僕とタテカンと「千万遍石垣」

僕とタテカンと「千万遍石垣」

このサイトはタテカンをコンセプトにした web メディアであるそうだ。 「であるそうだ」などというと、他人事のようであるが、僕はこのサイトをゼロから立ち上げたメンバーではない。彼らのおかげで、ドメイン名や IP アドレスといった初歩的な知識すら怪しい僕もネットの海に拙文を垂れ流すことができる。

最初の投稿であるから、そのコンセプトが依拠する、タテカンについて僕なりの考えや思いを述べてみたい。もう語り尽くされている感があるけれど。

タテカンのない風景があたりまえとなってしまった時代になって入学した僕にとって、タテカンは、やや馴染みの薄いものである。高2のときに参加したオープンキャンパスの時点で、タテカンの影は薄くなっていた。タテカンが溢れていた時代を知らない僕たちには、タテカンのある景観を取り戻そうと言われても、実感がわかないことが多い。こうした世代が京大生のなかに増えてきたことに危機感を覚えている方もあろう。

しかし、Google Street View で百万遍や東一条を歩いてみると、雑多なタテカンで埋め尽くされているのを見ることができる。これをみて僕は原宿の竹下通りを思い出した。そこは、ごみごみとした、見ているだけで疲れるような、雑多な空間ながら、それぞれの人や店に強い個性があって、それぞれが共存している。

当時のタテカンを見てみると、大半は部活の勧誘であるが、マック赤坂氏の講演会を大々的に告知するものがあったり、原発や安保法案への強い抗議を訴えるものがあったりする。こうしたタテカンは学生の発言、表現のツールとして非常に有効であった。大半の京大生と教職員、さらに、近隣の市民の目にも留まることから、京大界隈に限って言えば、SNS よりも強い発信力を持っていたのである。こう考えると、タテカンが自由に立てられなくなったことで、学生の表現の場が大いに縮小されたといっても過言ではない。

現在もタテカンが全く見られなくなったわけではなく、部活の勧誘のタテカンは構内で見られるし、たまに百万遍や東一条にユニークなタテカンが出現する。しかし、こうしたゲリラ的な出現や、タテカンそのものの物珍しさから、最近は特に「おもろい京大」の象徴として、あるいは SNS のネタとして消費されているように感じられる。これも既に指摘されているところであるが、ただそれを見て騒いだり、ツイートしたりするだけでは何も「おもろい」ことはない。こんなタテカンが出てくる京大ってやっぱりおもろいという雰囲気があるが、 「おもろい」存在であるのは京大でもなく、写真を撮ってツイートしている者でもない。

けれども、写真を撮ってツイートしたくなるほどの高い完成度を誇るタテカンは非常に多い。ストリートアーティスト顔負けの迫力ある絵に、インパクトのあるフレーズが踊る。京大生の才能が、最大限に「無駄遣い」されている場であると感じる。タテカンの特徴的なフレーズには、もう頭にこびりついてしまったものも多い。彼らの独特なワードセンスにはいつも舌を巻く。

そして近年、タテカンに新たな美的属性が付加されたように思う。その属性とは、「はかなさ」である。古来、日本人は散りゆく桜のようなはかなきものに美を見いだしてきたわけであるが、早朝出勤にもコロナ禍にも負けず、勤勉にはたらく職員のみなさまによって、タテカンにもそれが付与された。彼らの電光石火の如きはたらきによって、タテカンはセミより短い命となり、わずか数日で墓場に葬られる運命となったのである。昨日まであったはずのタテカンが当局によって撤去されている。嗚呼、この世は無常。そんな味わい方も悪くない。

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最後に、この千万遍石垣は雑多なタテカンをインターネット上に再現せんとするメディアであると認識している。だから、僕にはできないが、「書く」だけでなく、「描く」ことが好きで、得意な人もここにおのおののタテカンを立てたら面白いだろうと思っている。

そして、ここが自由な表現の場となることを願う。砂漠の真ん中でだけ自由に発言できても、誰にも届かないから意味がないように、表現の自由が認められても、受け手がいなくては無意味である。つまり、限られた人しか見ないメディアは真に自由な場所とはいえない。

だから、多くの人の目に触れる場所となることが必要である。そのためには何ができるか考えたい。リアルのタテカンのように、個性が溢れ、ぶつかり合うような空間となればこの上ないが、ここにも職員の皆々様がお見えになり、僕らのタテカンにも「はかなさ」を賜ることはご免である。