「”活字中毒”について語ろうとしたらINTERNET老人になってしまった話」 ゆるふわ公開日記その10

「”活字中毒”について語ろうとしたらINTERNET老人になってしまった話」 ゆるふわ公開日記その10

小学生のころ好んで読んでいた、『ズッコケ三人組』の登場人物の一人が”活字中毒”であった。

”活字中毒”の疾病者は、本や新聞等を読んでいる平常状態においては極めて普通の挙動を示すが、食事や風呂などのどうしても文字を読めない状態になると途端に気が狂っておかしな挙動を示すらしい。そんな時には七味唐辛子の成分表示やレシートの文字、シャンプーの説明など、なにか文字の羅列を読み続けることで対応しているとのこと。昔の私にもそのきらいがあった。私と活字がこれまでどう歩んできたのかを振り返っていきたいと思う。

小学生

このころの私は家の中ではDSのカセキホリダーやポケダン闇なんかをして遊ぶのが一番の楽しみであったが、ゲームは一日一時間までと制限されていた。ゲームの時間を使い果たすと今度は図書館で借りてきたズッコケ三人組やはやみねかおる、怪人二十面相シリーズや星新一や赤川次郎なんかを飽きることなく何周も何周も読んでいた。親との「ご飯できたから食べに来なさい」『ちょっとまって。キリのいいところまで』「いいから早く来なさい」『あと10分』「それ15分前にも言ってたじゃない」という野暮なやりとりにより、奥行きと情熱で構築された美しき本の世界から平面的かつ殺風景で特に語ることもない現実世界に無理やり引き戻される。現実世界に回帰するまでは常に心ここにあらずであった。”活字中毒”一歩手前だったのかもしれない。

中学生

中学時代、心も体も大きくなるにつれて私の読書量は目に見えて減少していった。諸悪の根源はそう、INTERNETである。貸出上限である冊数に書かれている文字数以上の情報量を超えることのできない図書館の本と違い、我らがインターネットからは無尽蔵に活字がわき続けてくる。自宅のPCはなぜか一日の時間に制約がなかったためかなりの時間をインターネットに費やした。当時まだ隆盛を極めていた謎の情熱をもって情報が集約されていた個人サイト、2chSS、個人ブログ、よくわからない二次創作、よくわからないゲームの攻略wiki、「面白い文章」で検索したら表示されるすべてのサイト、などを読み漁っていた。それにとどまらず、みらくる!ぱんぞうゲームコーナー、ポケモンだいすきクラブ、yahoo!きっずのよくわからんゲーム、ハンゲーム、小学館「ネットくん」、富士通のPCに初期インストールされていたゲーム集であるところのGAMEPACKの激ムズRPG『ラミィの大冒険』、度胸試し、全盛期を終えたおもしろFLASH倉庫(ウイルスにかかるという噂が出回っていたのであまりアクセスできなかった)などにアクセスしまくっていた。

とにかく、電子の海に漂うなにかを受け身で享受し続けることが一種の快楽と化してしまったらしい。

高校生

そして高校時代、出会うはずのない者同士が出合ってしまう。そう、時間をつかさどることで知られる、Twitterである。無辺際に広がる情報を主食として生活する”活字中毒”予備軍である私がこれにのめり込まないわけがなかった。さらにTwitterには私を惹きつけるだけの魅力を有していた。高校生活というものは、立派な資本家の奴隷になるための訓練の場である。そのため、毎日がとにかく忙しい。一日の活動を終えてゆっくり本を読もうとしても、疲れからか数ページ読んだところで頭が追い付かなくなる。しかしながら、我らがTwitterは、たった140字読めば、筆者の言いたいトピックについて理解(した気になることが)できる。脳が動いてない状態でも目さえ開けていれば大量の情報がなだれ込んでくるのだ。

「本を読む元気がなくても活字や情報が勝手に得られるツール」を手にした私は無敵になった。水を得た魚、大麻を得たラッパーである。その一方で、本が開かれることはほとんどなくなってしまった。筆者の結論までが長すぎるのだ。バーカ。

大学生

そして大学生になっても私はずっとtwitterをしている。最近はスマホでtwitterを閉じてLINEを開こうとしてtwitterを開いたり、モニターを二枚買った次の日に、右モニターでtwitterをしながら左モニターでtwitterをしたりしている。Discordも楽しい。たくさんの人が集まるサーバーではひっきりなしに情報が流れてくる。そこではクソリプもレスバトルもなく、ただ平和な日々が送られている。YouTubeもずっと見ている。全然ポケモンをプレイするわけではないのだがポケモンの対戦環境の考察動画なんかを飽きもせずに見ている。霜降り明星がクイズをやっているだけの動画や、饅頭が何かについて解説する動画などを見る。

最近では、INTERNETを見るのをやめられなくなったとき、イヤホンをつける。そして顔の一部しかINTERNETに出さない二人の男のラジオを流す。こうすることで情報が供給されている状態を維持しながら、次の生産的な行動を起こせるようになった。というかむしろそうしないと常にINTERNETにかじりついたままになってしまう。若かりし頃”活字中毒”予備軍だった私は、どうやら”情報中毒”になってしまったようである。

終わり