連載「俺と革命」 教養強化合宿に行って

連載「俺と革命」 教養強化合宿に行って

熊野寮に住むことになってから、”革命”というタームを耳にする機会が増えた。私自身、昔から社会が根底からひっくり返るさまが見たかったし、なんならそういうとこの最前線で頑張りたいという気持ちは常にあったので、その”革命”というのを聞くたびに体温が0.5度ほど上がっていた。しかし、革命とか社会変革を目指している人たちが幾ら頑張ってもあまり報われてこず、むしろ頑張れば頑張るほどどん詰まりに陥っているのも、たくさんみてきたので、安易に心を寄せ声を揃えてみせることもできない。もっと踏み込んでいえば、ミイラとりがミイラになる…ではないが、社会変革を目指す組織が批判している当の対象に似てきてしまう(コンウェイの法則?)、弱者救済を目指す組織が内部で新たな弱者を生み出してしまうという事例も多く見てきたため、今のところそういうものに強くコミットする気にもなれない。というのが正直な気持ちではある。
それでも、”革命”というのが好きな私はすこし納まりの悪い状況にある。これはよくない。
そこで、私自身の政治性を見直すなかで、革命というものに対する距離感を見定めるために「俺と革命」というタイトルで連載でもしてみようかと思う。この千万遍がどのくらい見られてるものなのか私はわからないが、交友関係にある熊野寮生はそれなりに見ているようなので、我が政治スタンスを対外的に明徴化するという意味でも悪くないんじゃなかろうか、と思う。
記念すべき(枕詞)第一回目としては、私が外山恒一氏の第26回教養強化合宿に行ったときに感じた印象とそこから考えたことについて書いてみようかと思う。教養強化合宿の体験レポは巷に溢れているし、私よりもっと文章がうまい人達が書いているので、合宿に行こうかどうか迷っている方はどうかそちらを読んでいただきたい。自分は自分の思ったことを書きたいように書くので、ノークレームノーリターンで頼みます。

なんで、教養強化合宿なんかに行ったのかと問われれば、外山恒一という人物がどんなものか知りたかったから、そして教養強化合宿なぞに興味を示す同年代の若者がどんなものか知りたかったから という二点に集約される。もっと乱暴にいえば、「教養強化合宿、なんぼのもんじゃい」ということ。
同年代の若者の印象についていえば、まずはじめに喫煙率が七割ほどなのを確認して「なるほどなァ」と。最初の印象でいえば、サブカルのひとたち。だけど10日もいれば、着てる服とか喋ってる語彙なんかの表層よりももっと根の部分がみえてくる。なんとなく各々互いにどんな人間かがわかってくる。それでわかったのは、これもまた乱暴に均した言い方になるんだが、皆実存に対するなんとなくの不安を抱えており、そしてそれは緩く、気分として社会に対する不安につながっていて、その答えをこの合宿を通じてなにかを求めてるんだか求めてないんだかしてるということだった。要するに、”若者”ということだった。じつは、私も、若者なので、この気分、よくわかる。わかるんだが、そこから一歩進んだ問題意識・階級意識としては一致がとれていないんだな。だから、ある固有名詞を知ってるか知ってないかで盛り上がったりなんかしちゃう。私自身そういうところがある。それでも、ああ、振り返ってみれば、みんな良い人たちだったな。思うようにうまく会話はできなかったけど、互いに尊重して十日間生活ができたんじゃないかと思う、いい思い出だ。
外山恒一氏の印象は終始一貫して、シャイな人なんだな、と。初顔合わせのときも、このひと緊張しているな、という感じだった。合宿最終日、外山邸で開かれたOBOG含めた大飲み会でも、中盤になると氏は、「イントロクイズやろう」と、居間の床に据えられたiMacを操作し、彼が蒐集した古今東西の楽曲からイントロクイズを始めた。確かにこれはかなり盛り上がった。「あーでもないこーでもない」と喋ってる我々に、氏はまるめた背を向けて座布団に座りライブラリのなかから好きな楽曲を探す。「これならどうだ」とイントロを流す。我々は答える。正解。場が湧く。氏は座ったまま半身をこちらに向けて笑う。

私が外山氏の名前を知るのは、中学生のとき、氏が出馬した東京都知事選挙での政見放送の映像がニコニコ動画でネタにされているのを見てからだ。いにしえのムネオハウスの伝統を継いだ、クラブミュージック✕政治系の音MADとか。高校生になると我々団のホームページなんかを覗くようになり、氏の政治思想にかぶれるようになる。図書委員だった時にはちくま学芸で出たムッソリーニの伝記を学校の図書館に入れてたりしていた。なんだこいつ。大学に入り、外山氏のことは少し忘れていたのだが、去年、自らの政治性を明徴化せねばならないと決心した際に、我が政治性の根底には外山氏の書いた文章、外山氏の思想があったな、と思い出した。で、いまに至ると。

外山氏はファシストを自称している。氏のファシズム思想は私なりの理解でざっくり言うと、少数の俊英が大衆を導いていくエリート主義といったもの。それは、彼自身の体験にもとづく、ある種の大衆への絶望から引き出されたものだ。生の目的や美的感覚、自由の観念なんかを持ち合わせず、ただ安心と安全のみを家畜のように求める、ニーチェのいう末人のごとき大衆、そんな多数派に対して彼は否を叫び続ける。

「諸君! 私は諸君を軽蔑している。
このくだらない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。
正確に言えば、諸君の中の多数派は、私の敵だっ!」

いまの時代に反して、自らを絶対的に少数派のなかに位置づけるとき、人は孤独に陥る。不安だ。だから寄りかかれる大義を求めるのだろう。「実存主義はヒューマニズムである」とサルトルはいった。でも本当にそうか?恵まれない人に救いの手を差し伸べるのはエラい。だけど、なんでもかんでもアンガジェして飛びついて、それでいいのか?こっぴどく裏切られるんじゃないのか、サルトルのように。

合宿中、ニーチェのことについて考えていた。そういえば教養強化合宿はツァラトゥストラ第4部になぞらえられるな、と。なにかを求めツァラトゥストラの棲む洞窟に訪れた、高みを目指すための自己否定の染み付いた、少し陰気な、あのコミュ障の高人たちが、主人のもてなしをうけ、一緒に飯でも作りながら、愚にもつかないことをやりながら、おわりには自らの生の肯定にまで辿りついていた。我々もそのようであればよいが、と。

さいごに。合宿最終日、私は外山氏にひとつ質問をした。
「同情をするな、高貴であれ、とニーチェは語ったが、彼は鞭打たれていたロバに泣きついて発狂してそのまま死んだ。同情というものはどういうふうに処理すればよいのか」
氏は笑って、「同情したいときには同情すればいいんだ」と答えた。
「それはそうだ」あまりに常識的な返答に拍子抜けした。
きづけば私も笑っていた。