆菌ですね。

 

『羅菌 アオカビ』

こちらはアオカビ。病原菌に限らずこうしたカビもいます。あと、ここでなんとなくお気づきの方もいるかもしれませんが、WIXOSSのカードは基本すべて女性キャラクターで描かれています。公式HPでも「集めて楽しい美少女ばかりのカードイラスト。」とされています。コラボの例外とかを除いてになると思いますが、そういった層にフォーカスしたカードゲームでもあるということですね。

 

『羅菌姫 インフル』

インフルエンザウイルスがモチーフですね。これとセットで使われるカードで「羅菌 エンザ」というカードもあります。エンザのフレーバーテキストは「今は潜伏期間中…Zzz…) ~エンザ~」です。

 

『羅菌染姫 ペズト』

こちらは言わずと知れた黒死病、ペストモチーフですね。5シグニですから、微菌の中でも最強クラスですね(一般的に数字が大きくなるほど強い)。

 

 

さて、こうした擬人化が存在していることを紹介できただけでも私の目的はほとんど達成されているのですが、最後にこうした擬人化ついて、伊藤慎吾編の『妖怪・憑依・擬人化の文化史』をもとに、考察や結論じみたものを少し。それは、こうした擬人化の存在への「不謹慎」「配慮しろ」といった申し立てはナンセンスで、むしろこれらの存在をどう捉えて楽しむかが重要なのかなということです。

特に今回紹介したカードたちは病原菌モチーフですし、新型コロナウイルスが流行していく中でこうした存在が万人に歓迎されるものではないでしょう。しかし擬人化は、それが置かれた作品世界に依存します。そして擬人化された多くのキャラクターは、モチーフ元の性質を個性として持ち、我々と同じような内面を持った人間として描かれています。以上で紹介したカードを振り返ってみても、カード右下に書かれたフレーバーテキストは、そのキャラのセリフとして書かれることが多くそのキャラクターに人間と同様の内面をうかがうことができます。こうした擬人化された存在は物語の文脈に依存した存在であるが故に私たちの人間世界には害を与えません。

まあ何が言いたいかというと

怖がったり排除しようとしても、彼ら・彼女ら自体は何もしてきません。

ということでしょうか。

 

私たちが例えばこうした対象におそれを抱くのは、擬人化の構造的な問題でもありますが、それらのキャラクターに現実のそれを投影するからでしょう。実際に伊藤慎吾は「物語歌の擬人化表現 ––– 童謡とコミックソングのはざまで」という稿で、対象が異類化して人間にコミュニケーションをとってくる背景に、人間が物や動物に抱く罪悪感を見ています。しゃべりだす道具類に酷使していることの罪悪感を、生き物の口からの言葉には殺生への罪悪感が反映されているというのです。しかしこうした物語世界のキャラクターは私たち次第で自由に扱える存在で、過度に恐れて排除することはないかなと思います。

逆にこれを楽しむ、というのが良いのかなとぼくは思います(ウイルス・病原菌が絡むのでイメージしづらいかもしれませんが)。

この本によれば病原菌の擬人化は今に始まったことではありません。医薬品や洗剤のCMでは、こうした「見えない」対象に対峙するためにしばしば擬人化が行われてきました。私たちは現在も続くこの「見えない恐怖」と戦っていますが、こうして対象を可視化して寄る辺を増やすことで精神にゆとりを持てるのではないでしょうか。また、物や生物が人のように私たちに語り掛けてくる背景には、彼らへの罪悪感があるといいますが、それは私たちが対象の立場になって考えているということではないでしょうか。罪の意識を感じるのは、彼らの立場に立つことで見えてくるものです私たちも、こうして病原菌の側に立つことで、「災厄」や「疫病」といった漠然とした恐れを超えて、感染対策や拡大防止に向き合うことができるようになるのではないでしょうか。

最後に「羅菌 コロナウ」のフレーバーテキストを引用しておきます。

 

「寒くて乾燥しているところないかしら? ~コロナウ~」

 

【参考】

WIXOSS公式サイト

https://www.takaratomy.co.jp/products/wixoss/ (2021/01/24 13:30閲覧)

WIXOSS TCG Wiki

http://wixoss.81.la/ (2021/01/24 13:30閲覧)

 

その他

国立感染症研究所「コロナウイルスとは」

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/9303-coronavirus.html (2021/01/24 13:30閲覧)

 

伊藤慎吾編,『妖怪・憑依・擬人化の文化史』,笠間書院, 2016.